最近読んだ本の一文。 繋辞伝に「知幾其神乎」というのがあります。訳すと、「幾を知る
は、それ神か」:物事の禨(きざし)を知るということは、神妙のわざといえようか。
我々のこの宇宙
はもちろんのこと、
人生もすべてそ
の中に機という
ものがある。
「機」とは、ある
一点を抑えると
それが全体の
運行に微妙に
ひびく、「つぼ」、
勘どころのこと
である。
商売であろうが、
日常生活の問
題であろうが、
いかにこの「機」
を捉えるかと
いうことが非常
に大事。
そのもっとも活
発に「機」を知り
「機」を生かす修
行をしている
代表的なものが
『禅』である。
易は、この「機」
を知って、放置
しておけば宿命
的になってしま
う問題を、豁然
(かつぜん、迷
妄や疑惑など
が、にわかに
解けるさま。)
として新生命を
開かせる。
これを『開物成務(かいぶつせいむ)』と呼ぶ。
物を開き務を成す。人のまだ知得しない所を
開発し、人の成そうとする所を成就すること。である。
人間の一生は、限られた時間の中で、何を残すのか、
生まれ、誕生してきたときに、持ってきた自分の使命を
この限られた時間の中で見つけ出し、「志」とし
後世に繋いでいくのである。
その時間は、実は、毎日毎日の積み重ね、
自分の天命をまっとうしたい !
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