神棚で、日々祝詞をあげていると感じることがあります。 近頃感じるのは、「何のために働くのか」です。人は、何のために働くのでしょうか?
六根清浄大祓と言う祝詞に、『天照皇大神の宣く人は則天下の神物なり 須掌静謐心は則神明との本主たり(アマテラシマススメオオカミのノタマワク、ヒトハ スナワチ アメガシタのミマタマモノなり、スベカラクシズマルコトをツカサドルココロは すなわちカミとカミとのモトノアルジたり)』とあります。人は皆、この大地に生まれ、神から頂いた心を持っている。心が神ですよ。と言っています。
人は、心・魂を天から頂き、身体は、両親・先祖から頂き、この世に生まれてきました。その一人ひとりが持っている「心」は、神であり、自分自身です。
この「心」を磨き、寿命(じゅみょう)が来たら「あの世」、もとの世、心を頂いた所に戻るのです。
その帰る時に、お金や財産を持って帰る事は出来ず、唯一、「心に付けた、『徳』だけ」を持って帰るのです。この『徳』をどのように心・魂・自分自身に付けるのか?
これは、ただ一つ、「働いて」付けるのです。
働くというのは、どうしても一人では上手くいかずに、この世において、他人と一緒に必ず働くようになります。一緒に働くという表現でも、誰かがいてその人の為(お客様)に働くこともあります。大きな視点で見ると、「自分の心、魂を向上させるため、徳を付けるために、働かせて頂いている」のです。他人との間で、心に徳を付けるのです。
「働く」にあたり、対価を頂き、そして賃金を頂きます。この目的は、自分の心・魂に『徳』を付けるために、働くのですが、どうしてもその対価、賃金、そして財産が、目的になりがち。
四書五経の大学に出てくる、『徳は本なり、財は末なり』と教えられる。
徳でなくて、財だ!と言うと、それは、『本末転倒』ですよ、と言われるゆえんです。
商売をして、経営していると、どうしても目に見える目標、売上目標を立て、金額を出す。これは、目標ではあるが、結果なのに、、
人として、この世に産んで頂き、限りある寿命の中で、自分の使命を全うし、「徳」を授かり、戻れるように、日々努力を積み重ねて、今日も明るく、楽しく、元気よく!
0 件のコメント:
コメントを投稿