伊邪那岐の禊により誕生し
た須佐之男命の子孫に
有名な大国主神が、おられ
ます。
出雲大社の主祭神として
祀られるこの大国主神に
は、沢山の名前があります
『古事記』では、大穴牟遅神
(おほなむぢのかみ)、大己
貴命(おほなむちのみこと)、
大汝神(おほなもちのかみ)、
大穴道神(おほなむちのか
み)、八千矛神(やちほこの
かみ)、宇都志国玉神(うつ
しくにたまのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)。
『日本書紀』では、八千矛神(やちほこのかみ)、廣矛魂神(ひろほこ
みたまのかみ)、大物主神(おほものぬしのかみ)、葦原醜男(あし
はらしこを)、大国玉神(おほくにたまのかみ)、顕国玉神(うつしくに
たまのかみ)、出雲大神(いづものおほかみ)。
これほどまでに、沢山の名前をお持ちだったのは、我々の日本人の
祖先が、農耕民族となり、それぞれの地方において、家を作り、
国を作り、生活をしていく中で、土地に定住し、自身の祖先を祀り
そして、土地の神を祀るようになったからと言われている。
つまり、祖先を祀る、祖霊信仰から、その土地の神として祖霊信仰
の上に立つ神として、大国主神、国魂などさまざまな名前でよばれ
た事が起源と思う。この神の名は、「強い霊力をもつ土地の守り神」
の概念をあらわすものとして、全国に祀られた。
地域ごとに別々のオオクニヌシがまつられていたと推測される。
三世紀はじめに誕生した大和朝廷は、三輪山の大物主神を王家
の守り神としてまつった。
国を作り、治め、人々の暮らしを平和にしていくのは、大変なこと
その中に、大国主神の力は統一する力があったのだと思う。
農耕民族の日本人が、天の天津神、天照大御神から太陽の恵、
エネルギーを得、地の神、大国主神、山の神から、水や大地の恵
をそれぞれに感謝をして祀る分化が、沢山の同じ思いが、
沢山の大国主神の名前を創りだしたのかと思う。
日本全国に古くからある大国主神を祀る神社。本当に神社の歴史
が、日本の歴史や風土、祖先の生活を物語っているところが、
とても興味深く、面白いのである。
三連休明け、今日からまた頑張ろう!
0 件のコメント:
コメントを投稿