平常心是道と言う言葉を初め
てお聞きしたのは、平成19年
5月の中條塾でした。
「先生、社長として必要な事
は、何ですか?」とお聞きし
際に頂いた言葉に、
「そうだね、恕(じょ)の心と
平常心是道だね。」
と教えて頂きました。
当時、「平常心是道」と教えて
頂いても、「???」
平常心は、商売が、上がる時
も下がる時もそれ程慌てる事
なく、気持ちを落ち着かせて、
平常心を保てば良いことかと考えていました、、、、
違う!!
この46歳にして知りました、、今頃、森信三先生の『修身教授録』を読み
返した時に、まだまだ実行には移せていないのですが、、
違うということが分かった。
具体的例が、書いてありました。
高僧と凡僧との違いは、坐禅を解いてからの
言動でわかる。坐禅を組んでいる間は、
高僧も凡僧も格別の差はないと言えるが、
ひとたび坐禅をやめたとき、凡僧は「アア」
などとあくびをして、坐禅はもうすんだものと思う。
ところがえらい坊さんは、坐を解いても坐禅が
すんだとは思わない。
それどころか、真の坐禅はむしろこれから
始まると思って、一層その心を引き締める。
同時にそこに人間の優劣の岐れ目があります。
坐禅を何十年したとて、坐禅の後で「アア」
とあくびなんかして、「ヤレヤレ今日もこれで
すんだわい」などと考えている程度では、
坐禅をしないと同じこと。
要するに、平生が大事なのです。
このことを「平常心是道」と言う。
剣を持ったり、坐禅をしている間だけが修業ではなく、むしろ修業は
竹刀を捨て、坐禅を解いてから始まる。
同じく、社長としての平常心を持つのは、景気が上がった時、下がった時
の間ではなく、常に日頃より、平生から平常心を持ち続けることとが
平常心是道となり、「道」なんだ。と気付かされました。
剣術・柔術と昔はいい、「道」とつけるには、その技術以外に
平生の行動、平生の言動、平生の生活においても「剣道」「柔道」の
修業をしている人間にふさわしく行動することが、「道」なのだ。
中條先生が、平成19年に教えて頂いたこの
「平常心是道」と言う言葉の意味は深く、
景気に左右されずに、平生から、「平常心」を保ち、
社長として冷静に、行動、言動、生活をすることが、
あなたの社長としての「道」なのですよ、、
と言われていた。常、日頃、なのです。
あああ、ふかいです。
もっと修業しないと行けません。今日も頑張ります!!
今日は、6月30日、「大祓の日」、大事な日ですね。
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