2013年11月30日土曜日

神武天皇の大和平定と八咫烏(やたがらす)

神武天皇の大和平定と八咫烏     
(やたがらす)。
日本の国を考える時に大
切なルーツがあります。
その初代天皇の神武天
は、国内を治めるにふ
さわしい土地を求めそれ
までの日向の高千穂の
地からはなれ、大和に
都をつくろうと決心する。
そこで早速、水軍を率い
て瀬戸内海沿いに東へ
すすみました。
 大阪湾から上陸しよう
としたが、手強いナガス
ネヒコの抵抗をうけ、
兄の五瀬命が流れ矢で
戦死してしまいます。
そこで迂回して熊野に         
上陸し、大和を目指す。険しい山中で
悪神の毒気にあてられて病気になり、
軍勢の士気はふるわなかった。だが
天照大神の神勅があり、
巨大な頭八咫烏が道案
をしてくれます。

※三本足の八咫烏は、熊野神の使
いで、太陽の化身とされています。
八咫烏の三本の足、「3」と言う数字
は、陽として安定観のある大事な数
である。

神武天皇は抵抗する豪族を討ち平ら
げて、進軍をつづけ、いよいよ強敵
ナガスネヒコとの決戦を迎えます。
だが、いくら攻めても勝てなかった。
すると、空が急にかき曇ってヒョウが
降り始める。どこからか一羽、
金色に輝くトビが飛んできて、
天皇の弓の先に止まりました。トビ
は稲妻のように光って、敵軍の目を
くらましました。力線の末、ついに
ナガスネヒコが仕えていたニギハ
ヤヒノミコトが、みずからナガスネ
ヒコをほろぼして帰順しました。

このようにして神武天皇は大和を平定し、畝傍山の東南の地に立派な宮殿を造って、
初代天皇の位につきました。

宮殿を造る時の詔は、「天津神がこの国をお授け下さった御徳に応へ、ニニギノミコト
が正義を育成された御心を弘めてゆこう。その後に、四方の国々を統合して都を開き、
天下を覆って一つの家のようにすることは、はなはだよいことではないか
と有り、ここに、日本の国の基を定めた精神、
『和をもって尊しとなす。』 
大和は、大きな和であり、日本人が大切に
している心がここにあります。

2013年11月29日金曜日

祝詞(のりと)の勉強がしたい!

祝詞(のりと)の勉強がしたい!               
と最近問い合わせを頂きます。
自分の家に神棚を供えたが、
何をあげたら良いかわからない

神社において、人生儀礼、結婚式、
初宮参り、七五三、成人式などには、
神職が、神霊を拝してお願いの文言
を奏上してくれます。神に祈りを捧げ
災難や罪穢れを除き、清めてもらい、
人々の願いを神職が、仲介者として
奏上します、その文書を祝詞と言い
ます。その願いの文章は、神事とし
て、古典語で書かれた一定の形式
に従った祝詞を作文し読み上げます。

現存最古の祝詞は、醍醐天皇の
延喜年間にその収録を手掛けたもの
ですが、その表現は、その時代よりも
ずっと古い時代のものです。
平安時代に整理されたその祝詞は、
当時の人にとっても古めかしい奈良
時代の言語で語られています。現代
読み上げる祝詞も、奈良時代の言葉
で書かれた祝詞をベースに作文され
た文章です。この現存最古の祝詞は、
「延喜式」言う法典、つまり法
律を分類整理した書物の中に収め
られています。
延喜五年(905)、藤原時平らが醍醐
天皇の勅を奉じて、完成したもの。
二十年かかって、五十巻から成る
書物です。その中の一つとして祝詞
二十七編が収められています。
書き方も、全部漢字で、読み上げる
ために、万葉仮名も入れました、
それを宣命書(せんみょうかき)とい
います。宣命という、天皇の命令を
伝える文章がこのような形式で書かれてきたところからそのように呼ばれます。その宣命の最古のものが、『続日本紀』に収めらています。祝詞は、そのような、宣命と同じ表記方法で描かれていました。

古代の人々にとって、祝詞を奏上することは、言葉のもつ力に期待するものもあった
と思えます。『万葉集』に詠まれている「言霊の幸はふ国・ことだまのさきはふくに」
のごとく、言霊の力によって幸福がもたらされると考えられていました。

是非とも祝詞を一緒に勉強をして、自宅、家庭、仕事場において、神棚に手を合わせ
祝詞をご自身の声で上げてください。

次回の祝詞勉強会は、来年の1月平成26年1月26日
日曜日の12時45分受付!
芝の増上寺の横にご社殿があります、芝東照宮にて
行います。お気軽にご参加ください。 
この回は、大切な祝詞「大祓詞」を勉強致します。

 

2013年11月28日木曜日

世の「時流」を読み、自分達の会社の置かれている「時中」を知る事

世の「時流」を読み、自分達の会社の    
置かれている「時中」を知り、冷静な     
判断で、進むべき方向とその方法を
決めることが、いかに大事で、難しいか、
会社経営を約13年間行ってきての
感想である。

「時流」は、単位が10年間で、前後を
読むと30年間の時の動きである、
つまり、国際的には、円相場や金利、
株価の動き、戦争、国外列強の首相
や大統領などの交代、すべてを読み。
国内においては、経済の動向と産業
の動向、年齢別の人口分布、など
天候、天災も含まれる。 その期間は
自然の再生から食物連鎖まで、気温
や台風の影響まで広がるのである。

「時中」は、1年~3年間の単位で、
時流よりも細かく、相場観、マーケティ
ング観、賃金・家賃変動観、広い範囲
で予想し、今を知ることが大事である。

唯一言えるのは、「下がったら上がる、上がったら下がる」そして、
易経のもっとも基本の『不易の法則』、『吉凶悔吝きっきょうかいりん』
である。

不易の法則
〇 「凶」から「吉」になる法則。それは『悔』(かい)である。
  『悔』は、後悔や反省の意味があり、だからそれは『改善につながる。
  後悔、反省することにより、少しづつ良い事をする「小善(しょうぜん)」事を
  積み重なるとそれが、「大善(だいぜん)」となり。

  やがて、『吉』となる。

〇 「吉」から「凶」になる法則。それは、『吝』(りん)である。
  『吝』は、吝嗇(りんしょく)そのものであり、「ひどく物惜しみする」=後悔や反省をしない
  後悔や反省をずっと行わずにすごしてきた。そうすることにより、「吉」として築きあげた
  ものが、「おごり」「たかぶり」の態度をすることにより、怠慢となり、
  気づいたころには、吉の位置から下がってきます

『中庸』、『平常心』が、大事なのだと思う。
来年四月から始まる消費税アップは、
さらに1年半後にはさらなるアップ
マーケットの動向と社内財務体制の変革まで必要に思う。

2013年11月27日水曜日

日本産農作物のブランド化に「四条流庖丁道」のお力を

日本産農作物のブランドとしては、     
「コシヒカリ」、「アキタコマチ」
「フジ」などは、すでに海外に通じる
国際ブランドの農作物である。
TPP:環太平洋戦略的経済連携協定
は、どのよう
に日本の農業に影響するのか? 
私の周りの農家の方はかなり
感心が高い。

海外から安い農作物が輸入されて、
日本の農業はだめになるのでないか、
と言う心配が、多い一方、アジアや
東南アジアの富裕層に対して日本
の良い、質の高い野菜を輸出しよう       
と計画されているところもある。
その質の良い日本の野菜や果物に
格付けしようという考え方が、ある。

その野菜などの格付けに天皇家の
台所と言われた、四条流包丁道
に権威を頂くと言う所もある。
農業の生産者から、お客様目線の
物作りに感動した。

四条流庖丁道は、平安時代から始まると伝えられる日本料理の流派である。

庖丁道(庖丁式)とは料理に関する作法・故実や調理法などを最も
頻用する調理器具の庖丁で象徴した呼び名である。町時代後期、四条流の大意をまとめた料理書として『四条流庖丁書』が書かれている。奥書に「長享三年(1489年)二月下旬多治見備後守貞賢在判」とあり、この時期に成立したと思われる。四条流庖丁式の次第が記述され、俎の名所・寸法などから記載が始まり、続いて具体的な料理法や、・膳の飾り方なども記載されており、当時の日本料理の素材や調理法を知る上で貴重な史料となっている。雁の皮煎・潮煎、カマボコ、鳥(雉)の焼き物・刺身、エビの舟盛り、このわた、鯛の潮煮、クラゲの和え物など、多彩な料理が紹介されている。また、四条流では刺身に添えるわさびと塩は接して並べる、酢も添えるべき……など興味深い記述も多い。花鰹の使用も記されており、当時から利用されていることが分かる。

四条流の庖丁儀式とされる、巧みな庖丁さばきによる荘厳な技術披露が現在でも継承され、行われている。藤原山蔭が鯉をさばいて以来の伝統と言われる技法を烏帽子・直垂をまとった姿で再現し、庖丁と真魚箸(まなばし)のみを用いて、鯉・鯛・鰹などの素材に一切手を触れることなくさばいていくもので、各地の神事などで奉納されることがある

日本人の文化の奥深さに感動を覚えます。
日本ブランドを世界に広げていきたいですね。

2013年11月26日火曜日

神の世界古事記と宇宙のルーツ彗星、アイソン彗星がやってくる!


古事記を読むと、天地(あめつち)が     


初めて発れた時、高天原に成ったの
は天之御中主神(あめのみなかぬし
のかみ)、そして高御産巣日神(たか
みむすびひのかみ)、続けて神産巣
日神(かむむすひのかみ)が成りました。
この三柱の神は、いずれも独神で、
すぐに御身をお隠しになりました。
まさに、宇宙創造(ビックバーン)の
後地球が創造されたことを表現されて
いるようにも思う。
ここに、宇宙を感じる

我々は、宇宙の中の星、地球に住んでいる。
人間が、100歳まで長生きと言えど、宇宙に比べるとほんの一瞬の人生である。
ビックバーンと言われる太陽系の誕生から46億年、その時に太陽系の端に飛んだ、
水素、炭素、アンモニア、などが、丁度雪を硬く固めた氷の塊。これが、彗星の正体らしい。
宇宙創造の時の化石が、今月29日にやってくる、アイソン彗星が、話題になっている。近づく期間は、今月下旬から12月中旬にかけてさらに明るくなり、明け方の東の空に長い尾が見られるとの期待が高まっている。アイソン彗星は、太陽の直径より短い約120万キロまで太陽に接近する。近付くにつれ「汚れた雪だるま」と呼ばれる彗星本体が熱で溶け、ちりなどをばらまいて尾が伸びる。太陽の周りを約75年で1周するハレー彗星などとは違い、そのまま飛び去って二度と見られないという
花や樹、石、川や山や、何も言わないが生きている、変化している、その偉大なものが、「宇宙」なのではないでしょうか? この神秘、人間の知識や力や経験を遥かに超える、存在、
Something Great(サムシング・グレート)の存在が、あるのです。
人類では、まだまだ分からない宇宙の秘密、このやってくる彗星に、宇宙のルーツ、そして人類のルーツが隠されている。 肉眼で確認できるのが、今年の11月29日の午前5時、東の空に太陽が朝日として昇る前に46億年前の光を見てみたい! 

2013年11月25日月曜日

家族

昨日は、天気も快晴で、本当に良      
い結婚式でした。
人が幸せに思う気持ちは、
誰かを思い「ありがとう」と
感謝することができる時

そんな思いがする、
「家族思いの結婚式」
でした。

人は鏡とよく言います、
子供を見れば、親が解る
とも言います。

家族の縦糸と横糸は、必ず
つながっている。そしてその
糸を長く、長く繋げていくが、大切。 
「お父さんがいて、すごく安心できる家だった、お母さんが、家にいて、
毎日美味しいごはんを作ってくれた。」 涙ながらに、両親へ感謝の気持ちを
伝える結婚式。この夫婦は、また同じようにこの感謝の気持ちを持てる家族
を作っていかれるのだなと思います。

誰もが、両親より体と心を頂き、育ててもらい大きくなる。いつの頃からか、
自分で大きくなったような顔をするようになり、独立していく、
独立して、一人暮らしが始まり、毎日の生活に、現実の社会とぶつかり
自分独りの力で生きてきたのではないのだと、気付き。
家族を思い、父を、母を思い、感謝する。

私の母は、63歳で他界をしました。
私は、19歳の時には、大学で親元を離れ、社会人んとなり、
母が、亡くなる5日前に親子喧嘩をして、母の入院していた病院を
出て東京に帰りました。

今でも亡くなる時に横にいなかったことや、
社会人になり、母の元気なうちにもっと話をしてたらよかったなと思います。

「思いは、言葉にして伝えないと相手に伝わらない」

今、独り頑張っている父と、沢山の時間を共有し
感謝を伝えたい。

2013年11月24日日曜日

一粒万倍(いちりゅうまんばい)のお守りと一粒万倍日

昨日の新嘗祭において、品川神社     
より頂いたお守り『一粒万倍』
そのお守りの袋には、
「招福 一粒万倍のお守り:
当神社境内に自生します大王松
は、古来より三鈷(さんこ)の松
と称し三つの福が授かるといわれ
又境内で育成せし稲穂は
一粒万倍の幸が授かるといわれる」
と書いてある。

ありがたいお守りです。
一粒万倍は、辞書には、報恩経に
出てくる。
「世間利を求むる、田を耕す者に
先んずるは莫々し、一つの種
万倍となる」とある。
少しのものもふえて多くの数に
なるたとえでもり、少しだから
といって粗末にするなという           
教えでもある、まさに感謝
「今年一年、ありがとうご
ざいます」と感謝を捧げる

一粒万倍には、その他、
「一粒万倍日」と言うのが、
あるので紹介したい

これは、大安にも並ぶ大変に
縁起のよい吉日。
『手元にあるわずかな物で
始めた事が何倍にも膨らむ』
とされ、新しい物事をスタート
する日には、吉とされる
この縁起のいい吉日は月に         
四~六回ある。

宝くじを買う人が多いらしい
です。その他、新しい事を
スタートするに良い日。
種まきの日です!

11月は、15,16,22,28日
12月は、11,12,23,24日
来年2014年は、
≪2014年一粒万倍日 カレンダー!≫
1月4(土)5(日)8(水)17(金)20(月)29(水)
2月1(土)4(火)11(火)16(日)23(日)28(金)
3月8(土)15(土)20(木)27(木)
4月1(火)11(金)14(月)23(水)26(土)
5月8(木)9(金)20(火)21(水)
6月1(日)2(月)15(日)16(月)27(金)28(土)
7月10(木)13(日)22(火)25(金)
8月3(日)6(水)9(土)16(土)21(木)28(木)
9月2(火)10(水)17(水)22(月)29(月)
10月4(土)14(火)17(金)26(日)29(水)
11月10(月)11(火)22(土)23(日)
12月4(木)5(金)7(日)18(木)19(金)30(火)
31(水



2013年11月23日土曜日

11月23日は、大切な新嘗祭(にいなめさい)の日。 

11月23日は、新嘗祭(にいなめ
さい)とっても大事なお祭の日
です。収穫に感謝する祭』

年ごとの十一月、宮中および
全国神社で行われる収穫祭。
豊穣を祈請する二月の祈念祭
と対置されて存在します。
我国では収穫を感謝して神威
を蒙る代表的な稲米儀礼とし
て、その起源は稲作開始の
弥生時代に遡ると言われて
います。
日本では、古くから五穀
収穫を祝う風習があった、
その年の収穫物は国家として
もそれからの一年を養う大切
な蓄えとなることから、大事な
行事として飛鳥時代の皇極
天皇の御代に始められたと
伝えられます。


五穀とは、「いつくさのたな
つもの」とも読みます。
古代からその内容は一定し
ていおらず。
●現代においては、
米・麦・粟・豆・黍(キビ)。
『古事記』では、
・稲・麦・粟・大豆・小豆
『日本書紀』では、
・稲・麦・粟・稗(ひえ)・豆
地域により変わるのか、
時期によるのか?

一時中断されたが、元禄時代
の東山天皇の在位中に復活
し、1873年(明治六年)の
太陽暦採用以前は11月の
二回目の卯の日
に行われていました。
1908年(明治41年)9月19日
制定の「皇室祭祀令」第九条に
大祭と一つとして揚げられ、
「十一月二十三日ヨリ二十四日
ニ亘ル」と規定されている。祭儀
には神嘉殿内に神座・御座を設けて宵暁の二度、天照大神・天神地祇に
神膳を供える。天皇自ら新穀の蒸御飯や御粥・御酒を柏葉の枚手(ひらて)
などに盛り、食薦に供える。この夕御食に続いて潔斎(けっさい)・更衣(ころもかえ)
の上、再び朝御食を奉仕する。
新嘗祭に対し、天皇の即位後、初めて行われる一世一度のそれを
大嘗祭(だいじょうさい)と称します。

神嘗祭と同様に伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされます。

現代では稀に、新嘗祭まで新米を口にしない風習が残っているところもある。
五穀豊穣というのは、本当に喜ばしいです。
今日は、品川神社にてご奉仕をさせて頂きます。



 

2013年11月22日金曜日

自然界のいい夫婦、『偕老同穴』(かいろうどうけつ)には、神秘を感じます。

自然界のいい夫婦、『偕老同穴』  
偕老洞穴の海綿
本当に自然の神秘を感じ
ます。昔は、結納品にも使わ
れた、偕老洞穴(かいろうどう
けつ)この写真の海綿の中に
小さい海老が入り込み、
そして雌雄のつがいとなり、
共に成長します。共に生活を
し、生涯一緒にいます。

海底1000mぐらい深海にすむ
カイロウドウケツ科の六放海
綿類の一群。単体で円筒状。
胃腔中にドウケツエビがすみ
多く雄雌一対が共にいること
からこのエビに「偕老同穴」
の名がつき、のち海綿の名
となる

『偕老(かいろう)』(詩経に
も読まれる)
夫婦が仲良く共に老いる
まで連れ添うこと。
「偕老洞穴」生きては、
共に老い、死しては同じ
穴に葬られる意。
夫婦が仲睦まじく連れ添う
こと。


夫婦仲睦まじいのは、鶴や      
鳳凰も有名です。
鶴や鳳凰も、つがいになったら
一生添い遂げると言われてい
ます。その理由から、結婚式
の際の着物の柄に良く吉祥
模様として使用されます。

また、鶴は千年、亀は万年
と長寿でめでたいことの
象徴でもあります。
鳳凰は想像上の鳥で、聖天子の
出現とともに現れるとされます。
鳳はオス、凰はメス
を指します。

日本では平等院鳳凰堂や金閣寺
の屋根の鳳凰像が有名です。
鳳凰堂の像は現在の一万円札
の裏側にもあります。

鳳凰は、「平安」と言う意味もあり
夫婦円満な家庭を築くという
思いも含めて、衣装としてお召
になると良いです。

今日、11月22日、いい夫婦
の日に、結婚式を迎えられる
ご夫婦、是非とも一生涯の
伴侶と温かい家庭を築いて
ください。




2013年11月21日木曜日

『国家の役割』って何か? 国家観と歴史認識

先日、中学生の息子に『国家の役割』って何か?と質問された。
私たちの国、日本は、
島国で、他の国から     
攻めこまれること少
なく、平和に生活を
している中で、外国
の観光客が来てい
る時には、自分が
日本人であること
を知るぐらい
『国家』と言う言葉
を使うこともなく、
サッカーの試合や、
先日のグラチャン
バレーのような
『にっぽん!にっ
ぽん!』と自分の
国として応援する
ぐらいのもの。

さて、国家ってなんなのか?国家の役割って何か?

調べてみると、国家の役割は、三つを守ることにある
(一) 領土
(二) 国民の生命
(三) 国民の財産  この三つを守るのが、国家の役割である。

成程、ワールドカップやオリンピックで、自国を応援して、感動をもらっているが、いまいち、国家観が薄い、これは、やはり、戦後の教育なのか、、戦後の社会や歴史の授業において、縄文時代や弥生時代~江戸時代までは、詳しくしてたけど、戦後の話は結構薄かったように思う。

私たちの学生時代の日本史(国史)の教科書には、「大東亜戦争について」やその戦争中の「軍隊の事」などは、勉強しない。日本は、戦争に負けた、戦争については、語ってはならない、戦争=悪 軍隊=悪、とイメージしかなく、実は、何も知らない。
このまま、知らないまま、触れないまま、我々世代がお祖父ちゃんになり、孫からこの大東戦争事などを質問されても、何も説明できず、悪いイメージだけを伝えて良いのだろうか。
学校の教科書では、大東亜戦争とは呼ばず、第二次世界大戦と呼んだ。この二つは違うのか?

調べていくと、第二次世界大戦は1939年から1945年にかけて、枢軸国(日本、ドイツなど)と連合国(アメリカ、イギリスなど)の間で行なわれた人類史上二回目の世界大戦のこと。主な戦場はヨーロッパ戦線とアジア・太平洋戦線の二つ。
大東亜戦争は1937年(昭和12年)7月7日の蘆溝橋事件から1945年(昭和20年)8月15日の終戦の大詔煥発(ポツダム宣言受諾)まで続いた対米英並びに対蘭及び対中戦争に対する、かつての日本側による正式な呼称のこと

戦争は、悪である。悪であるが、我々世代は、正しく歴史を認識し後世に伝える義務がある。

戦後、「戦争は悪」と勉強もせず、考えることもせずに、安全な国に守られ、平和に感謝することもなく、親が子を殺す事件が後を絶たない日本。

国の一番最少単位の家族、家庭を
しっかりと築きあげないといけない。
そのためには、歴史認識や国家観が大切である。
自分たちは、日本人で、国家、国に守られて
生活していることそしてその国、社会に自分たちは、
何が返せるのかを考える事を子供に教えたい。


2013年11月20日水曜日

八風吹けども動ぜず、天辺の月

中條塾の教えで私の  
大切にしている言葉。

風吹不動天辺月      
雪壓難摧澗底松
(普燈録)

風吹けども動ぜず、
天辺の月
雪壓
(お)せども

(くだ)け難し 
澗底(かんてい)の松

風が吹くと地上の草木は
すぐにざわざわと揺れ騒ぐ。
天空の雲も風にあおられ形を
変えて流れ去る。だが天上の
月だけはどんな風が吹こうと
動ずることもなく、何処に
吹く風とばかり無心にして
輝く。

また、雪が降り積もれば、多くの草木はしおれたり、おしつぶされてしまうが、谷あいの厳しい環境の中で生え育った松は大雪にもびくりともせず、緑あざやかにして、また無心に松声を吟じている。

我々人間もこのように、どんな逆境、困難に会おうとも、決して負けることのない強い信念と意思を持って、乗り切って行こう!
『必ず乗り切れる。』




 

2013年11月19日火曜日

日本人の平和な家庭には、三声あり

日本人の平和な家庭には、三声あり。これは、先日の中條塾でのお話です。このお話に入る前に先日の11月の塾のテーマは、『知』である。
現代の成人日本人として、知っておく
べき「知とは、何か?」

現代、日本のほとんどの一流大企業に
勤めるエリートは、大学卒業であり、
当然の如く勉強しているであろう、事
「知」が、おろそかになり、『時務学』
ばかりの、儲け一辺倒で、儲かりさえす
れば、と銀行も、ホテルも、百貨店も、
儲け主義・利己主義に走り過ぎている
のでは、ないか、大学でしっかりと、
学ぶべき「知」を学んだのか、
儲けるための合理的な、テクニックばか
りを学び、心を学んでいないのでは
ないか?

明治の人は、列強に負けるなと、近代
国家・日本を創り上げてきたが、
今の儲け主義ではなく、第一銀行創設
した渋沢栄一のように、右手にソロバン
左手には、論語と言うように、四書五経
を学び、人間学を学んできた。

「知」とは、何か?
『民の義を務め、鬼神を敬して之を
 遠ざくるは、知と言うべし』
「知とは、人間が、人間としてしなければ
ならない事を身に付けて、神仏を信じて
敬い、そしていつまでも大事にすること。』
と孔子は、解く。
近代人は、仏教や儒教やキリスト教という一宗派としての宗教としてではなく
精神の文化文明の源としての偉大な教師の言葉と、自らの心を養う共通の
規範、教養として学びなおす必要あり。

先人の日本人が、皆学んできた、道徳心を再度見直し、商売を通して、世に役に立とう!

そして、日本人の平和な家庭の三声
一、赤ちゃんの泣き声
二、子供の素読の声
三、お母さんの台所のまな板の音、 お父さんの縄をなう音

何が、豊な人生なのか?
子供の四書五経の素読が聞こえる家庭、「勉強せよ」と子供に言うまでもなく、仕事を家で夜遅くまでする両親の背中を見て、子供は、勉強を自らする。
 

2013年11月18日月曜日

太陰太陽暦は一年354日。そして太陽暦は、一年365日。その差は、11日もある。

昨日は、千葉中條塾で、中條先生のご自宅にお迎えに行き、千葉木更津に到着した頃には、もう月が、出ていた。時刻は16時50分頃。 月は、ずいぶんと低くちょうど目線にまん丸と見えた。「ずいぶんと、日が短くなりました。」と先生に申し上げると、「そうだね、、それにしても昔の人は、不思議に思っただろうね、月が丸から、どんどんと陰り、形が変化していくのだから。」

確かに、そうだと思った。また、昔の今頃からの夜は長いのだから、月を見上げたり、読書をしたんだろうと考えた。

易経を勉強していると、冬至をスタートとして考える。『太陰暦』に出会う。旧暦や新暦と、よく言うが、その基準である、太陰暦と太陽暦に興味を持ったので、調べてみた。日本の旧暦と言うのは、それぞれを合わせ持った、『太陰太陽暦』である。

太陰暦は、月の朔望にあわせて、暦月の1ヶ月を約29.53日(29日 or 30日)として、1年を約354.367日としています。 季節の移り変わりは太陽の周期によるので1年約365.242日のため、太陰暦をそのまま使い続けていると、1年につき約11日、3年で約33日(約1ヶ月分)、暦と季節がずれてしまいます。 そこで、3年に約1回、19年に7回、閏月をいれることで、暦と季節のずれを調整したものが太陰太陽暦です。

したがって、太陰太陽暦は1年         
が、約354日で、19年のうち7年
は閏年で1年が約384日となり
ます。

太陰太陽暦では、19年で235ヶ月
となります。
(12ヶ月×19年+7ヶ月=235ヶ月)。
朔望月 29.530589日×235
=6939.688415日
太陽年 365.242194日×19
=6939.601686日
太陰太陽暦の235ヶ月と19太陽年がほぼ
同じながさになるので、暦と季節のずれは19年単位でほぼ解消されます。

太陰暦は、月の動き、月の動きは、海の潮の満ち引きと同じ動き。太陰暦は、農暦とも言われ、農業、作物の成長にとても基準としてあいます。日本だけでなく、中国、東南アジアなど農作の国は、基準として来ました。「イスラム教」の断食、「ラマダン」も太陰暦で暦を基準に行います。月の動きは、人間の女性の月経にも動きがあい、生命の誕生の神秘を感じます。
易経の基準は、冬至の日です。 陰陽消長の一年では、この冬至、春分の日、夏至、秋分の日を一つの基準に使います。

二十四節気は、太陰太陽暦の
「太陽暦の要素」にあたります。
二十四節気は、現在は太陽の
黄道360度を24等分したもの
(360÷24=15度)です。

立春(1月節)・雨水(1月中)
啓蟄(2月節)・春分(2月中)
清明(3月節)・穀雨(3月中)        
立夏(4月節)・小満(4月中)
芒種(5月節)・夏至(5月中)
小暑(6月節)・大暑(6月中)
立秋(7月節)・処暑(7月中)
白露(8月節)・秋分(8月中)
寒露(9月節)・霜降(9月中)
立冬(10月節)・小雪(10月中)
大雪(11月節)・冬至(11月中)
小寒(12月節)・大寒(12月中)

七夕を含め、五節句やお盆などは本来は旧暦のものです。
しかし、旧暦と新暦では1年の長さが違うため、旧暦と新暦の日付の対応は毎年かわります


旧暦は、冬至を基準に作られ、冬至が子月朔日と
なること(朔旦冬至)が理想とされています。

作暦の基準は二至二分で、冬至11月、春分2月、夏至5月、秋分8月になるように設定されています。結果的に立春前後が1月になりますが、優先順位としては冬至が11月1日になることが第一

太陰暦で、3月3日桃の節句、5月5日のこいのぼり、7月7日の七夕、9月9日の重陽を迎えると、季節感がもっと出ていたように思います。
毎日の月の動きや太陽の動きを観察して、暦を作った先人は、すごいなと思う。一年間を過ごし、移りゆく季節、そして節句などの行事で季節を楽しみ、「節」を考えた昔の日本人は、自然と共に生きてきたのだとしみじみと思う。日本と言うこの美しい国、「文化」をもっと世界に知って頂こう。



2013年11月17日日曜日

湯島天神の菊まつりと菊人形「八重の桜」

湯島天神の菊まつり! 先日参拝に行った際に撮影しました! 
今月11月1日から23日まで、開催されています。

『菊』、天皇家の紋章にも使わ
れている、神社本庁から頂く
神職バッチも菊のマークです。
その菊について、調べました。
秋の花、「菊」。

花言葉は「高貴」である。   

日本では、薬草や観賞用植物として
平安時代より用いられ、宮中では
菊の節句とも呼ばれる重陽の節句
(旧暦9月9日)が明治時代まで行われ、
現在でも皇室園遊会(観菊御宴)
として行われている。

日本で菊の栽培が盛んになったの         
は、栽培のプロセスが冬に芽をとり、
春に植え、夏に成長させ、秋に観賞
するといった具合で、イネの栽培と
類似していることが影響していると
の説がある。                       

観賞用のキクは奈良時代に中国
大陸より伝えられた。高潔な美し
さが君子に似ているとされ、

梅、竹、蘭と共に四君子
とされた。文学上は、『万葉集』には
詠まれておらず、『古今和歌集』、
『源氏物語』などから登場する。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、
9月9日を「重陽の節句」「菊の節句」とし     
菊花酒を飲む「菊花の宴」「菊花の杯」
で邪気を払い、長命を祈った。

菊文様も吉祥文様として、
好んで装束に用いられた。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことの
ほか菊を好み、自らの印として愛用
した。

その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇
多天皇が自らの印として継承し、慣例
のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊
が皇室の紋として定着した(「十六弁
菊は南朝の紋で、三十二弁菊(十六
弁八重菊)は北朝(および現皇室)
の紋である」との説明も見かけるが
根拠不明である)。             

江戸時代には幕府により葵紋とは
対照的に使用は自由とされ、一般
庶民にも浸透し、この紋の図案を
用いた和菓子や仏具などの飾り金
具が作られるなど各地に広まった。  

日本人の栽培方法の進化とともに、         
菊は観賞用として広がったのですね。

菊人形は、すごい作品と思います。
菊の花の色で、色とりどりの表現を行い
衣服の色彩に合わせて菊を栽培して
作り上げる。
菊の色や菊の花が、和服の着物の柄    
として菊人形はすごく素敵な出来上が
りと思います。
もちろん、今回の菊人形は、
NHK大河ドラマ「八重の桜」でした。

日本の文化を感じる菊まつりと菊人形
是非、湯島神社へ足を運んでください。

  

2013年11月16日土曜日

「機」を知り、「機」を生かして、開発し、成就すること。 『開物成務(かいぶつせいむ)』

最近読んだ本の一文。 繋辞伝に「知幾其神乎」というのがあります。訳すと、「幾を知る
は、それ神か」:物事の禨(きざし)を知るということは、神妙のわざといえようか

我々のこの宇宙            

はもちろんのこと、
人生もすべてそ
の中に機という
ものがある。
「機」とは、ある
一点を抑える
それが全体の
運行に微妙に
ひびく、「つぼ」、
勘どころのこと
である

商売であろうが、
日常生活の問
題であろうが、
いかにこの「機」
を捉えるかと
いうことが非常
に大事。
そのもっとも活
発に「機」を知り
「機」を生かす修
行をしている
代表的なものが
『禅』である。

易は、この「機」
を知って、放置
しておけば宿命
的になってしま
う問題を、豁然
(かつぜん、迷
妄や疑惑など
が、にわかに
解けるさま。)
として新生命を
開かせる。


これを『開物成務(かいぶつせいむ)』と呼ぶ。
物を開き務を成す。人のまだ知得しない所を
開発し、人の成そうとする所を成就すること。である。

人間の一生は、限られた時間の中で、何を残すのか、
生まれ、誕生してきたときに、持ってきた自分の使命を
この限られた時間の中で見つけ出し、「志」とし
後世に繋いでいくのである。
その時間は、実は、毎日毎日の積み重ね、
自分の天命をまっとうしたい !

2013年11月15日金曜日

大阪高槻の日吉神社へ参拝へ行こう!

今日は、私の同期で、大阪國學院第三十五期(珊瑚会)会長が、宮司として奉職されておられます神社をご紹介致します。 大阪、高槻に鎮座されてます、日吉神社さんです。
日吉神社のご祭神は、三柱(神様は、一柱はしら、二柱はしらと数えます)

大山咋命おおやまくいのみこと     
天照大神あまてらすおおみかみ
住吉大神すみよしのおおかみ


以上三柱の神様をお祀
りされています。
主神である大山咋命は、
比叡山の山の神で、
『大きな山の所有者』の意
もあり、「山王権現」とも呼
ばれます。
社名の「日吉ひよし」も古く
は、「日枝」「比叡」「稗叡」
とも表記しヒエとも訓んだ。

大山咋命は土木の知識
に優れ、治山・治水・農耕
開拓の守護神とされています。
特に万物を守護し魔を祓う御神徳が高く、家庭円満や縁結び、社業繁栄など多様なご利益をもたらすといわれています。
 広く各地で地主神として祀られている一方、滝の水でお酒を作った逸話から、酒造の神としても有名です。また、丹塗りの矢に変身して建玉依比売命(たけたまよりひめのみこと)と結ばれたという逸話もあり、 縁結びの神様としても崇められています。

JR高槻駅より徒歩18分圏内にある神社で、とても環境の良い神社です。

神社は、やはり『人』です。 この日吉神社の宮司は、人生経験豊富で、愛情豊かな方です。
神職として、神様へ我々の願い、祈願することをちゃんと届けて頂ける方です。

七五三、お宮参り、地鎮祭、学業成就、合格祈願、どうぞ、ご相談下さい。 
自宅の神棚のお祭りの仕方、作法からすべて丁寧に教えて頂けます。

是非、一度足を運んで宮司と話をしてみてください。
宮司様は、また、特にスイーツ(お菓子)が、好きなかたで、多くの美味しいお菓子情報
また、疲れた時に行ける、癒しの空間の喫茶店などの情報を持ってられます。

高槻のおすすめ神社情報でした!!





2013年11月14日木曜日

絵馬についてと人気の厄落としの絵馬

絵馬と言えば、やっぱり受験の時期に、最後の望みと願い事を書いて、神社に絵馬を
吊るしたことを思い出す。 最近になり、すごくいい絵馬だなーと思うのが、
JR大崎駅近くの大崎総鎮守居木神社にある、厄落としの絵馬だ、あれは、すごい!

厄や八(八方塞がり)、病、鬼、などの入った絵馬を購入し、その絵馬からそれぞれの
文字を落とす。まさに、自分で願いを込めて、落とす。
ものすごく、いいと思う。


居木神社(いるぎ)のホームページからは、
絵馬には氏名・年齢をご記入頂き、ご自身で「厄」の文字を落として絵馬掛けに結んで祈願します。 厄除祈願、八方塞がり除祈願、鬼門除祈願、病門除祈願、災難除祈願の5種類あり、初穂料500円です。』
すごく、カラフルで、綺麗で、沢山の方から支持されている。

絵馬とは、「神社・仏閣あるいは小祠・小堂に、祈願または報謝のために、馬その他の図を描いて奉納する絵のことを、絵馬と言う。」

日本では古くから馬が神   
の乗り物として神聖視さ
れ、祈願や祭りの際に
神の降臨を求めて生馬
を奉納したが、それが
簡略化されて馬形に変
わり、さらに板に描いた
馬、すなわち絵馬が表
れた。

絵馬の奉納習俗はすでに
平安時代からあり、浜松
市の伊場遺跡や大和郡
山市の稗田遺跡からそ
の実物遺品が出土して
いる。

絵馬の初めはいずれも
馬の図であったが、室町
時代から馬以外の図が          
現れ、漸次大型化して
くる。

一方、中世までみられた吊るし
たり懸けたりする形式の民族
信仰的要素を強くもつ小絵馬は
庶民の間に脈々と受け継がれ
現代にいたっている。

人々の願いを込めて、吊る
される絵馬。

どうぞ、神様に願いが
届き、それぞれの方の
所願成就してほしい。

2013年11月13日水曜日

お賽銭について

お賽銭について、前回の第6回良縁祈願参拝&祝詞勉強において、「お賽銭は、いくらが良いのか」の質問を頂いた。よく、ご縁を頂くということで、五円玉一枚の方が多いが、それでは、いくらなんでも安すぎるのではないか、と思っていた。
                           
お賽銭の歴史
本来、祈願成就の礼参りの際に
報賽として神仏に捧げた供物の
一つ。今日では、社寺への祈願
崇敬の表現として献納する金銭
の意となっている。恒例の行事
の供進物とは異なり、主として
個人的な臨時の祈願を目的と
した神供であり、古くは神前に
米を撒く散米、あるいは洗米を
神に包んで供えるオヒネリで
あった。

中世以降であり、庶民に貨幣経済と
社寺への参詣が浸透しはじめた時期
である。そして、参詣が一般化したこと
で都市の風習として、賽銭をあげるこ
とが流行になった。しかし、現在のよう
に賽銭箱が置かれるようになったのは
近世以降である。また、地域によっては
長らく米が供えられていた。

金額は、はたしていくらが良いのか?
気になる日本人のお賽銭は?             
お賽銭の全国平均は149.3円
(株式会社ウェザーニュースの2011年
年始アンケート調査結果 13,782人
(男性41%・女性59%)による) 

平均149.3円!これは、五円の人も
いれば、485円(四方八方からのご縁
がありますように)など、ごろ合わせで
お賽銭を入れる方もいる。 
ごろ合わせとは、例えば、5円玉
1枚で、「ご縁がありますように」。
2枚(10円)で「重ねてご縁がありますように」、
3枚(15円)で「十分ご縁がありますように」
4枚(20円)で「良いご縁がありますように」
9枚(45円)になると、「始終ご縁があります
ように」という具合だ。
         
この結果を都道府県別に見てみると、最もお賽銭が多かったのは、福井県で238.9円、2位は奈良県で208.7円、3位は石川県で200.9円でした。1位の福井県は平均と比べると約90円も高く、一番少なかった徳島県の90円と比べると、約150円も多い結果になりました。また、この結果を男女別に見てみると、男性の平均は168.2円、女性の平均は135.8円になり、男性の方が32.4円多く払っていることがわかりました。また、男女年代別に見てみると、一番高額なのは、60代女性で241.7円でした。その他の年代は男性の方が女性よりお賽銭の額は多く、年齢が上がるほどお賽銭の額が多くなる傾向にありました。 一つの目安にして下さい。
ちなみに東京都は、第15位で162.0円 大阪府は、第36位で133.5円でした

私は、やはり母から教わった、100円だと思っている。 平均のお賽銭金額よりも低い金額ではあるが、よく月参りに行く、大阪の住吉大社さんは、本殿、摂社、末社とまわると15社あり、お賽銭金額の総額は、100円でも1500円は、ご奉納となります。また、家族で行くと、子供のお賽銭は、
お父さんやお母さんが渡したりするから、、、結構、ご奉納になりますよね、、
参拝の何日か前から、100円玉を貯めて、参拝へ出かけます。

心より感謝をこめて、手を合わせましょう!





       

2013年11月12日火曜日

社長は、易経でいう、『乾為天』の四徳を行う者を目指さないといけない。

易経に『陰陽消長』と言うのがある。八卦から作られた、六十四卦より一年間の十二か月にあてはめた十二卦。それぞれの卦の物語を読みながら、一年間,「春夏秋冬」の移り変わりを感じる。作物を育てるには、冬の時代に田畑を耕し、十分に土壌を肥やす。春に種を蒔き、水や養分を与る。夏には、どんどんと成長していく、そして同じく雑草なども生えてくるのを除去し、虫が着くのをはらう。秋には、実りがあり、収穫をする。 
それらの周期を十二卦で表現したものが、この陰陽消長。 陰の部分か減り、陽が増えていくところから、頂点の「乾為天」までそして、陽が減り、陰が増えて「坤為地」まで。物語があるのです。

新暦十二月~一月の時期        
地雷復 
新暦一月~二月
地澤臨
新暦二月~三月
地天泰
新暦三月~四月
雷天大壯
新暦四月~五月
澤天夬
新暦五月~六月
乾為天
新暦六月~七月
天風姤
新暦七月~八月
天山遯                   
新暦八月~九月
天地否
新暦九月~十月
風地観
新暦十月~十一月
山地剥
新暦十一月~十二月
坤為地

陽の最大になっている
『乾為天』の物語、
卦辞(かじ)を紐解くと
乾、元亨利貞。(けんは、げん こう り てい。)
乾は元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただし)きに利(よろ)し。
天地宇宙の生成発展は、萬物を照らし続ける太陽の営みのように健やかである(天行は健なり)。
君子を目指す者は、萬物を照らし続ける太陽の営みを見習って、自らを強く健やかに養い続けて、一日たりとも休まないのである。(君子もって自彊して息(や)まず)。

さらに、深く読むと、
元は善の長也。亨は嘉(か)の會也。       
利は義の和也。貞は事(こと)の幹(かん)也。
君子は仁を體(たい)すればもって人に長たる
足り、會を嘉すればもって禮に合するに足り、
物を利すればもって義を和するに足り、貞固なれば
もって事に幹たるに足る。君子は此の四徳
行う者なり。故に曰く、乾は元亨利貞と。

上記を口語訳すると、
乾の卦徳の一つである「元」は、萬物の善き始まり
である(元は善の長也)、「亨」は、萬物が喜び出逢
い成長することである(亨は嘉の會也)「利(益)」は
義(大義、正義)の根幹である(利は義の和也)
「貞(義)」は事(あらゆる物事)の根幹である
(貞は事の幹也)人の上に立つ指導者(君子)は、
己を虚しくして萬物を照らし続ける太陽のように、
遍く施す仁を体得するからこそ、大衆から尊崇され
るのである(君子は仁を體すればもって人に長たる
に足り)。あらゆる物が成長して、全体が調和するからこそ、人間社会のルールが成立するのである(會を嘉すれば以て禮(らい)に合するに足り)。全体が調和して、あらゆる物を利するからこそ、義(大義、正義)を積み上げることができるのである(物を利すればもって義を和するに足り)。常に義(大義、正義)を貫くからこそ、事(あらゆる物事)の根幹たる存在になり得るのである(貞固なればもって事に幹たるに足る)。
人の上に立つ指導者(君子)は、以上の四徳仁、礼、義、智)を体現した人物である。
それゆえ、乾の卦徳は、元亨利貞というのである。

四徳を体得できるように、日々努力するほかに、道はないのだと思いました。





2013年11月11日月曜日

「親に感謝」を伝える新婦の手紙は、『家族の絆』が温かく感動する。「孝」について。

結婚式の最後に読む、新婦からの手紙。 いつも感動の渦を巻くのは、両親への感謝の
気持ちである。 それは、手紙を聞きながら自分自身の父や母を思い、自分自身の
親への感謝の念もどんどんと湧いてくるのもあり、涙する。
その涙や感謝の気持ちは、温かく会場全体を一つにしてくれる。

昨日、千葉中條塾の先輩から、便りを頂いた。 その他よりの中に、連絡事項の他、
「孝行」の『孝』について、教えて頂いた内容を紹介したい。 
以下手紙文の紹介~

『孝』というのは、「土にノ」と「子」の   
合一を表現しているそうです。
「土にノ」は、『老』のことであり
先祖とすれば「子」は子孫、

天心は、和にあり。
和とは生成の元でありますから、
天心を神授し、人心は和を宗とし
これを生涯規範として

古聖は「孝」の字を創出し
教えを垂れているのだと愚考
します。

三種の神器の鏡も円つまり和
玉も球つまり和、共に儒学に           
おける知、仁を具象化し、
これを顕現するにわざわいと
なる邪心(己の中の邪心)を
斬る剣、勇を具象化していると
思います。

~以上が、頂いた手紙の抜粋。

まさに、『孝行』を積むことが、
『感謝』を伝えることが、
『和を大切にすることが、
日本人の心である。

最後に、中條先生に頂いた
言葉も紹介する。
『積善之家 必有余慶』
積善の家には、必ず余慶有り。
善い事(親孝行)をする家には、
必ず沢山の慶び事が有りますよ。
と言う意味。

日本人として、「家」を大切に、祖先、親を大切にし、
『和を尊し』、『親孝行』、『感謝の念』で
これらかも『絆』をずっと造り続けたい。

2013年11月10日日曜日

商売繁盛の神様! 京都の伏見稲荷をお参りする。

京都伏見稲荷は、全国稲荷神社の総本社です。 JR東日本の「そうだ!京都に行こう。」の
ポスターで見かける、赤い千本鳥居がインパクト強いお稲荷さん。
「行ってみたい!」と、魅力を感じます。 まさに、京都の代名詞とも思える神社です。
伏見稲荷大社の主祭神は、宇迦之御魂大神です。

                               
全国の稲荷神社の多くはこの            伏見稲荷大社が勧請されたもの
です。各地の稲荷神社では、
宇迦之御魂大神や、保食神、
御食津神などを主なご祭神として
います。このご祭神名につく
「うか」「うけ」「け」は古く食物を
意味する言葉です。

お稲荷さんは農業の神様であり、
古くから稲作を中心としてきた
日本人にとっては親しみやすく、
また、重要な神様だった。
現在は、商工業から、商売繁盛
の神として崇敬されます

日本人は、春先になると
山から人里近くに現れるように
なる狐の姿を「山の神、つまり
「田の神」のお使い、ひいては        
お稲荷さんのお使いとして
神聖視したのだと考える。、

伏見稲荷に参拝に行くと、
沢山のお稲荷さんがあることに
圧倒される。何社あるのか?
今から13年前に、私の尊敬する
神職より、商売するなら伏見稲荷
は年2回行きなさい、そして自分
にすごく相性良く感じる稲荷を
探せといわれました
あの、沢山のお稲荷さんの中
から、どのように探せが良い
のか? 沢山お参りした中、
私はどうも、第一宮の末広稲荷
さんが、相性よく感じ、いつも
山頂まで登ります。

片道ちょうど30分山を登ると
一宮にたどり着きます。
そして、稲荷大神秘文を奏上
するのです。

伏見稲荷のお山を登って行くと
途中に、遠くに京都の下町がのぞめます。
大阪からは、京阪で40分。
下のご社殿から、上りはじめ
熊鷹神社、三宮、二宮、一宮とあります、     

是非とも参拝してほしい神社です。

いつか商売繁盛に成功したら、
この鳥居一本をご奉納したい!
私の夢と目標にしています。


 






2013年11月9日土曜日

龍の神様、「龍神」をもっと知りたい。

龍の神様、「龍神」をもっと知りたい。 私が、参拝した神社の中で、龍神の祀られている神社
箱根神社の八大竜王神社岐阜の御嶽山にある九頭竜神社宮崎の八大竜王水神社
があります。また、埼玉・秩父神社には八大竜王が、祀られています。

又、品川神社の鳥居や杉並の   
馬橋稲荷神社の鳥居にも龍が
巻きつき天に向かっています。
龍の絵が天井にある湯島天神。

龍は、天と地を結ぶ神
また、雨を操る神として
農業を営むとする、日本人
は、稲荷神社とともに、
龍神を祀りました。

龍は、想像上の動物と言われ
、雲を起こし雨を呼ぶ
天津神と国津神に通じる
神の使いと言う。

角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼
(幽霊)あるいは兎、胴体は蛇
腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は
鷹、掌は虎、耳は牛にそれ
ぞれ似るという。また口辺に
長髯をたくわえ、喉下には
一尺四方の逆鱗があり、
顎下に宝珠を持っていると
言われる。秋になると淵の中
に潜み、春には天に昇るとも      
言う。

龍の爪の数に、違い
がある。
1297年(大徳元年)、中国・元の
朝廷は五爪の竜を天子の象徴と
し、一般の使用を禁じた。
これは中華思想が元にあり、
皇帝の威厳を保つ役割もあった
とされる。
なお、4本爪は貴族、3本爪は
士族、2本爪は臣民、1本爪は
卑民を守護するとされている。
しかし、日本では竜の爪の数に
中国ほど意味を見出しておらず
一般的には三爪で描かれるが、
京都の天龍寺にある天井画の
龍や錦絵「通俗水滸伝豪傑百
八之内九紋龍史進」の刺青で
は5本爪である。

八大竜王
 1.難陀(なんだ)竜王              
 2.跋難陀(ばつなんだ)竜王
 3.娑伽羅(しゃから)竜王
 4.和修吉(わしゅきつ)竜王
 5.徳叉迦(とくしゃか)竜王
 6.阿那婆達多(あなばだった)竜王
 7.摩那斯(まなし)竜王
 8.優鉢羅(うはつら)竜王

龍神祝詞
高天原に坐し坐して 天と地に
御働きを現し給う龍王は    
大宇宙根元の御祖の神にして
一切を産み一切を育て
萬物を御支配あらせ給う王神なれば 
一二三四五六七八九十の 
十種の御宝を己がすがたと
変じ給いて  自在自由に天界地界人界を治め給う
龍王神なるを尊み敬いて真の六根一筋に御仕え申す
ことの由を受引き給いて愚かなる心の数々を戒め給いて
一切衆生の罪穢の衣を脱ぎ去らしめ給いて
萬物の病災をも立所に祓い清め給い萬世界も
御祖のもとに治めせしめ給えと
祈願奉ることの由をきこしめして 六根の内に念じ申す
大願を成就なさしめ給えと 恐み恐み白す

天と地を結ぶ、龍神祝詞、この祝詞は、力が湧いてきます!
毎朝、龍神祝詞をあげて
八大竜王にお越し頂き、パワーアップ!

2013年11月8日金曜日

『易経』に出てくる「八卦太極図」と『日本書紀』の天地創造

四書五経と言うのを聞かれたことがあると思います。儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」。その中の、「易経」に今日は、クローズアップします!

                    
易経」、『易』は、いわゆ
る占いの易です。

最近、神前にて祝詞を
あげる前に、先天の三種
の祓詞をあげるのですが
その際に出てくる。

乾・兌・離・震・巽・坎・
炊・艮・坤 (ケン・ダ・リ
・シン・ソン・カン・ゴン・
コン)は、どんな意味が
あるのか研究していると
出逢ったのが、『易経』
そして、『八卦太極図』  
です。  

『日本書紀』には、混沌から
陰陽が分かれて天と地に
なったと記されています。

この「混沌」の部分が、易経の
八卦太極図の中の、「太極」の
部分に似ています。
そして、その太極から、陰陽に
分かれて、陰陽に分かれた
爻位(こうい)が、陰陽にわか
れて、八つになった形。これ
を卦と言います。                     

この八つの卦は、それぞれ意味を持ってます。

自然界の意味では、
天・澤・火・雷・風・水・山・地 の意味があり。

性質の意味では、
健・悦・明・動・入・陥・止・順 の意味があります。

つまり、八卦の両端は、天と地になっています。その間の六つが、自然そのものを表して
います。 八卦は、さらにこの卦を二つかさねて、六爻を一つの物語として、
全部で六十四の物語があります。
これらは、それぞれ時流の中での、一つの時中を表します。

これから易経を勉強していきます。研究成果を随時、ブログに
書いていきます。 神様の勉強と易経は宇宙学の勉強です、共通するものがあります。