2013年12月31日火曜日

伏見稲荷大社の神々へ、感謝と祈願参拝

伏見稲荷大社に一年の感謝と来年に   
向けての祈願参拝致しました。

伏見稲荷さんには、年に二回必ず
参拝させて頂きます。参拝の時は
一の社、上社末廣稲荷さんまで
上がります。

今回の参拝には、家族も連れて
行きました。山(稲荷山)に登ると
言う健康もかねての参拝です。

伏見稲荷大社の名の由来は、
『風土記』の伝承があります。                  

和銅六年(713)の五月二日時の政府は『風土記』
編纂命令が出、各国々の国司・郡司や九州の場合
は大宰府が編纂をはじめた。
『風土記』の中に、伊奈利社の社名誕生の由来が
記載されている。                                
「伊奈利と称ふは、秦中家忌寸等が遠つ祖、伊侶
具秦公、稲梁を積みて富み裕ひき。乃ち、餅を用ち
て的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山
の峯に居り、伊禰奈利生ひき。遂に社の名と為しき。」    
と言う文がある。
訳すと、                                   
「秦公伊侶巨が稲を積んで富み栄え、餅を弓の的に
したところ、白鳥になって飛び去り、山の峯にとどま
って、稲が生えた。そこで、伊禰奈利(稲生)を社の
名とした。」

伏見稲荷大社の大神は、延喜五年(905)から編纂
が開始されて延長五年(927)にできあがった。
『延喜式』の「神名帳」山城国紀伊郡の明神大社と
して「稲荷神社三座」と明記されているように、
宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神
を奉斎していた。

宇迦之御魂大神のウカノミタマは倉稲魂とも表記
し、ウカはウケと同じで「倉(食物)」の御魂の神で
あり、『古事記』には速須佐之男命(スサノヲノミコ
ト)と大山津見神の娘の神大市比売との間に生ま
れた神として「宇迦之御魂」の神と記す。


佐田彦大神は『二十二社
註式』に猿田彦神とするように、
天孫降臨神話における先導の
神猿田彦神とする信仰にもとづく。

大宮能売大神は宮中の
御巫の祭る八神の一神で朝廷で
篤く信仰された神でもあり、『延喜
式』の大殿祭の祝詞では、宮中の
安泰を守り「言直し和しまして、
皇御孫命の朝の御膳(みけ)・夕
べの御膳に供へまつる」宮人の
神と述べられている。

後白河法皇の撰なる『梁塵秘抄』        
のつぎの歌である。

稲荷をば三つの社と聞きしかど
今は五つの社なりけり

平安時代の末ごろから鎌倉時代
のはじめのころには五社の稲荷
大神になっている。
さきの三神に田中大神と四大神
が加わって、現在の五社相殿
なっている。

田中大神も田の神であり、
四大神は、春・夏・秋・冬のなか         
で稲が生長変化してゆくありよう
にもとづくとする神。

伏見稲荷さんでは、千本鳥居を
通り抜け、階段をすすみ、池の
ほとりにある、熊鷹社において、
いつもロウソクを奉納致します。

そして、次に続くお山を上がり、
一息つくのが四辻。ここで、
京都盆地をながめます。

そしてそこからさらに登ると下社、
中社、上社と続き。上社において、
ロウソクとお供えをして、祝詞・
稲荷大神秘文を奉唱致します。

平成二十五年も無事に終わり、平成二十六年の午年、
前半から掛け登れるように走りぬきます。

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