2013年12月31日火曜日

伏見稲荷大社の神々へ、感謝と祈願参拝

伏見稲荷大社に一年の感謝と来年に   
向けての祈願参拝致しました。

伏見稲荷さんには、年に二回必ず
参拝させて頂きます。参拝の時は
一の社、上社末廣稲荷さんまで
上がります。

今回の参拝には、家族も連れて
行きました。山(稲荷山)に登ると
言う健康もかねての参拝です。

伏見稲荷大社の名の由来は、
『風土記』の伝承があります。                  

和銅六年(713)の五月二日時の政府は『風土記』
編纂命令が出、各国々の国司・郡司や九州の場合
は大宰府が編纂をはじめた。
『風土記』の中に、伊奈利社の社名誕生の由来が
記載されている。                                
「伊奈利と称ふは、秦中家忌寸等が遠つ祖、伊侶
具秦公、稲梁を積みて富み裕ひき。乃ち、餅を用ち
て的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山
の峯に居り、伊禰奈利生ひき。遂に社の名と為しき。」    
と言う文がある。
訳すと、                                   
「秦公伊侶巨が稲を積んで富み栄え、餅を弓の的に
したところ、白鳥になって飛び去り、山の峯にとどま
って、稲が生えた。そこで、伊禰奈利(稲生)を社の
名とした。」

伏見稲荷大社の大神は、延喜五年(905)から編纂
が開始されて延長五年(927)にできあがった。
『延喜式』の「神名帳」山城国紀伊郡の明神大社と
して「稲荷神社三座」と明記されているように、
宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神
を奉斎していた。

宇迦之御魂大神のウカノミタマは倉稲魂とも表記
し、ウカはウケと同じで「倉(食物)」の御魂の神で
あり、『古事記』には速須佐之男命(スサノヲノミコ
ト)と大山津見神の娘の神大市比売との間に生ま
れた神として「宇迦之御魂」の神と記す。


佐田彦大神は『二十二社
註式』に猿田彦神とするように、
天孫降臨神話における先導の
神猿田彦神とする信仰にもとづく。

大宮能売大神は宮中の
御巫の祭る八神の一神で朝廷で
篤く信仰された神でもあり、『延喜
式』の大殿祭の祝詞では、宮中の
安泰を守り「言直し和しまして、
皇御孫命の朝の御膳(みけ)・夕
べの御膳に供へまつる」宮人の
神と述べられている。

後白河法皇の撰なる『梁塵秘抄』        
のつぎの歌である。

稲荷をば三つの社と聞きしかど
今は五つの社なりけり

平安時代の末ごろから鎌倉時代
のはじめのころには五社の稲荷
大神になっている。
さきの三神に田中大神と四大神
が加わって、現在の五社相殿
なっている。

田中大神も田の神であり、
四大神は、春・夏・秋・冬のなか         
で稲が生長変化してゆくありよう
にもとづくとする神。

伏見稲荷さんでは、千本鳥居を
通り抜け、階段をすすみ、池の
ほとりにある、熊鷹社において、
いつもロウソクを奉納致します。

そして、次に続くお山を上がり、
一息つくのが四辻。ここで、
京都盆地をながめます。

そしてそこからさらに登ると下社、
中社、上社と続き。上社において、
ロウソクとお供えをして、祝詞・
稲荷大神秘文を奉唱致します。

平成二十五年も無事に終わり、平成二十六年の午年、
前半から掛け登れるように走りぬきます。

2013年12月30日月曜日

お年玉袋作りました!

お年玉袋を今年は、折り紙で作成して    
みようと、神職の同級生が、発行した、
折形デザイン研究所
の本にそって挑戦してみる。
金額は、親同士の協定金額として、
それを包む年玉袋で子供達を感動さ
せてみようと思う。

ところで「お年玉」と言うのは、
なんでしょうか?                  

「たま」とは、「たましい」のことであり、
「としだま」とは新年を司る年神への
供え物の下げられたもののことである
と民俗学的には説明される。
供え物には祀った
神霊の分霊が宿る
とされ、それを頂くことにより、人々は
力を更新して新たな一年に備えるの
である。年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、
町人は扇を、医者は丸薬を贈った。 
「お年玉」は、子供にとって、お正月の一番の楽しみです。
日本の美しい伝統としてこのお年玉は
残っていくとして、子供には、歳神様の
事を是非、伝えたいですね
 
 

2013年12月29日日曜日

「十牛図」後半

「十牛図」の後半です。          
自分の心の旅、本来の自分を
見つけ、自分自身が、心を
鍛え、成長させていく物語
後半です。

第六図  騎牛帰家(きぎゅうきか)
牛に乗って家に帰る

自分の心の煩悩との戦いは、
終わり、もはや、鞭も縄も
必要ない。
心は、爽やかに澄んでいる。

第七図  忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)        
牛は消え私だけがいる

大悟(だいご)の状態、迷い
から抜け出して、真理を会得
すること。
大いなる悟りの状態である。

第八図  人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
人も牛もいなくなる

『空』である。
空とは、万物は変化すること       
万物は変化した結果亡びる
亡びて消え去る、こだわりは
捨ててしまう。
身心脱落(しんじんだつらく)
身も心も一切の束縛から解放
されて、絶対的な自由を獲得
すること。道元のことば。

無であり、無限、『丸』、『えん』
の状態。『縁』でもあり、『結び』
の事である。                

第九図  返本還源(へんぽんかんげん)
生まれ変わる

色即是空(しきそくぜくう)によって
万物は亡びて、無となったが、
無もまた、空を免れない
再び変化した結果
無から、万物は生じてくる

第十図  入鄽垂手(にってんすいしゅ)     
俗に入り教化する

なぜ私は、この世に生まれてきたのか?
私でなければはたせない
私だけの役割をはたすために
私は、この世に生まれてきた

和光同塵(わこうどうじん)
仏や菩薩が、知徳の光を隠し
世俗と同じ次元で姿を現し
人々を救うこと。

衆生済度(しゅじょうさいど)
仏や菩薩が、法を説いて、
人々を迷いの苦痛から救い
出し、悟りの境地に導くこと。

人間が、生きていく中での
煩悩や苦悩、すべては、
自分の心の問題として、とらえ必死に自分の使命を追いかけ、自分で
しかできない、『天命』を探しあて、世のため、人のために生きる。
死んだつもりで、一からスタートする。

牛と人、心と体が、一体になった時に、スタートする。
やっぱり、深い!







2013年12月28日土曜日

「十牛図」 前半

またまた、年末大掃除で、見つけて    
しまった。これは、三年前に購入し
た本。新井満さんの『十牛図』
ふーーんと言う感じで、読んでい
たのが、この三年で、少しは
成長したのか、味わいながら、
読めるようになった。

『十牛図』は、十枚の牛の絵で、
牛を探し求めて世界の果てまで
旅をして、ついに見つけ出して、
格闘し、つかまえて、飼い馴らし、
ふるさとの家に連れて帰る

でも、実は、この『牛』は、
『自分自身の心』
のこと。本当の心、            
本来の自分を牛にたとえた
物語。

第一図  尋牛(じんぎゅう)
牛を捜しにゆく

五欲の情欲に、
六塵(ろくじん)
色・声・香・味・触・法(意識)
の六のこだわり、人々の心
を汚し、煩悩を引き起こす
ので、塵(ちり)とよばれる。

まさに、神道では、この祓い
「六根清浄大祓」の祝詞
で浄化するのである。        

第二図  見跡(けんせき)
牛の足跡を見つける

牛を見つけるには、香草を                     
手掛かりにする。
香草とは、万巻の経典と
語録のこと。

心が迷い彷徨っている時は
先哲の教えを聞く。
そこに足跡がある、ヒントが、
隠されているのである。

第三図  見牛(けんぎゅう)
牛を見つける                        

六根を浄化させて、塵をとり
素直になり見つけることができた。

第四図  得牛(とくぎゅう)
牛をつかまえる

「大死一番」で捕まえる。
今までの自分を投げすて、
一度死んだつもりになって
大いに奮起すること。

第五図  牧牛(ぼくぎゅう)
牛を飼い馴らす

鞭撻(べんたつ)が、必要で
ある。
様々な人に出会い、経験し              
鞭撻をいただく、これは、
むちうつという意味から転じて
いましめ励ましてもらうこと。

ながながいブログになって
しまったので、2回に分けます。

一図から五図まで、
自分という、心の牛を探し
追跡し、見つけ出し、
命がけで獲得し、
むちうちしながら、
飼い馴らす。

自分と言う人間をどのように
成長させていくかも、自分
次第なのだろう。

つづきは、あした。




 

2013年12月27日金曜日

人生は心一つの置きどころ

「人生は心一つの置きどころ」         
年末の大掃除をしながら、古い
本や書類を一掃していると、時々
手を止めて、ここ三年間の自分
向き合う。

こんな本を読んでいた、こんな
メモをしていた、こんな記事を
切り取っていた。 その記録の
中に、いかなる事態に出会って
も心を常にプラスの方に転じる
ことが、人生において大事。』
という、記事を見つけて、
しばしよむ。二年前よりもまた、
深く心に沁みとおる。

松下幸之助
「人間は若い時の心がけによって、ずいぶんと差が出るものだ」

稲盛和夫
「仕事を好きになったこと、会社を好きになったこと、そのことによって
今日の私がある」

講談社・野間清治
「万事万象、わが一心に存する。わが一心によってわが境遇ができるのだ
すべては私の影だ。心が歪めば世の中も歪むのだ。わが一心によって、
世の中がよくも悪くも、楽しくも辛くもなるのだ

弘法大師空海
「教法は本より差がうことなし。牛と蛇との飲水(おんすい)の如し。
牛は飲めば蘇乳(そにゅう)となり、蛇は飲めば毒莿(どくし)となる」
同じ水を飲んでも牛はそれを栄養のある乳にし、蛇はそれを毒にしてしまう。
尊い教えも聞く人によってまったく違ったものになる、ということである。

同じ状況を豊かな実りにする人もいれば、
不平不満の種にする人もいる。
すべては心一つの置きどころである。

「ある人問う、人艱難(かんなん)に遭う、これ不幸なる事か。
曰く(いわく)、艱難はまたこれ事を経ざる人の良薬なり。心を明らかにし、
性を練り、変に通じ、権に達する。まさにこの処にあって力を得」

苦しみや困難はまだ人生経験を経ていない人
には、性質を練り、正しい権(はか)りごとが
できる実力を養う最高の場だ、というのである。
艱難(かんなん)もまた心一つの置きどころである。

2013年12月26日木曜日

「いつまでも残るもの」

「いつまでも残るもの」と言うのが、   
その人の生き様=精神
なのだと思う。 そんな人間の
一人に、二宮尊徳がいる。

昔小学校の校庭の片隅にあった
マキを背にしょって、本を読んで
いる銅像が、よくあり、子供
ながら、「誰かな?」と思って
母に尋ねた事を思い出す。
「二宮尊徳さんやで、すごい
努力家な人で、苦労して勉強
して、偉くなった人やで、、」
と教えてもらったことがある。

この45歳にして、最近読んだ
本に二宮尊徳の歌があり、
感動したので、調べてみた。

山寺の 鐘つく僧は 見えねども
四方(よも)の里人 時をしるなり
尊徳翁

遠くから、鐘の鳴る音が聞こえてくるなーー、ああ、もう5時かーー帰ろう。
と里人は、思う。誰がこの鐘を打ってくれているか知らないが、ありがたいなー
と山の四方八方に聞こえる鐘の音は、人々の為になっている。

貧しい農家の息子として生まれた二宮金次郎(尊徳)は、今の神奈川県の
小田原市に生まれる。親を幼くして亡くし、遠くの山にまで蒔きを拾いにいき
それを売り、また、川の氾濫する堤防を作りと努力して仕事をしながらも
勉強(四書五経)を独学した子供時代。やがて、認められて、藩の立て直し
農村の経営方法などを藩に提案して、藩財政を立て直すようになる。

有名な「報徳仕法」がある。
報徳仕法は、「勤労」、「分度」、「推譲(すいじょう)」の三つの原理に基づいている。

「勤労」とは、収入を得るための生活の基本である。漫然と働くのではなく、知恵を
絞って勤労を最大限に効率化するための自助努力を金次郎は求めた。

「分度」とは、自分の収入を知り、その枠内で一定の余剰を残し、それに応じた
支出の限度額を設定することだ。つまり、藩や旗本の領地における分度の設定とは
「上納米[年貢)限度額の設定」と「支出額の設定」をすることである。まず上納米の
限度額は、過去の実収入の平均を割出、設定する必要がある。そして支出額は、
算出された収入額に従い、財政に余剰を残せるように設定しなくてはならないと
金次郎は説いた。

また分度を設定し、倹約に努めることで生み出そうとしたのが余剰だ。これは、
最後の原理である推譲と不可分の関係にある。その余剰を翌年のために蓄えたり
子孫や他人に譲ることを「推譲」と言い表し、仕法の根幹を成す。

「国が衰弱する原因は、藩政の基本である分度が明らかではないため、出費に
節度がなく、領民から際限なく取り立て、知らず知らずのうちに過重な租税に
よって領民を窮乏させていることにある。」

まさに、現代にも通じる手法、PDCA(プラン、ドウ、シーアクト)のサイクルに
なって、藩の財政をアップさせ、農村のやるきを出させ、飢饉を回避し、
農民を救った。

我々は、勉強、努力は、まだまだ必要である。

 

2013年12月25日水曜日

生きると言う事の大切さ

昨日、久しぶりに映画に行きました。
小説を夫婦でも読み、二人とも行き
たいと思っていた、『永遠の0』を見
に行きました。やはり、泣きました、
家に帰り、今朝まで、ずーっと
心に響いています。
「生きる」ということ

戦時中、なかなか言葉にして言え
なかった、生きて帰るということ、
映画のシーンにおいては、
特攻が決まり、明日特攻に行く
前に、主人公達が、川に足を入れ
今まで、ふつうに、何も思わなかった
足を川に入れた時の水の冷たさ
鳥のさえずりや虫の声
草や木を見ること、これらすべて
が、何か愛おしく思います
と言う言葉に、私の心は、震えました。

このセリフが頭から離れなかった。
あの思い、特攻=死、それを目前にして
「生きるということ」が、いかに大切なのかを教えてくれる言葉でした。

国のため、自分たちの国家、家族、大事な妻、子供を守るためと
思い、特攻に行かれた人。

森信三先生の『人生二度なし』と言う言葉、「この人生の最大事実」に
対して、無関心であったように、再び思いました。
もっと真剣に生きよう、もっともっと大切に生きようと思いました。

また、森先生の言葉を借りるとしたら、私たちは、自分の好きな物、
たとえば菓子とか果物などを貰ったら、それのなくなるのが、
いかにも惜しいと思い、惜しみ惜しみ食べる。
なのに、最も惜しまねばならない自分の生命に対しては、それほど
惜しまず、あと何年生きられるのかも考えて事がない。

また、一日の遠足についてさえ、いろいろとプランを立て、種々の
調査をする。なのに、二度とない人生については、人々は果たして
どれほどの調査と研究とをしているのか。日一日と減っていくのに、
45歳の私は、人生の二分の一は、終わったのに、もっと計画を
立てて生きないといけない。

自分が天よりうけた力を、この肉体的生命
の許される限り、十分に実現して人々のた
めに尽くし、さらにこの肉体の朽ち果てた
後にも、なおその精神がこの国土に残って、
後にくる人々の心に同様な自覚の火を点ず
ることがあるように、生きる。

その人の生前における真実の深さに比例して、
その人の精神は死後にも残る。

永遠のゼロは、本当に大切な映画と思う。
戦争物と言うよりも、明治維新後、世界を相手に、
主に、西欧の列強が、アジアを植民地化していく
中、日本を植民地化から守ってくれた日本の
先人の事を私たちは忘れてはならない。
戦争、人間同士が殺し合うのは、絶対にダメで
ある。しかしこの平和の時代において、いかに
平和に感謝をして、大切な人生、命、
生きることを後からくる人々に伝えるかが、
我々40代の大切な仕事である。

 

2013年12月24日火曜日

十二月晦日の「大祓」

十二月晦日まで後一週間になった。   
先日の東国三社の香取神宮や
代々木八幡宮では、ご社殿の前に
大祓『茅の輪』が用意されていた

「大祓」の神事は、毎年六月と十二月
の晦日(みそか:月の末の日)に行わ
れた。大祓の『日本書紀』に見える最
初は、天武天皇五年(676年)八月
辛亥(十六日)の条である

ここで大祓の基になった祓(はらへ)
について一見しておく必要がある。
祓の原義は、罪を犯した者に対して、
その罪に相応する物品(祓へつ物)
を出させて、犯した罪を解除してやる
日本古代の社会的行事であった。      

この祓に、新しい精神を与えて新生
させ、国家的な行事に高めたのが、
天武天皇朝の大解除(大祓)であった。

天武朝の大祓の精神は、大祓によっ
て国中のあらゆる罪を一掃して、新し
い国家社会を建設しようとするところ
にあった。大祓の創始は、天武朝に
おける神衹祭祀の政策の一環をなす
ものであった。大祓が国を挙げての
大規模な行事であったことは、天武
五年八月の大解除に、国造や郡司が
祓柱を出すだけではなく、戸毎に麻一条を出すところにもよく表れている。
これは、全国民が大祓に参加することを示している。
かくして大祓によって、国中のあらゆる罪が祓われるのである。

天武天皇十四年(685年)正月丁卯(二十一日)に、爵位の名号が改められて、
明・浄・正・直・勤・務・追・進の八語が柱として立てられた。
これは、当時の日本人に求められた国民道徳の標語とも言うべきもので、
それは大祓いの目標とする精神と相通ずるのである。すなわち、大祓により
あらゆる罪が祓われて、人々が、明き浄き正しき直き心となり、これからの仕事
に勤しみ務め追い進むべきことが、指示されている。

この精神は、『続日本紀宣命』の「明き浄き直き誠の心」へと続いて行く。

<最後に宣伝>
新年平成26年1月26日日曜日に祝詞『大祓詞』の勉強会を行います。
是非、ご参加下さい! 詳しくは、こちらをご覧ください!
宜しくお願いいたします。

2013年12月23日月曜日

鹿島神宮と子供の成長

昨日の冬至の日、一年の締めくくりと  
して、日頃お世話になっている方の、
東国三社神社ツアーに参加しました。

東国三社(鹿島神宮、香取神宮
息栖神社)、三社はいずれも関東地
方東部の利根川下流域に鎮座する
神社。古代、この付近には「香取海
(かとりのうみ)」という内海が広がっ
ていた。これら三社の鎮座位置はそ
の入り口にあたり、鹿島社・香取社は
大和朝廷の東国開拓の拠点であった。
また、三社はいずれも『古事記』
『日本書紀』における葦原中国平定
に関する神(建御雷神、経津主神、 
天鳥船神)を祀っている。うち息栖神
社主祭神・岐神は、記紀に記載はな
いが東国に導いたと伝えられる神で
あり、同社では天鳥船神も配祀する。

江戸時代には「下三宮参り」と称して
関東以北の人が伊勢神宮参拝後
れら三社を巡拝する慣習があった。

この三社うち、平成十二年、今から
13年前に、鹿島神宮にのみ参拝を
させて頂いており、この神社の参道
で、始めて長男が、外で三歩以上
歩いた所だったので、印象が深く。
そこに、当日の写真を持って行き、
家族で写真を撮ろう!と言う気持ち
もあり、家族全員で参加した。
13年前に、よちよち歩きの長男が、
今では家内と背を同じくとし、
次男、三男も授かり、本当に感謝
ありがたい気持ちに一杯となりま
した。

三社をめぐり、どの社も鳥居が、
まっすぐと海へと続き、海から
神様が上がってこられるのを
感じる。

これは、宮崎の日南海岸の海岸沿いにおいても、出雲大社の西にある海岸で、国譲り、
国引きの神話で知られる浜。 長浜海岸(いなさの浜)、そして伊勢の二見ケ浦の海岸。
山、海、太陽、川、すべてに神様がいらっしゃり、我々は生かされていることに感謝
します。今日は、冬至のまた三連休の間の日曜日に家族で千葉の東国三社を
お参りできたこと、その間の会社のスタッフに感謝します。

2013年12月22日日曜日

心学と『正直の徳』の物語

心学とは、その思想は、神道・儒教・仏教
の三教合一説を基盤としている。

その実践道徳の根本は、
天地の心に帰することに
よって、その心を獲得し、
私心をなくして無心となり、
仁義を行うというものである

心学の開祖と言われる、石田梅岩の思想
には、「二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、
自死するやうなこと多かるべし」
「実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり」
(訳文)
『儲けしか目に無い人達は目先の欲に
かられて後から出る損害のことを考えて
おらず結局自らの行いで首を絞める
ことになってしまう。本当の商人なら自分
の利益を考えつつも相手側にも損をさせ
ない商売をするものである』

と、実にシンプルな言葉で「企業の社会的責任」の本質的な精神を表現した。

その最も尊重するところは、『正直の徳』であるとされる。

『正直の徳』のエピソード、沙石集の『いみじき成敗』の中に出てきます。

ある日、夫が道で餅を売っていると、袋が落ちているのを見つけました。
袋の中には、銀の貨幣が「六枚」入っていました。
家に持って返り、妻に見せたところ、妻は、「私たちは特に生活が
困っているわけでもありません。この落とし主の方は、どんなに
嘆いていらっしゃることでしょう。落とし主を捜して返しましょう」と言います。
夫も「本当にそうだなぁ」と言って、広く落とし主を捜します。
すると、落とし主がすぐに現れました。
あまりにうれしくて、「銀の貨幣を三枚差し上げましょう」と言い、
今にも分けそうだった、その時に、悪い心が出ます。

落とし主は、「もともとは、銀の貨幣は七枚あったが、六枚とは
おかしいではないですか。一枚、隠したのではないですか?」と言い出します。
夫婦は「そんなことはありません。最初から六枚でしたよ」
と言うのですが、話し合いはうまくゆかず、とうとう、国の長官
のもとで、裁判になりました。国の長官は、眼力に優れていて、
落とし主は不実で、拾った男は正直者だと直感した。
男の妻にも別の場所で詳しい状況を聴いてみますが、夫の言い
分に少しも違いがありません。国の長官は、この妻はとても
正直な者であると判断して、落とし主が不実であることは、
確かなことだと思いました。

そして、判決を下します。
「このことは、確かな証拠がないことであるから、判決は難しい。
ただし、どちらの者も正直者と思われる。餅売りの夫婦の証言も
違っていない。しかし、落とし主の証言も正直に思われる。
・・・となれば、落とし主は、七枚あった銀の貨幣が入っている
袋を探してそれを自分の物とすればよい。この銀の貨幣が六枚
入っていた袋は、別人の落とし物であろう」
このように判決を下して、六枚全部を夫婦に与えた。
人々は、素晴らしいお裁きであったと、みんなが褒めそやしたそうです。

正直者であれば、自然と天が宝を与えてくれるし、不実である者は、
神仏が怒って、財産を失うことである。
本当に、心は清く素直であるべきだ。

2013年12月21日土曜日

「誠」によってのみ「道はひらく」「道は興せる」


「誠」、「誠実」とよく言葉を耳に
したり、友達の名前に見たり
するものだから、その人柄や
イメージが勝手に先行し、
「誠」と言う、深い意味に
触れる事が無かった。

人間学の中では、非常に
重要でかつ、力強い意味が
あるこの「誠(まこと)」について
今日は、勉強した。

「道をひらく」や「道を興す」と言う言葉は、
我々の魂をゆり動かし、これを燃え上がらせる
しかし、ただ、「道を興すんだ」と考えるだけ、言うだけでは、道は興せない。

「自分の道をひらくのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、このわが身、
わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、
開かれるのである。

真の誠は、その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、しかも常にその足らざる
ことを歎くものでないとならない。

誠に至るのは、何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむこと。すなわち
全身心を提げて、それに投入する以外にはない。かくして誠とは、畢竟(ひっきょう)
するに、「己れを尽くす」という一事に極まるとも言える。
自己の一切を投げ出すということ。自己の内なる醜い我見をえぐり出し、そこに
 初めて開かれる。

真の誠への歩みは、「全充実の生活」と言っても良いのである。
古来、誠ほど強いものはないと言われるゆえんである、

「至誠(しせい)にして動かざるものは
未だこれあらざるなり」

誠は真の力なり

人間学を勉強するにあたり、大変大事な言葉である。

2013年12月20日金曜日

人力車の花嫁道中、和の美しさを感じます。

人力車に一度は、乗ってみたいと    
子供に言われ、昨年年末の鎌倉
において、乗ってみた。

確かに、目線が高く、昔マレーシア
の草原において馬に乗ったことを
思い出す。目線が高いと、遠くまで
見れて楽しいのと人力車のスピー
ドで、身体に受ける風が気持ち
良いのである。

日本の人力車について、調べて
見ると、人力車(じんりきしゃ)とは、
人を輸送するための人力による車。
横に並べた2つの輪を持つ車に       
乗客を乗せ、車夫(しゃふ)がこれを     
曳くという構造。

日本では、主に明治から大正・昭和
初期に移動手段として用いられた。
人力俥とも表記する。

日本語では、略して人力(じんりき)、
力車(りきしゃ)。車夫はまた車力
(しゃりき)とも言った。

また英語のRickshaw(リクショー)は    
「リキシャ」を語源とする日本語由来
の英単語

成程、日本の文化にもなっている
だと、感心した。

やはり、結婚式において、ご希望を
頂く、先日も上野の湯島天神まで
支度をした上野のホテルから人力車
と言われる。しかし、坂道、、
そんな時は、後ろから車を後押し
する車夫が、付く。

花嫁道中を人力車でスタートするのは、恰好も素敵で、和の文化に
感じるのである。

2013年12月19日木曜日

森信三先生の修身:「躾の三原則」

森信三先生 戦後の占領軍により
日本の教育制度は、すごく変更さ
れた、その中でも、「修身」の勉強
がなくなった。戦前は、高校を出る
と専門学校へ行ったそうである。
商売人は、商業学校
技術者は、工業学校
それぞれの専門を高めるために、
その道に着く。
大学へ進む学生は、国家の運営
を志す、「政治家」「裁判長」等の
日本を考える立場の人間になる
ために、大学に進んだ
其の大学で学んだものは、
『修身』つまり、人間学である。
いかにして生きるかを勉強した。日本人のこのような、英知を嫌い、占領軍は、この教育制度を
つぶした。戦前の日本の教育者を指導した哲学者、森信三先生のこの修身教授録が、注目
されるゆえんである。前回のブログに書いた、「立腰(りつよう)」を提唱した先生でもある。

この森先生の子供への躾三原則

躾の三原則

1.朝のあいさつが出来るように
    →  これは、前向き、積極性、親近性
を作ります。
 
2.名前を呼ばれたら「ハイ」と
   返事が出来るように
→  対応、交流、呼応性
 
3.履物を自分できっちりそろえるように
→  自主性、自制、自律性

どれも生活に密着した基本である。
人間として成長するには、
基本的なこれらが出来て、 
はじめて、他のしつけも
身につくとのこと、
再度自分自身の生活習慣
も改めて、日本の未来、
日本の将来を背負う
子供たちにしっかりとした
躾を知ってもらいたいと思う。

 

2013年12月18日水曜日

何のために働くのか、『徳は本なり、財は末なり』

神棚で、日々祝詞をあげていると感じることがあります。 近頃感じるのは、「何のために働くのか」です。人は、何のために働くのでしょうか?
六根清浄大祓と言う祝詞に、『天照皇大神の宣く人は則天下の神物なり 須掌静謐心は則神明との本主たり(アマテラシマススメオオカミのノタマワク、ヒトハ スナワチ アメガシタのミマタマモノなり、スベカラクシズマルコトをツカサドルココロは すなわちカミとカミとのモトノアルジたり)』とあります。人は皆、この大地に生まれ、神から頂いた心を持っている。心が神ですよ。と言っています。

人は、心・魂を天から頂き、身体は、両親・先祖から頂き、この世に生まれてきました。その一人ひとりが持っている「心」は、神であり、自分自身です。
この「心」を磨き、寿命(じゅみょう)が来たら「あの世」、もとの世、心を頂いた所に戻るのです。

その帰る時に、お金や財産を持って帰る事は出来ず、唯一、「心に付けた、『徳』だけ」を持って帰るのです。この『徳』をどのように心・魂・自分自身に付けるのか?

これは、ただ一つ、「働いて」付けるのです。

働くというのは、どうしても一人では上手くいかずに、この世において、他人と一緒に必ず働くようになります。一緒に働くという表現でも、誰かがいてその人の為(お客様)に働くこともあります。大きな視点で見ると、「自分の心、魂を向上させるため、徳を付けるために、働かせて頂いている」のです。他人との間で、心に徳を付けるのです。

「働く」にあたり、対価を頂き、そして賃金を頂きます。この目的は、自分の心・魂に『徳』を付けるために、働くのですが、どうしてもその対価、賃金、そして財産が、目的になりがち。
四書五経の大学に出てくる、『徳は本なり、財は末なり』と教えられる。
徳でなくて、財だ!と言うと、それは、『本末転倒』ですよ、と言われるゆえんです。

商売をして、経営していると、どうしても目に見える目標、売上目標を立て、金額を出す。これは、目標ではあるが、結果なのに、、

人として、この世に産んで頂き、限りある寿命の中で、自分の使命を全うし、「徳」を授かり、戻れるように、日々努力を積み重ねて、今日も明るく、楽しく、元気よく!

2013年12月17日火曜日

さくら湯

先日の結婚式に出ていた桜湯が、     
綺麗に二輪の桜が咲いていた。
桜湯の中の桜も、相生の松の
ように一つの茎から二つ咲くと
形が良い。

見合いや婚礼などの一生を決め
祝いの席では、その場だけ取り
繕ってごまかす意味の「茶を濁す」
ことを忌み嫌うことから、祝いの席
ではお茶を用いず、代わりの飲み
物として桜湯を用いることが多い。

品川神社さんでは、境内に咲いた
桜を社務所にて、梅酢と塩で漬け
込む。

湯を入れて、水面に上がってきた
桜の花がぱっと開くとすごく
綺麗で、可愛く。
さらに境内の桜ですよ、と伝えると
その場に、花が開く。

2013年12月16日月曜日

「情報」と言う意味がわかる人

「情報」って何か?私が、大学を卒業して、銀行に就職して、一番最初に考えたこと。報告、連絡、相談の「ホウ、レン、ソウ」と言われるけど、、『何を』、そうしたらいいか解らない!

上司や仲間にする、報告、連絡、相談の内容は、『情報』である。
また、「情報」と「世間話」、「たんなる話」とは、近くて遠いというか、裏表である。話を聞く、情報を受け取る側の興味や能力によって、同じ話が、「情報」にも「たんなる話」にもなる。

もっと、簡単な例で言うと、私川辺が、田中さんを好きで、どうにか付き合いたいと考えて
いるとする。その田中さんの親友の山田さんが、私と仲良しで、「おい、川辺、田中さんって
ああ見えて、結構ハンバーグが好きやねんてーー」と、山田さんにしたら、世間話的に
「たんなる話」をしたつもりでも、その「世間話」が、川辺には、貴重な『情報』となる。

この話を聞いた、川辺が、「おおそうか、田中さんは、ハンバーグが好きか。」
よし、今度美味しいハンバーグ屋さんがあったら一緒に食べようと誘おうーーと内心
考える。

これが、『情報』である。 銀行員時代の例で言うと、集金先で、ちょっとお茶でもと
お客様に誘われて、いっぷく、させて頂いている際に出る情報。
「今度、〇〇課長が、車買うらしいですよ、、ゴルフ行くのに四駆がいいって、」言ってたとか
「今度、〇〇さん、結婚で新居購入らしい、、二子多摩川の、、、」と言ってたのを聞くと。

その場では、「へえーーー、いいですねーー」と言っているが、その後、
外に出てから、メモとなり、「マイカーローン」や、「住宅ローン」を販売しに、翌週には
行っていた。

「情報化社会」と20年前にコンピューターが、出てきた際、よくキーワードとされていた
が、学生時代には意味がわからず、コンピューター入力のアルバイトをしていた際は、
数字をエクセルに入力して、決算書等を作成することが、情報=数字、と考えて
いたが、そうではなく、『情報』は、日常に転がっており、それを『情報「化」』するのが、
この「化(か)」するのが、大事なのだと、社会人になり知った。

人間力が、やはり必要であり。また、孔子の言う「恕(じょ)」相手を想う事、相手の立場に立つ事から、情報のアンテナは、伸びるのだろう。



2013年12月15日日曜日

間もなく、「冬至」。2013年は、12月22日午前2時11分。 

間もなく、「冬至」。2013年は、12月22日
午前2時11分です。
冬至1週間前の今頃からどうも夜が長く
感じる。 次の春、『陽』が待ち遠しい。

先が見えなくなる時は、じっと我慢して
エネルギーをためて、勢いよく「陽」の
時に大きく飛び立つ。為、エネルギー
を貯め込む時期。

ちょうど、易経の「山水蒙」の時。
「先が朦朧として見えない時」
じっと耐えて芽を出すのである。
そして大きく育てる!

啓蒙とは、「蒙」を「啓く(ひらく)」の事です。
自分自身を啓蒙する時期。そして、
次の一手を考える時。 
  

「蒙」には、
草のアイビーのような植物が生い茂り、くらい。
上からおおわれてくらい。光がくらい。もやもやしてみわけがつかないさま。


 
やがてくる「光」を感じる。「光」のエネルギーを最大限に
つかみ取るための準備の期間である。
「光」を100%のがさずにとらえるための方向を定め、
「光」の角度を計算し捉える。 
そしてとらえた「光」のエネルギーを自分の体内に
取り込み、調合し、来年4月以降の新しいスタートに供える。
 
12月23日、冬至の次の日は、「一陽来復」の日、
一年の計を立てるのである。
今年一年の大きな流れを分析するのが今である。
 
 

2013年12月14日土曜日

七福神

七福神は、大阪の祖父の自宅や      
伊勢の田舎にあった、絵や掛け
軸を思い出します。
先日、赤坂の豊川稲荷さんにて
仕事をしていた際に、境内にある、
七福神めぐりをさせて頂きました。

七福神は、日本の神様、中国の
神様、インドの神様とおられ、
ちょうどシルクロードの流れか?
と思う程、日本の祖先は、色んな
文化を学び、良い物は取り入れと
されてきたのだと、奥深さに感心
しました。
      
七福神とは、大黒天(だいこくてん)、
毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天
(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、
福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざ
いてん)、布袋尊(ほていそん)の七つ
の神様の総称です。
「七難即滅、七福即生」       
の説に基づくように、七福神を参拝
すると七つの災難が除かれ、七つの
幸福が授かると言われています。
七福神の信仰は、室町時代の末期
のころより生じ、当時の庶民性に
合致して民間信仰の最も完全な形
となって育てられてきました。
特に農民、漁民の信仰として成長し、
現代に今も生き続けてきたのです。

恵比寿さん (日本の土着信仰)
大国主命の御子と伝えられていて、      
「大漁追福」や「商売繁盛」や「五穀
豊穣」をもたらす、漁業や商業や農業
の神様です。智恵を働かせ体に汗を
流して働けばこの神が福財を授ける
という信仰の神様です。

大国さん (インドのヒンドゥー教)
インドのシヴァ神と日本の大国主命
の神仏習合の神様です。有福・食物
・財福・出世のご利益があるとされて
います。印度の神様で仏教の守護神
ですが、日本では有福・福徳を示し
商売繁盛の守り神として有名です。

毘沙門天さん (インドのヒンドゥー教)
インドのクーベラ神で、四天王の一人
多聞天とも言われ、日本では
毘沙門天と呼ばれています。
宝塔とやりを持ち悪霊を退散させ
財宝をさずけるといわれ、戦いの
神・鎮護国家の神と信仰され福を
与える神様です。毘沙門天を信仰
すると十種の福を得るとされ、
その中には無尽の福・長命の福・
勝軍の福・愛敬の福などがあります。

弁財天さん (インドのヒンドゥー教)             
美と智恵と音楽・財運と弁舌と芸術
の神と知られ、七福神の中の紅一点
の女神です。インドの神話で「サラス
ヴァティー神」と呼ばれ、蛇を従え 
財や富をもたらす女神とされています。
上野不忍池、近江の竹生島、安芸の
厳島、江ノ島の弁財天など有名です
が、すべて「水」にかかわりのある
場所に建てられています。

福禄寿 (中国の道教)
頭長の福禄寿は道教の神様で、
名前は、幸福の福、身分をあらわ
す禄、寿命を表わす寿の三文字か     
らなり長寿神。南極老人星の化身
であり中国の村や町に住み、人々
の信仰を集めたといわれる仙人で
ある。長い頭、長い顎鬚、大きな
耳たぶをもち年齢 千歳という。
長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を
連れて、左手に宝珠、右手に巻物
を括り付けた杖をもつ姿が特徴で
ある。招徳人望の神様として信仰
されている。
 
寿老人 (中国の道教)
寿老人は、福禄寿と同じく星
(天南星または寿星)の化身で、
にこやかな微笑みをたたえ、手          
には巻物を括り付けた杖、そし
て団扇や桃などを持ち、鹿を従え
た姿が一般的に知られている。
団扇は人々の難を払い、桃は長寿
のしるしで、鹿もまた長寿(三千
年の長寿を保つ玄鹿)の象徴であ
る。長寿延命、富貴長寿の神とし
て信仰されている。

布袋さん (中国の仏教)
唐の時代に実在したといわれる
仏教の僧や弥靭菩薩の化身だと
いわれます。いつも笑顔を絶や
さず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい
入っていて、信仰の厚い人に            
与えられたという。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神
として信仰が厚い。

品川には、東海七福
神があります。
是非、こちらの七か所
を制覇するのも
また、大きな福を授か
はずです。


 

2013年12月13日金曜日

Worn wear Japan

Worn wear Japan は、パタゴニアが現在展開している、衣服を大切に着続けるキャンペーン。 このキャンペーンで作られた映画が凄く良い!

http://wornwearjapan.tumblr.com/

これは、「使い捨ての時代から、良い物を大事に使う時代に」「MOTTAINAI ーもったいないー」を伝える時代。

10年、20年と長年着たり、身につけている服や帽子が、相棒になっている。
大事に着た服は、味がある。スーツにおいても、ワイシャツにおいても、
生地、素材から選び、型、ボタン、裏地の選択、色のコーディネート、
ネクタイやベルト、靴も合わせる。 自分のこだわりから、物を大切に
長く着る。

昔、祖母に、皇太子さんは、ちゃんとシャツの袖やカラーが擦り切れたら
裏返しに付け替えて、着てられる。鉛筆も短くなるまで使われる。
あなたも、物を大切にしなさい、とよく言われたのを、思い出す。

大量生産、大量販売でなく、良い物を長く、大切に使う。
長く着る、使う事が、良しとされる。カッコ良いとされる。

「もったいない」のように、自然や物に対する敬意などの意思(リスペクト)
を持つ。そして、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用
リサイクル)、尊敬(リスペクト)の時代となる。

日本の八百万の神の思想は、物への感謝が、生まれる。
是非、祖先が大切にしてきた、この物を大事にすることを
伝えよう。

2013年12月12日木曜日

寒い朝の目覚め、立腰(りつよう)と振り魂(ふりたま)で元気よく!

寒い朝、起きにくい朝は、   
まず、『立腰(りつよう)』
をして、振り魂(ふりたま)
をして目覚めます。
立腰するだけで、サアー
と元気になってきますが、
さらに、両手をおへその
前に手を組み「祓えどの
大神(はらえどのおおか
み)」と自らの一霊四魂
よ目覚めよーと思いなが
ら、声を出すと、身体の
内部からエネルギーが湧き出てきて、素晴らしく爽やかに目覚めます!

この「立腰」は、私の師匠中條高徳先生から教えて頂きました。また、人間学の雑誌致知(ちち)に出てくる、哲学者・教育者である森信三(もりしんぞう)先生が、提唱された、腰骨をいつも立てて曲げないようにすることにより、自己の自主性の確立をはじめとした人間形成を実現する、極めて実践的な方法です。腰骨を立てる
ことの意義は、古来より、禅や武道などでも、提唱されてきたことです。

立腰の効果としては、
・やる気が起こる。
・集中力、持続力がつく。
・内臓の働きがよくなり、健康的になる。

心と身体は表裏一体のものであり、「心を立てようと思ったら、まず
身を起こす」これを『心身相即(しんしんそうそく)』と言います。

立腰と振り魂で、今日も一日がんばります! 
朝から元気に出発!

 

2013年12月11日水曜日

ぬか床買いました!

ぬか床を買いました!朝のドラマを   
見て欲しいと三男が言うから、
やってみるかと買いました。
小学校の頃に、大阪で母がやって
いたのを思い出しはするが、とても
臭くて、嫌だった思い出です。

テレビのドラマでは、ぬか床に話
かけるシーンをみて、三男が
したいらしく始まりました。

糠床(ぬかどこ)の作り方などを
調べていくと、日本の食文化で
あり、江戸の食文化です。
うちの母は、関西人だったが、
伊勢出身の祖父母の影響かな?
と思いながら、手を糠床に入れて
見ました。

まだ、ぬるぬる感が無く、ぱさぱさ
しているので、野菜のくずをいれて
どんどんと野菜の乳酸菌を増殖
させないといけないようです。

一般に胡瓜・茄子・大根といった
水分が多い野菜を漬けこむこと           
が多いらしく、あまり漬かっていない
ものは浅漬け、一夜漬けと呼ばれ、
漬かりすぎたものは古漬け、ひね
漬けなどと呼ばます。また、干した
大根を糠に漬けたものを沢庵とい
うらしく、最初は、キュウリとなすび
に挑戦!!しました。

でも、すぐにはできないのが、よく解りました。 一昨日に、スーパーで糠床を買って
来たところでは、なかなかです。

調べていくと四か月はかかるらしいです。そしてあの独特な匂いは、野菜の乳酸菌
だったことがわかりました。 ぬかと塩と野菜の乳酸菌で、甘くともしょっぱくとも
なり、その作る家庭の味になるようです。

ご飯、味噌汁、糠漬けの朝食を日本人の原風景の一つ
と考えて、川辺家の食卓を作ってみたいと思います。

2013年12月10日火曜日

「草食男子」の恋愛観と「プア充(ぷあじゅう)」って言葉

結婚式に携わる仕事をしていて、我々バブル世代と言われた時代のカップルが、
少なくなり、新しい複数の選択があり、沢山の参考意見があり、自分達が、
択ぶ時代となり、選び切れない、選択・決断しきれない男女が多い事に、接客時
感じる。 そこでふと世代の分析をしてみようと考えた。

「草食男子」という言葉が、世に出て少し時間が経過した。ちょうど、2006年今から7年前に
造語として、作られ。2009年に流行語大賞となり、注目されている。
その2006年に20歳だった男性が、今結婚適齢期の27歳になり、この世代が、
「結婚」、「住居や車などの高額消費」の世代になっている。

そもそも「草食男子の恋愛観」の背景には、男女雇用機会均等法、ストーカー規制法等の関連法規が整備された事もあり、女性達は自らの好みではない男性からのアプローチに対してはっきりと拒絶の姿勢を取るようになった事。 これが、旧来の男女の恋愛観を一変させたようである。

男性の脳裏には、常に自分は相手の女性に受け入れらるのか否かという疑念が付き纏うようになり、拒絶された場合、自らの尊厳が大きく傷付けられ、又、職場や学校に於ての関係も気まずいものとなる為、意中の女性にアプローチする事を躊躇うようになったのである。こういった状況の中で、女性と恋仲になるには、女性側からのアプローチを
待つ他無いと考える者が出現した。これがいわゆる、「草食男子」である。

女性達が、困っている。電話で盛り上がるのに、
デートすると、進展しない。

この言葉は、すごいことを表現している。電話という、バーチャルの中で、自分が表現
できるが、対人となると萎縮するのか?

一方、よく似た世代で生活観の概念の言葉として、「プア充(ぷあじゅう)」
と言う言葉もあるらしい。高収入を追い求めずそこそこの生活レベルを保って
暮らしていければ満足する「プア充」と呼ばれる生き方。

「プア充」と言われる人たち、どんな存在なのかと言いますと、

下記のような者達のことだそうです。

1.年収は300万程度。それ以上は稼がない
2.ローンを組んで、家や自動車を買わない
3.仕事にやりがいを求めない
4.お金が無くても「待つ」ことで快楽は味わえる!
5.貯金が無くても子供をつくるべき!
6.まずは相手に迷惑をかけるべき
7.働きすぎてはいけない!
8.地方に住まない! 都会に住む!


これらはマスコミが作っているのか?
それとも、社会の環境の影響を受けて育ってきたらそのようになったのか?
「夢」、「志(こころざし)」、日本の国に考える
ハングリーな同世代もいるのも事実である。

結婚と言う人生の節目をお手伝いをする仕事、
日本の将来を共に築いていく世代、切磋琢磨をして
日々向上を共に目指したい。
 
 


2013年12月9日月曜日

『八重の桜』で涙するシーン

NHKの大河ドラマ     
『八重の桜』である。
来週で終わってし
まう。毎週毎週
尽かさず見てきた。

会津が、孝明天皇
の際に京都守護職
に就任して頃ぐら
いから、ドラマを見る
度によく泣いた。
そして、私は必ず泣くシーンがある。それは、どうも「義を貫くところ」
「至誠の心を貫く場面」であることが、わかってきた。

本当に一生懸命に働き、忠誠の心を持ち、己よりも部下
思い、自分よりも国や殿を想う「心」に涙する。
自分自身は、こんなに社員の事を考えているのか?
自分自身は、日本の国事を考えているのか?

会津藩主の松平容保
同志社を創立した新島襄

ともに、『志』があり、「生き様」が、あり、その生き様を貫き、義を貫き貫こうとする
気持ちを部下が知っており、殿と一緒に考え、殿と一緒に哀しみ、悩み。
それらの一生懸命に生きる様を見て感動して涙を流し、自分自身の
何もできていなさに涙を流すのである。

会津松平家では、藩祖保科正之が定めた神道、儒教、家訓十五条を三本柱とする
厳格な家風が貫かれていた。中でも、容保に大きな影響を与えたと考えるのが、
家訓十五箇条だった。その第一条には、「列藩に増して、将軍への忠勤に
励むこと。もし将軍に二心を抱いたら、それは私の子孫ではない。家老たちは
決して従ってはいけない」という厳しい教えが書かれていた。
この家訓を家老いか、民、会津藩のすべての人が知っているから
殿の悩みや殿の判断にしたがい、一つになれるのであろうと思う。

新島襄は、アメリカを見、世界を感じ、日本の将来を考えた。日本の将来を
支える日本人を育てるために大学を設立する。

「志」である。『志定まれば、気 ますます盛んなり』
これは、吉田松陰の言葉、今日も元気に頑張ろう!





2013年12月8日日曜日

広沢の池、鯉あげの季節とうなぎ三兄弟

広沢の池、鯉あげの季節となり      
ました。とニュースで放映されると、
年末を感じる、あのテレビ画像の
京都嵯峨の紅葉と水の
抜かれた池は、大掃除の季節です。

この頃、鯉がまるまるとしている
ように、うなぎもまるまるとしてくる
時期です。

東京・関東に出てきて早25年。
私のような関西人が、美味しいな
と思ううなぎは、品川のうな泉の
「坂東太郎」と言ううなぎ。
うなぎに名前があるなんて!
びっくりしてもう12年は、行っている。旧東海道の商店街にカウンターだけのうなぎ屋さん。

昔、父を連れて行き、お前!昼間にこんな美味しいのん、こんな高級な食べてるのか!
と怒れたうなぎ屋さん。美味しいからお父さんを連れて行ったのに、、、、
秘伝の100年以上のタレは、継ぎ足し継ぎ足しでやってきたよと言う店の亭主、
100年も続くうなぎ屋さん、すごいです。

その亭主に教えて頂いたうなぎの三兄弟。
長男が、坂東太郎。 利根川の異名で、
「坂東(関東)」にある長男格(日本で一番
大きい)の川、という意味である。
弟格としては筑後川の筑紫二郎(つくしじろう)、
吉野川の四国三郎(しこくさぶろう)がある。

このうなぎ。坂東太郎は、霜降り肉と言われています! うなぎの脂が口の中
でサラリと溶け、後口が非常にあっさりしているのが特徴です

是非、江戸の玄関口、品川宿にある、品川神社に
参拝をして、その後お昼は、うな泉さんで、
坂東太郎食べてみてください。