観音菩薩(かんのんぼさつ)、
人々を常に観ていて救いの
声(音)があれば瞬く間に
救済する、という意味から
この名が付けられたとの事。
苦しんでいる者を救う時に
千手観音や十一面観音、
三十三観音など、様々な姿
に身を変えて救いの手を
差し伸べる。地獄道に迷う
人々を救うとされる。
単独で祀られることも多いが、阿弥陀如来
の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶ
こともある。ちなみに般若心経は観音菩薩
の功徳を説いたものである。
亡き母より、聖観音様に観音経を上げるよう
教えられ、観音さんに向き合う時間がある。
その観音の『観』という字を易経で勉強した。
第二十番の風地観である。「観」には、意味
が二種類ある。「周観:周(あまね)く
物を観る」と「仰観:手本を示す、
仰ぎ観る」の二つである。
周観は、風が大地(地上)を吹き渡るように、昔の
王様はこの形を見習い、四方、諸国を巡察し、人々の風俗・慣習・文化の相違
を詳(つまび)らかに観察して、それぞれに適した国是を定め政治教育を施した。
このように山のように見識が高く、大臣や国民が仰ぎ観る天子。柔順に天の道に
従い、謙遜して高ぶらない。剛健中正の徳を備えた天子が周(あまね)く天下を
観察して手本を示し、臣民は仰ぎ観る。 例えば、宗廟の祭祀でお供え物を献上
する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み、至誠の心と厳粛な
態度で神様を天から迎えるように、天子が至誠の心と厳粛な態度
を民に示せば、民は自然に天子を尊崇して仰ぎ観る。聖人は神道に則(のっと)り
臣民を教化する。すなわち、神道が声も形もなく、自然にして霊妙(れいみょう)な
働きがあるように、聖人は言葉や規則を用いずとも至誠な心で臣下人民を風化
させ、自然に天下万民は信服するのである。
社長、長と言うのは、至誠な心と厳粛な態度で、会社や家庭においての自分の
周りを観る。そして適切な判断で良い方向に手本を示すのが、大切である。
広く広く、丸く丸く、穏やかな心、和の心を持って、
もう一度観てみたい。まだまだ、良い方向に変えて
行ける!
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