元准勅祭神社 東京十社について
品川神社の例大祭まで後三週間
品川神社の特徴の一つとして、
東京十社の一社であること。
この東京十社について、ご朱印
帳をもとに、書きました。
慶應三年十月、将軍徳川慶喜は
大政奉還し玆に徳川幕府約三百
年の終止符をうった。直後明治天
皇は、同年十二月、縫製復古を
宣し江戸を東京と改め、慶應四年
九月「明治」と改元され十月江戸
城を皇居とし、新しき東京の出発
が始まったのである。
そのめぐるましき変革の中に、明治天皇は、東京の鎮護と
万民の安寧を祈るため、明治元年十一月八日、
准勅祭神社として東京十社を定め、
勅使をして御幣帛を捧げ御祈願された。
以来百有余年今や私共の東京は、全国の首都として政治、経済、文化
の中心となり、異常な発展を遂げましたが、之は偏に明治天皇様の
御えい慮の下,天地神明の御加護に依るものと考えられる。
当初は十二社(日枝神社・根津神社・芝神明宮・
神田神社・白山神社・亀戸神社・品川貴船社・
富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社・
六所神社・鷲宮神社)であった。
しかし早くも1870年(明治3年)9月1日には廃止され准勅祭社の
制度は一時的なもので終わった。該当神社は府社あるいは郷社となる。
第二次大戦後は政府による社格そのものが廃止された。
1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50年を奉祝して、関係神社の
協議により遠隔の府中町六所宮(現大國魂神社)と埼玉県鷲宮町の
鷲宮神社を外した10社を巡る「東京十社巡り」が企画され現在に至る。
上の10社めぐりの中央に、皇居の事を、「禁裏(きんり)」と呼んでいる。
これは、「禁」=みだりに中に入れない場所ですよ。と言う意味があり、
「裏」は、内裏(だいり)の省略された形で、内裏=天皇が住居として
常にお住まわれている場所という意味になる。
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