45歳になって、神主の道に進み 50歳になって、『神明奉仕』が天命と心より思うようになった。次の10年間、人生を神道に捧げたいと考えた男のブログ。 人生無駄なし!すべては、人の縁である。
2013年12月21日土曜日
「誠」によってのみ「道はひらく」「道は興せる」
「誠」、「誠実」とよく言葉を耳に
したり、友達の名前に見たり
するものだから、その人柄や
イメージが勝手に先行し、
「誠」と言う、深い意味に
触れる事が無かった。
人間学の中では、非常に
重要でかつ、力強い意味が
あるこの「誠(まこと)」について
今日は、勉強した。
「道をひらく」や「道を興す」と言う言葉は、
我々の魂をゆり動かし、これを燃え上がらせる。
しかし、ただ、「道を興すんだ」と考えるだけ、言うだけでは、道は興せない。
「自分の道をひらくのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、このわが身、
わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、
開かれるのである。
真の誠は、その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、しかも常にその足らざる
ことを歎くものでないとならない。
誠に至るのは、何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむこと。すなわち
全身心を提げて、それに投入する以外にはない。かくして誠とは、畢竟(ひっきょう)
するに、「己れを尽くす」という一事に極まるとも言える。
=自己の一切を投げ出すということ。自己の内なる醜い我見をえぐり出し、そこに
初めて開かれる。
真の誠への歩みは、「全充実の生活」と言っても良いのである。
古来、誠ほど強いものはないと言われるゆえんである、
「至誠(しせい)にして動かざるものは
未だこれあらざるなり」
誠は真の力なり
人間学を勉強するにあたり、大変大事な言葉である。
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