2014年6月29日日曜日

昨日の披露宴で感動した言葉に  
「愛は、心を受ける
と書きます、新郎
新婦様が、お互い
の心を受けあい、
思いやり、愛情
一杯の家庭を
作って下さい。」

すごく素直な素敵な言葉だった。

キリスト教式の際、よく牧師
先生が引用する、聖書の言葉
「コリント人への手紙」がある、私の好きな言葉なので、紹介します。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみ
ません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに
真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。

挙式の中で、素直な気持ちでこの言葉を聞くと、日頃「愛」と言う言葉が恥ず
かしく、使いにくいと思っていても受け入れる言葉です。

昨日の、「愛は、心を受ける」と書きます。という言い方は、
素直で良かった。

人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。夫婦の中で、
相手の心を受け取れば、すごく良いのだと思う。

それでも「心を受ける」という言葉を考えると、「求める心」、「謙虚な心」
さえあれば「心の鏡」は随所にあらわれて、自分で自分の心を見れる。

自分の周囲にある物、いる人、これらはすべて、自分の心の反映とも
いえる、「自分の心の鏡」である。

つまり、夫婦は、互いに「自分の心の鏡」なのだ。

「自分の目の梁(はり)」を外して、相手をよく見て、自分の心の鏡と思って
相手の心を受け入れると、夫婦円満に、良き家庭が作れるのだろ、、

結婚して16年、私ももう一度家内の心を
我が心の鏡と思い、受け入れたい。


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