際に祝詞の本にある、大祓詞(中臣
氏)について、「中臣氏」は、誰です
か?と質問を頂きました。
そこで今回、資料をまとめてみまし
た。中臣氏というのは、中臣という、
氏になります。そして、中臣氏は、
『神祇氏族』と呼ばれる。
『神祇氏族(じんぎしぞく)』
とは、古代より朝廷の祭祀に奉仕
した神祇氏族になる。
中臣(なかとみ)、忌部(いんべ)、卜部(うらべ)、猿女(さるめ)
の諸氏がその氏族にあたる。卜部氏を除きいずれもが天磐戸(あめの
いわど)開きのときに、天照大神奉祀に功績のあった神々の子孫になる。
中臣氏は天児屋(アメノコヤネ)命を
忌部氏は天太玉(アメノフトダマ)命を
猿女氏は、天鈿女(アメノウズメ)命を
それぞれ始祖と仰いでいる。
これらの神々は瓊瓊杵尊(ニニジノミコト)の降臨に従い、地上でも
天照大神奉祀を最大の任務とすることとなり、その職掌(しょくしょう)
は子孫へと伝えられてきた。
神祇氏族のなかでも最も有力であったのは中臣氏であったとされる。
毎年6月と12月の末日に京の都において、行われる大祓で、罪・穢れを祓う
ために唱えられた大祓詞で、中臣氏が京の朱雀門で奏上していたことから
中臣祓の称がある。
天武天皇十三年(六八四年)の八色姓制定の際、中臣氏は朝臣(あそみ)姓を
たまわるが、翌年より鎌足(かまたり)がたまわった『藤原』を一族あげて
称するようになった。
しかし文武天王の大嘗祭に先立つ文武天皇二年(六九八)、藤原朝臣は
鎌足の長子不比等(ふひと)のみが継承し、意美麻呂(おみまろ)らは
神事に奉仕するためという理由で、神代以来の旧姓中臣氏は奈良時代を
通じ神祇官の長官伯(はく)および次官大副をほぼ順調に継承した。
平安時代初頭に伊勢神宮祭王が成立して以降は、大副と祭主を兼任世襲
するようになった。
大祓詞を通じて、神祇氏族、中臣氏、歴史は深く、勉強の奥深さに
今後の研究としたい。
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