2014年5月21日水曜日

大阪谷町と山本能楽堂


私の実家の辺りは、谷町と呼ばれる
場所です。大阪のシンボルでもある、
大阪城の近く、大阪でも高台の上町
台地にあります。その西側に坂を
下るあたりを、地形からも谷となり、
谷町と呼ばれます。
一丁目から九丁目まであり、明治の
初期には、大相撲好きなお医者様
が、谷町七丁目ぐらいにおり、相撲
力士が来たときは、診療代を取らず
また、逆に力士などにスポンサーと
して応援したところから、相撲隠語
として、応援してくださるスポンサー
「タニマチ」と呼ぶらしいです。
                                

そのタニマチ、大阪谷町の旦那衆         
の中で、人気であったのが、上方文化
の『能』でした。「能舞台」を昭和2年
に創建され、今で87年になる山本
能楽堂様と今回、ご縁を頂きました。

昨日その山本能楽堂の山本様より         
お話を頂く機会を得、ご挨拶に行って
参りました。実家から徒歩5分のこの
山本能楽堂さんは、私が小学生~
高校生になるまで、ほぼ毎日前を歩い
ていた場所!!驚きです。

そもそも「能」って何かということから
資料を頂きました。それによると、
「能」は650年前に生ま
れた世界で一番古い
仮面劇。2008年には
ユネスコ世界無形文化遺産になりました。
能の起源は古くまでさかのぼり、能の役者で作者でもあった観阿弥と
その息子の世阿弥が、室町時代に能を大成し、将軍足利義満の庇護を
受けて大きく発展しました。豊臣秀吉をはじめとする、戦国時代の武将達
は熱心な能の愛好家で、衣裳や能面を作らせて、自ら能を演じました。
そのため、能の所作や構えは、剣術とよく似たものとなっています。

江戸時代になると、能は武家の式楽となり、古典芸術として守られ、洗練
されていきます。明治維新により武家社会が滅び、能はその基盤を失って
崩壊の危機に直面しますが、武家の代わりに新政府要人や貴族、財閥の
保護を受け、能はさらなる発展をとげ、現在まで変わることなく伝えられ
続けています。

能という世界は、小さいころ祖父が自宅でなんとなく謡曲のような、ものを
謳いながら、舞、扇子を広げていたような記憶がうっすらと残っています。
あんな小さい頃には、まったく興味がなかったことが、この45歳になり、
すごく興味があり、神道にも繋がるこの能舞台、感動で、今回の出会い、
ご縁に胸が熱くなりました。

山本様から頂いた山本能楽堂の資料曰く、「能はご自身で想像
して楽しんで頂く芸術です。能の中には、人に恋い
焦がれる気持ち、親子の愛情、戦争の苦しみ、
平和への願いなど、室町時代の人々も現代の人々
も共有できる時代を超えた普遍的な人間の思いが
描かれています。この日本人としての魂のさけびを
感じてください。」と書いてありました。

この今回のご縁を形に表現していきたいと思います。
私としてできる、この上方文化の継承とそして大阪谷町での歴史ある舞台
での仕事に感動と感謝を申し上げます。
そう、この山本能楽堂、平成18年国の登録有形文化財に登録されています。

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