2014年12月13日土曜日

東海道五十三次

先日のお食事会は、品川プリ
ンスホテルの五十三次にて行
われました。

そのお部屋に飾られていた絵
が、なんとも良くて、写メしま
した。

東海道は、江戸時代に整備さ
れた五街道の一つ、そして、
五十三次は、東海道にある53
の宿場を指す。古来、道中には
風光明媚な場所や有名な名所
旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳
句の題材にもしばしば取り上げ
られた。

東海道は、江戸から京都を結んだ。今回の会食会の部屋は、
藤沢と言う名前のお部屋で、この絵も藤沢という題名でした。
もう一つは、三島という題名。

当時の街の賑やかさが伝わる絵で、江戸時代の日本の平和
や旅姿、美しさを感じました。

絵の中に鳥居があるのが、気になりました。藤沢は、どこの鳥居
なのか調べてみると、江島神社の一の鳥居とのこと。素晴らしい!

藤沢は、慶長6年(1601年)に東海道の宿場となった。後に戸塚宿、
川崎宿が追加され東海道6番目宿場。東海道五十三次整備以前
から清浄光寺(遊行寺)の門前町として栄え、後北条時代は
小田原城と支城の江戸城の桜田門、八王子城、玉縄城をつなぐ
小田原街道の分岐点だった。

清浄光寺の東側に江戸側の見附(江戸方見附)があり、現在の
小田急江ノ島線を越えた西側あたりに京都側の見附(上方見附)
があった。この範囲が藤沢宿とのこと。

絵に見られる、大鋸橋の京都側南東には江島神社の一の鳥居が
あり、ここから江の島道が約1里(約4km)の距離で江の島に通じ
ていた。

八王子道(現・国道467号)のわきには源義経が祀られている
白旗神社がある。幕末には70軒以上の旅籠があった。

すごい!神社の歴史、時間の流れは、日本の文化をたどっていく
のに、すごく関係する。

今日は、ここまで、

今日も一日がんばります。

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