2013年12月22日日曜日

心学と『正直の徳』の物語

心学とは、その思想は、神道・儒教・仏教
の三教合一説を基盤としている。

その実践道徳の根本は、
天地の心に帰することに
よって、その心を獲得し、
私心をなくして無心となり、
仁義を行うというものである

心学の開祖と言われる、石田梅岩の思想
には、「二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、
自死するやうなこと多かるべし」
「実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり」
(訳文)
『儲けしか目に無い人達は目先の欲に
かられて後から出る損害のことを考えて
おらず結局自らの行いで首を絞める
ことになってしまう。本当の商人なら自分
の利益を考えつつも相手側にも損をさせ
ない商売をするものである』

と、実にシンプルな言葉で「企業の社会的責任」の本質的な精神を表現した。

その最も尊重するところは、『正直の徳』であるとされる。

『正直の徳』のエピソード、沙石集の『いみじき成敗』の中に出てきます。

ある日、夫が道で餅を売っていると、袋が落ちているのを見つけました。
袋の中には、銀の貨幣が「六枚」入っていました。
家に持って返り、妻に見せたところ、妻は、「私たちは特に生活が
困っているわけでもありません。この落とし主の方は、どんなに
嘆いていらっしゃることでしょう。落とし主を捜して返しましょう」と言います。
夫も「本当にそうだなぁ」と言って、広く落とし主を捜します。
すると、落とし主がすぐに現れました。
あまりにうれしくて、「銀の貨幣を三枚差し上げましょう」と言い、
今にも分けそうだった、その時に、悪い心が出ます。

落とし主は、「もともとは、銀の貨幣は七枚あったが、六枚とは
おかしいではないですか。一枚、隠したのではないですか?」と言い出します。
夫婦は「そんなことはありません。最初から六枚でしたよ」
と言うのですが、話し合いはうまくゆかず、とうとう、国の長官
のもとで、裁判になりました。国の長官は、眼力に優れていて、
落とし主は不実で、拾った男は正直者だと直感した。
男の妻にも別の場所で詳しい状況を聴いてみますが、夫の言い
分に少しも違いがありません。国の長官は、この妻はとても
正直な者であると判断して、落とし主が不実であることは、
確かなことだと思いました。

そして、判決を下します。
「このことは、確かな証拠がないことであるから、判決は難しい。
ただし、どちらの者も正直者と思われる。餅売りの夫婦の証言も
違っていない。しかし、落とし主の証言も正直に思われる。
・・・となれば、落とし主は、七枚あった銀の貨幣が入っている
袋を探してそれを自分の物とすればよい。この銀の貨幣が六枚
入っていた袋は、別人の落とし物であろう」
このように判決を下して、六枚全部を夫婦に与えた。
人々は、素晴らしいお裁きであったと、みんなが褒めそやしたそうです。

正直者であれば、自然と天が宝を与えてくれるし、不実である者は、
神仏が怒って、財産を失うことである。
本当に、心は清く素直であるべきだ。

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