2014年5月16日金曜日

千葉中條塾

千葉中條塾にご縁を頂き、早七年、
木更津のホテルオークラさんの
写真室を任せて頂き、そのホテル
オークラの支配人に、「君、『致知
(ちち)』という雑誌を知ってるか?
」と聞かれ、「学生時代から、
父に贈呈と毎月贈ってもらって
いた、人間学の雑誌ですね。」
と答えたら、「そうその雑誌の
巻頭の記事に、アサヒビール顧問
の中條先生が、いらっしゃる。
その中條先生が。ここのホテル
で、年に四回、中條塾と言う
勉強会をしているから、
参加しなさい。」と、誘われました、 その日から、ワクワクして、平成            
19年、5月27日、初めて千葉
中條塾参加しました。

先生のご自宅が、私の自宅に近く、
その第一回目から、先生の千葉へ
の送迎は、私の担当となりました。

年四回の中條塾は、立志、統帥
マーケットイン、主導の位置を取る
と言う演目で行っています。
もっとも大切なものが、『志』と教え
られ、志=夢を持ちなさい。
よくお話を頂きました。

また、靖国神社にもこの会で初めて
参拝に行きました。平成20年の正月
靖国神社の大鳥居に集合して、参拝
に上がります。手水を取り、拝殿にて、
修祓、そして本殿へ進みます。ああ、ここの廊下が、よく首相が参拝に行くと
どうのこうのと新聞、マスコミが書きたてるシーンに出てくる廊下か、、
と思いながら本殿に上がります。 本殿に上がり、祈願祝詞を頂くのかと思い
正面にて正座していると、「黙祷、靖国神社のご神前にて黙祷」と一分間の
黙祷をしました。
この一分間の黙祷で、本当に私の価値観が、変わりました。ご神前の前において
感じたのか、聞こえたのか、「おい、お前、日本の国の為に何か出来たか!」と
男性の声で聞こえたのです。私は、「すみません!何もしておりません。」と
答えました。
本当に、国家のことや、国のこと、社会の為などは、考えたこともなかったのです。
私は、その正月から私自身が、国家の為に何が出来るのかと色々と考える
ようになりました。
また、並行して、靖国神社の横の遊就館に、大叔父の写真を提出して、英霊のパネル
に入れて頂くことができると聞き、祖母に頼み、祖父の弟さんである、川辺喜一さんの
写真を遊就館に提出しました。

靖国神社には、今でも247万人の国家の為に亡くなられた英霊の方々の名簿が、
管理されています。私の大叔父の名前も記録にしっかりと残っており、名前住所、写真
そして亡くなった時期、場所、を記入して、提出します。パネルには、約100命の英霊
の写真が集まると一つ掲示されます。

この写真の前に息子二人を連れて、遊就館に連れて行きました。そのパネルの前で
戦争の事を話しました。なんで戦争になったのか、その戦争で日本はどうなったのか
靖国神社には、その日本の国の為に戦った英霊が祀られていること等を話しました。
当時の小学生の息子も世界地図や魚雷、戦艦を見て、そして自分達のすぐ近くの
身内の方が、この写真の方で、その方が靖国神社に御祀りされている事を知り、
色々と考えたようすでした。 

今は、中学生になりその靖国神社の年二回の篝火奉仕には、ボーイスカウトとして
篝火警備に行ってくれます。

自分の志、使命を教えて頂いた中條塾でした。
人生の大きな節目を与えて下さった
中條先生に心より感謝しています。

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