2013年12月26日木曜日

「いつまでも残るもの」

「いつまでも残るもの」と言うのが、   
その人の生き様=精神
なのだと思う。 そんな人間の
一人に、二宮尊徳がいる。

昔小学校の校庭の片隅にあった
マキを背にしょって、本を読んで
いる銅像が、よくあり、子供
ながら、「誰かな?」と思って
母に尋ねた事を思い出す。
「二宮尊徳さんやで、すごい
努力家な人で、苦労して勉強
して、偉くなった人やで、、」
と教えてもらったことがある。

この45歳にして、最近読んだ
本に二宮尊徳の歌があり、
感動したので、調べてみた。

山寺の 鐘つく僧は 見えねども
四方(よも)の里人 時をしるなり
尊徳翁

遠くから、鐘の鳴る音が聞こえてくるなーー、ああ、もう5時かーー帰ろう。
と里人は、思う。誰がこの鐘を打ってくれているか知らないが、ありがたいなー
と山の四方八方に聞こえる鐘の音は、人々の為になっている。

貧しい農家の息子として生まれた二宮金次郎(尊徳)は、今の神奈川県の
小田原市に生まれる。親を幼くして亡くし、遠くの山にまで蒔きを拾いにいき
それを売り、また、川の氾濫する堤防を作りと努力して仕事をしながらも
勉強(四書五経)を独学した子供時代。やがて、認められて、藩の立て直し
農村の経営方法などを藩に提案して、藩財政を立て直すようになる。

有名な「報徳仕法」がある。
報徳仕法は、「勤労」、「分度」、「推譲(すいじょう)」の三つの原理に基づいている。

「勤労」とは、収入を得るための生活の基本である。漫然と働くのではなく、知恵を
絞って勤労を最大限に効率化するための自助努力を金次郎は求めた。

「分度」とは、自分の収入を知り、その枠内で一定の余剰を残し、それに応じた
支出の限度額を設定することだ。つまり、藩や旗本の領地における分度の設定とは
「上納米[年貢)限度額の設定」と「支出額の設定」をすることである。まず上納米の
限度額は、過去の実収入の平均を割出、設定する必要がある。そして支出額は、
算出された収入額に従い、財政に余剰を残せるように設定しなくてはならないと
金次郎は説いた。

また分度を設定し、倹約に努めることで生み出そうとしたのが余剰だ。これは、
最後の原理である推譲と不可分の関係にある。その余剰を翌年のために蓄えたり
子孫や他人に譲ることを「推譲」と言い表し、仕法の根幹を成す。

「国が衰弱する原因は、藩政の基本である分度が明らかではないため、出費に
節度がなく、領民から際限なく取り立て、知らず知らずのうちに過重な租税に
よって領民を窮乏させていることにある。」

まさに、現代にも通じる手法、PDCA(プラン、ドウ、シーアクト)のサイクルに
なって、藩の財政をアップさせ、農村のやるきを出させ、飢饉を回避し、
農民を救った。

我々は、勉強、努力は、まだまだ必要である。

 

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