2014年10月7日火曜日

信(しん)は、信じるという
信用の信。 自分から、
相手に対しての能動的に
考えてしまうが、もっとも
大切なのは、受け身の
受動的において、相手
より信じられる事である。

つまり、信じられる。
信用を得る必要が有り
これが、大切になる。


その意味を考えると
「信」は、人=心と言葉
の一致であり、行動と
言葉の一致が必要。
「言行一致」する人が
信用のある人となる。

孔子の言う、「民、信
なければ立たず。」と
言う教えにもあるよう
に、「信」は、道徳の
中心である。

例えて言うと、「信」は
人において、輗(げい)
軏(げつ)と同じである。

輗(げい)は、牛車に
おいての、牛と車とを結ぶ、横木の事であり、
軏(げつ)は、馬車においての、馬と車とを結ぶ、やはり横木である。

牛も馬も、この輗(げい)、軏(げつ)が無いと、ただの牛馬と車に
分かれてしまい、いくら良い牛や馬と車でも、役割としては、機能
しないのでである。

輗(げい)、軏(げつ)が有ることにより、牛車、馬車となり、人や物を
運ぶことができる。

信は人の行動にとって扇の要のような存在で、信がなければ、
いかなる職位にある人も、いかなる事業に就く人も、世に立って
いけないのである。

「信」がないと、四徳といわれる、仁義礼智が、成り立たない。
人間社会において、もっとも必要なのが、「信」である。

孔子の言う、人生の極意は、「輗(げい)、軏(げつ)」一つを手に
入れることにある。

信を築くには、日々の努力が必要である。さあ、今日も一日頑張ろう!

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