2014年10月31日金曜日

和魂と荒魂

人は、一霊四魂が元と言われ
る、四魂の中大切な二つ、「和
魂(にぎみたま)」と「荒魂(あら
みたま)」って、何かと勉強して
いくと、易経における、「太極
(たいきょく)」から陰陽が生じ、
宇宙自然の創造は、この陰と
陽によって無限に生成化育さ
れる。と言う教えと出会う。

陰は陽にも変じ、陽は陰にも
変じ、陰陽相応じて無限に
新たな創造進化が行われる。

陰が陽の気を受け止
めてあらゆる物が、
生成化育されていく。

陽と陰はプラスとマイナス、男と女、積極と消極、発展と調整、
知性と情性、欲望と反省、剛と柔、の相対関係。
これを陰陽の相対性原理と呼ばれる。

陽は造化の活動面を表現し、発展であり、分化する。分化過ぎれば
活動・発展は疲労して散漫、分裂し衰退する。これを救うのが陰で
陽の活動・分化を調整し統一していく。

陰陽の二者が相和し、無限の創造進化が
行われる。この中和状態を「中」という。
つまり、神ながらの産霊(むすひ)の本質である。

「和魂(にぎみたま)」は、陰である。「和」は賑(にぎ)わう。
そして和魂には、「奇魂(くしみたま)」と「幸魂(さきみたま)」の
二つがある。

「奇魂」は、結ぶ心、人々を一つの心にする働きをいう。
また「くし」は、髪を一つに束ねる「くし」、団子を一つにする「くし」(串)
神前に供える「玉串(たまぐし)」も、魂の「くし」の意味。
有り難い懐かしい心、誠の心を神に捧げるというしるしです。

「幸魂」は、数多いこと、豊富という意味。同時に分裂、分化、「さく」(裂)
といい、よく栄えてゆくこと。

「奇魂」は、陰、「幸魂」は、陽。「和魂」は、
この二者の権衡(けんこう)を得る
ところに、まったきを得るのである。

「荒魂」は、陽である。「和魂」と相対するのが、「荒魂」
猛き強き心、より善く、より美しく、より麗しく、輝く意思、
それは、人格を陶冶する向上心へ結ばれる。
「荒魂」は、「現す」、「現るる」という「あら」の魂。

天照大御神は「和魂」そして、「撞賢木厳之御魂天疎向津姫命
(つきさかきいづのみたまあまざかるむかつひめのみこと)」が、
伊勢の内宮の別宮、天照大御神の「荒魂」になります。

神ながらのはなしは、大好きで、長い長い文になってしまいました、、

「和魂」、「荒魂」、「奇魂」、「幸魂」の理解を深め、向上する。
産霊の力を頂くのである。

易経との出会いは、陰陽の相和、生成化育、また、産霊、産巣日
の力を伴う、「中」。中は、「中庸の徳」に繋がる。

もっと、もっと、自らの魂を高め、精神を高めたい。

今日から、三連休の準備開始。頑張ります!


2014年10月30日木曜日

カーペンターズ

朝の時間と言うのは、私が、ブ
ログを書いていると、その後ろ
で、家内は、ラジオ英会話を
聞いております。

先日のスペシャルウィークと
言うのが、いつもと違う雰囲
気!なんと!カーペンターズ
の歌が流れていました。

あのヒット曲、(They Long To
 Be) Close To You

Why do birds suddenly appear
Every time you are near?
Just like me, they long to be
Close to you

Why do stars fall down from the sky
Every time you walk by?
Just like me, they long to be   Close to you

On the day that you were born  The angels got together
And decided to create a dream come true
So they sprinkled moon-dust   In your hair of gold
And starlight in your eyes of blue

恥ずかしながら、上の写真が、16年前の私達の結婚式披露宴の
写真! カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」を歌ったのです。

「歌」と言うのは、本当に不思議、昔のあのカラオケで何回も練習した
事を思い出しました、、、
 

結婚式、新郎新婦様の大切な日をお手伝いさせて頂いている事、
お二人の立場に立って、良き出発の日であるようにお手伝い
させて頂けるよう、再認識!

緊張感を高め、望むよう、心しました。






2014年10月29日水曜日

訪問着

昨日、いつもお世話になる会場
の女将より、「12月、結婚式の
およばれされました、何か、私
に似合う着物を提案して。」とご
要望頂きました。

おお!着物のTPOを考える
とやはり、部下の結婚式に
参列される上司として、
準礼装の着物が、良いかと
思います。

ただ、日頃のお仕事から、
着物の方、普段着ない着物で、

紳士服のTPOであれば、上司
それも、スピーチがある立場
であろう方なので、準礼装と
なり、ディレクターズスーツ
または、タキシードと考えます。
時間的ルールであれば、
昼間は、ディレクターズ、
夜は、タキシードとしますが、
日本の婚礼では、時間の設定
は、アバウトとして両方着用
しています。

一方、今回の着物!

やはり、訪問着か?

と思うとなかなか難しい、
日頃よりお仕事で、お着物を
おめし方なので、、ご提案に
も緊張致します。

仕事の際には、あまり着用
出来ないだろうと思われる、
少し派手目で、おしゃれ、また
落ち着きがあり、楽しい素敵
な着物。

難しいです。今回は、四点の
ご提案の中、二点をこの
ブログにてご紹介致します。着物の格を、簡単な表にまとめてみました。

実際に女将さんに気に入って頂けるか、、、緊張ですが、ご提案してみます。

さあ、今日も秋晴れ、頑張ります!





2014年10月28日火曜日

八と赤き心

先日勉強していた中で、日本人
は、「八」という数を重視してい
ました。と読みました。

「八」は、無数、無限という意味
を表します。それゆえ八百万
神といえば、無数の神々という
意味になります。

花に例えると八分咲き、「咲き
も揃わぬ、散りも始めぬ」の
八分咲きであり、これから満開
に向けて進んでいく、英語で
いえば現在進行形です。

この心を弥栄といいます。「いやさか」と結婚式の乾杯の際の
発声にも使われました。

美しい言葉です。

日本の国は、「神ながら言挙(ことあ)げせぬ国」といいます。
言挙げとは、つまらぬ理屈は言わない、清明心(あかきこころ)、真心
を尽くして成り立つ国であります。清明心は、赤き心とも書きます。

赤き心こそ、明るい清らかな心であり、これが神道の道徳的精神であります。

そしてこの清明心、赤き心をどこまでも
尽くしていくことを、「追進」といいます。

神道が大事にしている、「明き浄き正しき直き心」を持って
今日も頑張ります!

2014年10月27日月曜日

半玉と芸者

来月のご要望で、芸者さん
二名と三味線一名のご依
頼を頂きました。

先日、「当日は、半玉一名
芸者一名、三味線一名で
伺います、、」とお返事を
頂きました、、、

半玉って?なんですか?
とお聞きしたら、明確な
お答えを頂きました。
関東では、芸子⇒芸者
舞妓⇒半玉と呼ぶとの
ことでした、、

「半玉」って、、半熟玉子
思い出すと言うか想像
してしまいました。

調べて見ると、半玉(はん
ぎょく)とは関東地方を中心とした花柳界における年少芸妓(芸者の
見習い)のことである。とありました。また、他には、「玉代(ぎょくだい)
が、半分の芸妓。」とありました。玉代は、花代。
その他、別名「おしゃく(しばしば雛妓の字があてられる)」「赤襟」。

「半玉さん」の髪型は日本髪で唐人髷または桃割れ、少し大きくなる
と結綿に結ったりもしたという。髪には花かんざしを飾る。

服装は、振袖となる。半玉の間は正式な座敷姿で(白塗り日本髪)
お座敷に出るが、関西の「舞妓」と異なり正式な形であっても裾は
「おはしょり」をしているのが特徴。帯は錦の帯を半玉独特の形
(通称「おしゃく結び」・一般に後見結びと呼ばれるものに近い)に
結ぶ。半襟は紅系統で豪華な刺繍が施され、足元はぽっくり下駄
である。

まとめてみると、
「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたである
が、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった。

芸妓は多くの場合、一人前の芸妓と見習とに区別されており、
それぞれの名称が地域によって異なる。

● 京都
  お茶や団子を提供する水茶屋で働く茶立女(ちゃたておんな)が
  歌舞伎芝居を真似て三味線や踊りを披露するようになったもの。
  芸妓を「芸妓(げいこ)」、見習を「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

● 東京を中心とする関東地方
  芸妓を「芸者」、見習を「半玉(はんぎょく)」・「雛妓(おしゃく)」などと呼ぶ。

和婚のお仕事をするようになり、日本の文化として、獅子舞や、
大黒舞、恵比寿様、お囃子、等の方々とご縁を頂き、芸者さん、半玉さん
三味線、琴の先生の方、ともご縁を頂き、楽しい限りです。

家族だけの結婚式において、余興の一部を外部の芸人さんに手伝って
もらうのも、親族が楽しめる結婚式になっているように思います。

今日は、朝からなかなかパソコンの前におれずに、今のブログアップに
なりました。今週も頑張ります!

2014年10月26日日曜日

親子の間

昨日は、伊勢五十鈴川畔の
内宮にて参拝しました、参拝後
その清々しさの気持ちを与えて
頂いた事にひたすら感謝の念。

また、今ここにいる私を感謝す
ると、今、会社店舗にいる社員
に感謝、今まで育てて下さった
親に感謝しました。

そんな時に思い出した、親子の
間(おやこのあいだ)の関係は、
社会人としての、上司と部下と
の間の関係に似ていると最近
本にて読んだ事。

ウチの会社のような、少人数の
10名強の会社は、家族と同じ
である。社長が父である、ならば
社員は、子供。上司が親なら
ば、部下は、子供。

しっかりとコニュニケーションを
取れる中でいたいものです。
親は、無償の愛、見返りを求め
ない愛を注ぎ続ける努力を行い
それは、徳を厚く積まないと行け
ません。子は、「孝」、親に心配
かけさせることなく、顔色を作り。
笑顔で、挨拶ができ、仕事を
通じて、人間を磨けるように
努力を積む。

家の中は、孝、家を出たら、弟
論語が教えるこの言葉は、
奥深い。「弟」は、「忠」に通じる

親子の会話が出来る家にして
いかないといけない。
社長と社員、上司と部下、其々
が、自分の立場を理解し、同時
に相手の立場を理解して、会話
しないと行けない。

相手の思う気持ちである。

相手の気持ちを自分の胸に
しまいながら、思いも伝える。

昔から云う、「修身斉家治国
平天下 しゅうしんせいかち
こくへいてんか」

自分を修めないと、家が
斉(ととの)えることが出来ない
のである。 自分を修める事を、日々三省しないと、成長できない。
今日、私が話した、話方は、正しかったか? ちゃんと相手の気持
ちも理解して話できたか? 嘘(うそ)、偽り(いつわり)は、ないか?

人生の折り返し50年、しっかりと日々を積み重ねて行けるように
一日、一日を送りたい。五十鈴川の川のせせらぎにて
心を鎮めて、思い浮かんだこと。

今日は、大安、秋晴れ、頑張ろう。


2014年10月25日土曜日

猿田彦神社

伊勢の宇治山田内宮のそば
にある、猿田彦神社。
私が小学校三年生の時に
(今から37年前昭和52年)
両親に連れられて初めて
きた神社、その頃の日を
今だに思い出します。

交通事故や怪我が多い
私の守り神として、母が
探してくれた神社、この神社
は、あんたの守り神やから
ずっと行くんやで、、、
と小学校四年生からお守り
を身につけて来ました。

大学受験の18歳からは、
毎年正月にお参りに行き
今年の正月で、28年に
なります。

その猿田彦神社の遷座祭
にお招き頂き、昨日は、
参列致しました、真っ暗闇
の中、神職約70名ぐらい
で行われました。盾や鉾
弓、弓矢、絹傘、等を持っ
た姿、歩いている際は、
低頭しているために見れ
ませんが、厳粛な中を玉
砂利を歩く音、おーーと
言う声だけが、響いてい
ました。

猿田彦神社は、日本神話「天孫降臨」で、邇邇芸尊(ニニギノミコト)ら
を先導し道先案内をしたとされる猿田彦大神と、その子孫で現在の
伊勢神宮の地を倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に献上した大田命
(オオタノミコト)を祭る同神社になります。

今回の遷座祭は、ご本殿の耐震工事を完了し、神様の御霊をご本殿
に戻す遷座です。

遷座祭の後は、やはりご本殿が静かに、清らかにお鎮まりになられて
いるのをすごく感じました。
私の一生の内に、こんな大きなお祭りに参加出来る事はもうない
と感じます。本当に参加できてよかったです。

会社の皆様、ありがとうございます。今日は、伊勢の内宮外宮において
グループ会社全ての繁栄とスタッフの皆の幸せ、健康をお祈りし
国の安定、平和を祈念致します。

今日も一日頑張ります。 

2014年10月24日金曜日

日本の美徳

先日、新宿伊勢丹のショー
ウインドーに飾られた挨拶
の言葉の数々、あんな
一等地のショーウインドー
にデカデカと挨拶言葉だ
けで、何が表現したいの
かな?と興味を持ち
ました。

調べてみると、テーマが、
「日本の美徳」、「おもて
なしの心」。

普段使いなれた美しい
日本語のキーワードを
通して表現しているとの
事。

改めて、食事の際の言葉
「いただきます」
山や人の頭の一番高い所
を「頂(いただき)」と言うよう
に、本来は頭上に載せる
意味なのだそうです。神様
にお供えした物を食べる時
や、位の高い方から物を受
取る時に、頭の上にかがげ
たことから、「もらう」「飲食を
する」の謙譲語として「いた
だく」が使われ、食事の前
の挨拶になったとされて
います。

「ごちそうさま」
「御馳走」のその文字が示すとおり、馬を走らせ、駆け回って、各地から
食材を取り寄せ、料理に腕をふるったことからきていると言われて
います。おもてなしを受けた側は最大限の感謝を込めて「ご馳走様」
と言ったとされています。

また、挨拶の言葉、「こんにちは」、「ごきげんよう」もとても美しい。

「ごきげんよう」
「ごきげんよう」は、「ご機嫌」+「よう」に分けられます。「機嫌」には気分
様子・安否の意味があります。「よう」は「良く」が変化した語で、その二つ
が一緒になることで、「ご機嫌よくお過ごしください」といった意味になり、
相手の健康や気持ちを気遣うニュアンスが込められています。l

日頃使っている言葉を再認識するのは、とても良いキッカケと思いました
「頂きます」も「ごちそうさま」も「ごきげんよう」もどんどんと気持ちを
感情を込めて使っていける。

日本の美徳は、言葉につまっている。相手への「ねぎらい」「きづかい」
が言葉の隅々に入っているのが、本当に美しいと思う。
意味も含めて、次世代に伝えて行きたい。

今日も一日爽やかに、元気に頑張ろう!



2014年10月23日木曜日

創業40周年を目指す

昨日は、月一度の研修日、
午前中は、日本の結婚式
の歴史とホテルウエディ
ングを勉強しました。

担当の店長もしっかりと
資料を作成し、良い研修
内容だっと思います。

午後は、各チーム、メイク
チーム、カメラチーム、
プランナーチームに分か
れて研修をしました。

私は、プランナーチーム
に加わり、来年6月創業
15周年を迎えるにあたり、グループ創業の地、大阪に社員全員で
行き、方針会を行いたい! その際に、2040年創業40周年の
時には、こんな会社になりたい!ということを一緒に考えました。

論語で言う、「吾十有五にして、学を志し、三十にして立ち、四十
にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳従い、七十
にして心の欲する所に従えどものりを越えず。」と有るのは、
なんや、人の人生だけでなく、会社の成長もおんなじや!

まだウチの会社は、15年、つまり、学を志し、いわゆる、経営理念
や経営目的を再度、見なおして、志を練りなおし、同じ目当てに向かい
努力することを再度、スタートしたい、創業の気持ちに帰り、
スタートの年としたい。

振り返り20年、私が社会人として、始まって、まだ24年。
あっと言う間、これからの25年をあっと言う間にまた過ごすと
すると、創業40年まで、直ぐーー

新幹線が50年、東京オリンピックから50年、うかいさん50年と
阿部BMWさん50周年と50年続きのお祝い事が、周りにあり、
それぞれの歴史を聞いていると40年の時に形になったと聞く、
まずは、創業40年前の計を立てて、創業15周年を大阪で
やる! と話になりました。 2040年、平成52年、の目標、
夢をたてて、スタート!

今日もそんなテンションで、明るく頑張ります!

2014年10月22日水曜日

潜在意識

昨日は、潜在意識の可能性
潜在意識の活用をもっと
もっとすると必ず夢は、達成
し、心身共に元気になり、
幸せになるよ。と言う教えを
学びました。

潜在意識は、心の中にあり、
右の図の大きな氷が、心と
したならば、日常的に私達
が、理解している心は、氷山
の一角、図の海面の上に
見えている部分の心でしか
なく、海面の下に、潜在意識
という、心の大部分として
ある、意識されていない存在
の心がある。

具体的に考えてみると、私達が寝ている間にも心臓や肺、内臓の機能は
動いている。私達が指示をしないでも動いている。これは、潜在意識が
動かしている。

また、明日の朝は、四時半に起きる!と寝る前に、起きる、起きると
繰り返しながら寝ると、四時半前には、目が覚める。この現象も
実は、自分の潜在意識が、働いてくれている。

本には、六つの潜在意識の機能が書かれていました。
第一に、潜在意識は、四六時中休むことなく活動を続けている。

第二に、潜在意識は、同時に多くの活動を平行しておこなうことができる。

第三に、潜在意識は、個人が体験したすべてのものを吸収してそれを将来
の使用に備えて記憶している。またそれはわれわれの先祖の経験した
知識も全部貯えている。

第四に、潜在意識は、意識する心が指令を発すれば、潜在意識はどんな
ことでも素直に受け入れる。そしてそれに従順に奉仕する。
つまり、潜在意識は、私達の欲するあらゆることを実現させる偉大な力を
内臓している。、
⇒ なるべく明るい善いことだけを考え、意識することが大事。

第五に、潜在意識は、考える機能がある。日常生活において、考えあぐねた
ことがあったら、それを自分の潜在意識にたずねて解答を求めると、
しばらくすると潜在意識から解答がとどけられる。

第六に、潜在意識は、わたしたちの感覚器官を全くたよらず、別の方法で
外界との交渉をおこなうことができる。
⇒ 具体的には、「以心伝心」や「第六感」、「虫の知らせ」などと言われる
  機能である。

この潜在意識は、使えば使うほど湧きでてくる無限の泉、その泉が、
わたしたちの体内に存在する。これが人間の真価であると認識する。

潜在意識を最大限に使用し、自分の夢を実現したいと思う。
夢を書き上げ、絵に具体的に書いてみるのが大事とも学んだ、

どんどんとエネルギーが湧いてきた!
今日も一日がんばろう!

2014年10月21日火曜日

ご縁

昨日は、父と二人で、昨年
夏に他界した、祖母の納骨
の為に墓へ行きました。

納骨と言っても、本体の骨
は、葬儀後四十九日法要
の時に納骨している。
いわゆるお墓の墓石の下
には、もう入れている。

今回は、納骨堂に、小さい
喉仏を中心にした、大事な
部分を一周期を終えたので、
長男である父と、その長男
である、私が納骨しに行きました。

先日、NHKの特集で、「墓じまい」「墓石の不法投棄」が、問題とされて
いました。少子化や未婚、子供は娘達だけで、家を継ぐ者がいない等
の問題で、代々の墓は、あるが、「墓じまい」をするとのことです。

「墓」の意味は、なんなのか? 「お彼岸の日には、墓参り」と親に連れ
られてよく墓参りに行きました。 「墓」には、家族の家、家長制度、血族
の継続、自分のルーツの確認と自分の今の感謝、今自分があるのは、
やはり御先祖の皆様のお陰であると感謝する為などが、あるように思います。

自分自身が子供を授かり、育て、将来その子供が、独立することを感じ
だすと、自分達自身が、大切に育てられてきたことを子供を見ながら、
両親への感謝、祖先への感謝を感じます。

日々、人としての向上、人間としての成長、魂、波長の向上を考えると
人とのご縁が、限りなく必要に感じます。その人とのご縁は、どのように
して授かるのか? 

哲学者であり、教育者である森信三先生の言葉に、

「人間は一生のうち会うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬も早過ぎず、一瞬も遅過ぎない時に。
しかし、縁は求めざるには生ぜず。
内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、
ついに縁を生ずるに至らずと知るべし」

この縁は、私は、神仏より授かっているように感じるのです。
「会えるべきひとに必ず逢える」と言う力は、御先祖より、神様より
授かると思います。

人とのご縁は、誕生、結婚、葬儀、という人生においての三つの節目
と繋がると感じるからです。

この三つの節目を大切にすること、先祖を大切にすること、神棚を
大切にすること、すべてご縁、自分自身の成長できるチャンスです。
継続していきたいと思います。

今日も朝日の爽やかな、大阪の朝! 沢山のエネルギーを天より頂き、
今日も頑張ります。




2014年10月20日月曜日

プロの仕事

昨日は、京都にて、日本の
結婚式を守る会代表並び
に、本手書き友禅の作家で
ある、秋山先生とのお時間
を頂き、お話をさせて頂く
機会を得ました。

京都における伝統技法、本
手書き友禅の打掛製作期間
は、一着約800日~900日。

それは、デザイン校正、色合
いの決定から、染め上がり
までの20以上の行程を踏み
ます。秋山先生以下、10名
の職人のチームワークで
一着の打掛を作品として世
に出すわけです。

その職人の方々は、もう65
年間、秋山章先生について、
仕事をされてきました。職人
の家四代に渡りされている
職人の家族もあるとのこと。

物を作る行程の中では、白い
絹羽二重の布に下絵を描く
職人、絵を染めていく中で糊
で染め分けを作る職人、
金箔を張り付ける、焼き付
ける、職人。これらの職人
プロの集まりで、一着の打掛
が完成します。

これは、我々の仕事においては、一つの結婚式(挙式+披露宴)を
チームワークで作り上げるのと同じだなと感じました。

同じ目当てに、つまり新郎新婦様からご両親、ご両祖父母、兄妹全て
の人に幸せな時間と空間を共有して頂きたい。という、目標に向かう中。
当日は、挙式を司る司祭(牧師や神職)、カメラマン、ヘアメイク、
披露宴においての介添え、音響担当、司会者そしてプランナー
のプロチームでの仕事です。

秋山先生曰く、「『仕事に(人が)就く』と言いますが、
あれば、違う、『人に仕事が、来る、就く』のです。」

我々のような職人の集まり、プロの集団は、時に自分の仕事に酔って
しまい、自分本位になってしまいます。これでは、チームワークが乱れ
ます。しっかりとした仕事をチームワークでするには、一人ひとりの
まず、人間性が、その人の魂の向上が必要となります。

「つまり、その人の魂が向上した時に、仕事が就いてくる、付いてくる」
のです。

結婚式に例えるとすると、新郎新婦様とご縁を頂き、本当に、神様からの
ご縁を頂き、この新郎新婦と出会い、ヘアメイクをさせて頂いている、
カメラマンとして写真撮影をさせて頂いている、この感謝の気持ちを持って
出会いに感謝できる人間、人となって初めて、プロの仕事となる、

そのプロの集団で、仕事が完成されて、初めて、新郎新婦に喜んで
頂けるのだと確信しました。

仕事に就くのではなく、人に仕事が就く

改めて、仕事の姿勢とチームの心を一緒に向上したいと思いました。
神に与えられた仕事、天職、
その仕事に付ける喜びと感謝を神、そして新郎新婦に捧げ
その仕事に相応しい人間に、魂に向上する。

プロの仕事には、魂の、心の向上が必要です。
今日からまた、精進をしてまいります。






2014年10月19日日曜日

コンパクト結納

昨日は、突然のご来店で、
結納ご希望のお客様に
お越し頂けました。

新郎に当たる、男性とお父様
来月上旬に、結納をされると
の事でした。

「おめでとうございます!、花
嫁にあたる女性は、どこの方
ですか?」
「大阪の南のほうです。」

なるほど、大阪の南の方で
あれば、『結納ぐらいは、しな
さい!!』と言う地域になる。
あの有名な仁徳天皇陵のお膝
元にあたる、結納文化発祥の
地になります。

結納の歴史を紐解くと、四世紀
から五世紀頃、仁徳天皇の時
代に起源がさかのぼり、起源と
なります。

仁徳天皇の皇太子(のちの履
中天皇)が黒媛を妃に迎える
時に贈り物(納采)を贈ったこと
が最初とされ、宮中儀礼の
「納采の儀」として脈々と受け
継がれています。

我々、庶民の間にまで広まったのは、江戸時代末期から明治初期だと
言われています。 その語源は、「結いもの」や「云納(いい入れ)」と
いう婚姻を申し込む言葉が転じたものとも言われています。

今回は、ホテルの和食(洋室)にて、結納式を行われるとのこと
また、地域色は、出さずにシンプルに行いたいとの事なので、
シンプルな結納としては、上の写真二つになるが、もっともシンプルが
上のコンパクト結納という結納セットになります。と案内しました。

結納は、両家、「家と家との結びつき」を象徴する儀式、新婦となる
女性を育ててきた両親の気持ちを忖度すると『結納』は、やはりして欲しい
のだと思います。「結納を交わす」と言う行為が、
「先方の家(男性側)から自分の娘を大切に
迎え入れようという気持ち」として女性の家に
伝わるのたと思います。

このコンパクト結納は、何がコンパクトかというと、いわゆる従来の
目録、受書というものもなく、写真下のような松竹梅の水引飾りもなく
現代風にもっとも主旨としての「結納金」「結婚指輪」「末廣」「熨斗」が
男性側から女性側に渡されるようになっています。

結納返しも行われません。

ただ、このコンパクト結納セットの良いのは、友白髪という、従来の
高砂の人形が、二体のベアになっている所。新婚生活の中で、男女が
出発する日は、このベアをみると感じられると思うからです。

入籍後は、家のピアノの上にベアを並べると男性は、おっしゃっていました
そこまで、結納後のことまでこの結納品の置き場を考えて下さることに
喜びを覚えました。

結婚が決まり、「結納金」の授受も省略されていく中、両家の親の気持ちを
反映させて、両家の結びつきを深め、結婚の決心を固める儀式として、
『結納』は、残していきたい日本の文化のように思います。

どうぞ、末永くお幸せに家族を作って頂きたいと祈念致します。

2014年10月18日土曜日

社長の役割は、「中」

昨日、白倉先生のDVDで   
勉強しました、社長の役割
は、「中庸の中」である。

「中庸」の「中」とは、偏ら
ない、しかし、決して過不
及の中間をとりさえすれば
よいという意味ではない。

よく、50対50の真ん中と
勘違いされるが、そうで
はない。また、中間、平均
値、足して2で割るという
ものでもない。

常に、その時々の物事
判断する上でどちら
にも偏らず、判断できる、位置が、中庸の中の立場。

その「中庸の中」の社長の役割は、二つの「中」に現れる。

一つの「中」は、「あたる」と読む。的中とかに使うように、考えてその考え
が当たるの「中」。戦略を考え、戦略を正しく中てるのである。
店舗を拡大する時期を中て、また売上の変化より縮小する時期を中てる。

物事を俯瞰的にみて、冷静に「中てる(あてる)」のである。

もう一つの「中」は、「むすぶ」の意味での中である。これぞ、まさに、
「中庸の中」、こちらの特徴とこちらの特徴が見抜けているから、
組ませるそして中てるのが、この中庸の「むすぶ」としての社長の役割である。

会社は、様々なスペシャリストの集まりである、プロフェショナルの集団を
束ねるのは難しいが、この中庸の中で、社長の立場で、会社を創り上げる。

時代は、どんどんと変化する、新郎新婦をはじめ、お客様のニーズは、
常に変化する。そのニーズ、要望を形に変えて、事業として答えて
いけるように、変化を中てて、社内の中の人財をむすぶ。

今日も1日がんばります。



2014年10月17日金曜日

孝徳

江戸時代の武士で、自分の
身分から財産、全てを捨て
て、母親の世話をされた、
中江藤樹と言う聖人がいる。
藤樹は、母親の世話の傍ら
に村の人に人の道、特に
大切なのが、親孝行を根本
とする教え孝徳(こうとく)で
あると説かれた。

孝徳は、親孝行の心を持ち
天地から頂いた自分を大切
に育ててくれた、親への感謝
を込めて接し、恩返しとして
の行動に移すことである。

親を敬愛する。親によく仕え、親の言うことは必ず聞くということ
が子としての孝心でありその親からの無償の愛を正しく受け取る
ということでもある。

人の道において、両親への孝行こそがもっとも大切である。その
親への感謝の心が愛敬を産み育て、一円満な家庭を築くことになる。
そして、孝徳の教えである「思いやり」が、子子孫孫の繁栄と平和と
継承を創造することができる。

論語の中には、孝行が色々な方面から、説かれているのである
が、子夏が親孝行についてお尋ねした際に、孔子が解かれる

孝行は、「色難し(いろがたし)」

これは、「親を敬い、いつも和らいだ顔色で親に接すること」が
親孝行であり、これはなかなか難しいと、答えている。

その他には、自分自身が、ただ健康にいて身体に気を付けている
こと、親に心配を掛けない事が、親孝行とも説いている。

そして、親を敬う心を持って、養うことも大切であるともある。

自分自身が、この世に生まれ、今元気に生活が出来ているのは、
両親のお蔭である。親孝行をしっかりと行い、「家」を作る土台を学ぶ。

「親と子の思いやりの心」は、社内における、上司と部下の関係に
匹敵すると、親孝行の孝ができる人は、社内の忠もできる、
友との信もできるのである。

大阪にいる父親を思う。しっかりと敬いの心を持ち、孝行できるように
努めたいと思う。

2014年10月16日木曜日

升掻き(ますかき)

結婚式の鏡開きの際、乾杯
は、鏡開きにて開いたお酒
を升に入れて、乾杯するの
が、人気です。

この升、辞書においては、
度量衡(どりょうこう)の器
とされている。

升は、調べてみると色々な
所で出てくる。

一つは、「升掻き(ますかき)
棒」と言って、升を分量測る
という意味では、その升に
入った、お米等を擦り切り
するための棒。

『日本永代蔵』を読んでい
ると、「八十八の升掻き」
と出てくる。何か?と
調べると、升掻き棒を、
長寿の祝いに、お米に
関係する八十八歳の方に
竹を切ってもらい、升掻き
棒として、頂くと縁起が良い
とされた。

お米を測り、米を炊く際には
計量カップで量るので、升は使わな
くなり、日常生活においてもなかなか
見なくなった。でも升は、益々(ます
ます)繁盛に繋がり縁起が良いとも
されている。

升掻きは、斗掻き=概(とかき)とも
同義とされている。また、升掻きは、
升掛(ますかけ)に繋がり、あの
手相の中においての升掛筋に
通じて、長寿の手相とのこと。

この升掛筋は、実は、私にもある
ので、、長寿は、嬉しい話である。

色んな縁起の良い話は、楽しいし
また、伝承として伝えて行きたい
と思う。

升、升掻き、斗掻き、概、面白い。

今日は、秋晴れ!頑張ります。

2014年10月15日水曜日

ワーク・ライフ・バランス

昨日は、久し振りに弊社顧問
の社会労務士の先生にお会
いした。新しい、仕事環境の
作り方として、国が掲げる
テーマ「ワーク・ライフ・バラ
ンス」と言う言葉を初めて
聞いた。

意味は、その名の通り、
「仕事と生活の調和」と訳
され、「社員一人ひとりが
やりがいや充実感を持ち
ながら働き、仕事上の責任
を果たすとともに、家庭や
地域生活などにおいても、
子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方
が選択・実現できる環境」のことを言う、言葉である。

確かに大事な話である。 

「何のために働くのか?」また、「何が幸せに感じるか?」
と究極に言うとなってくる。

渋沢栄一の言う、「論語とソロバン」
井原西鶴の言う、「始末、算用、才覚」
も大好きな言葉であるが、今までの出てきたのは、どちらかというと
商売、仕事においての言葉で、仕事にプライベートの生活を出す
言葉を知らなかったし、考えたこともなかった。

小さい頃から、会社の上に住み、仕事と家族家庭が一緒の生活をして
来ていたからなのか?

「仕事」と言う概念も、ここでいう、仕事は、上からの指示だけで
受動的に受けている仕事である、だから、仕事をさせられている感
があり、ますます、「仕事」と感じる。

その「仕事」が自分のすごく好きな事で、ずーーとしておきたいと
考えると「その仕事をする事」がすごく幸せなのかもしれない。

ただ一人ではなく、結婚し、家庭を持ち、子供を授かるとまた価値観は
変わる。家庭、自分のプライベートとも言うべき時間も大切であり、
その家族のために、働くという言葉も出てくる。

その中で、やはり、限られた時間、人間皆平等に与えられた時間の中で
いかに充実し、満足の行く時間を過ごすかが、豊かな気持ち、幸せな気持ち
になれるはず。 

その「満足の時間」が、「仕事」でも「家庭」でもおくる事ができたら、
これほど幸せな事はない。

仕事を通じて人間を磨くと同じように、家庭においても夫婦円満の中に
我慢、相手の気持ちを理解するという場面において、「謙虚」な言葉
態度により、人間を磨く場面もある。

会社の中で、色々な価値観の人間の集まりであるが、一つの理念である、
「幸せな時間と空間を作るお手伝いをし、新郎新婦を始めお父さん、
お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、兄妹、友達全ての人に新郎新婦
の幸せの輪を広げるお手伝い、幸せの発信基地になる。」
という、経営理念の元、仕事をしているのである。

仕事においての充実、自分の技術の向上、相手を思う、チームを思う
気持ちにおいての精神の向上、それが、楽しく、時には、厳しくでも
分かち合える会社になりたい。

神道の中にある、人間は、一霊四魂(荒魂:あらみたま、和魂:にぎみたま、
奇魂:くしみたま、幸魂:さきみたま)で出来ているとするならば、

この一霊四魂のますますの開運を人間社会においての、他の人との
交わり、一霊四魂同士の磨きあいで、向上していくのである。

この辺の少し、神道の言葉を簡単にして、社員の皆と分かち合い
理解し合い、協力しあえる、仲間となり、ワーク・ライフ・バランスの
とれた、社内にしていこうと思う。

今日は、品川神社のゴルフ、「赤めん会」である、頑張ります!




2014年10月14日火曜日

パパママ婚

三連休に、関東にも訪れ
ようとしていた、台風19号
もどうにか、本格的に到着
する前の午前中に結婚式
が、終えられて、ホッとした
昨日の結婚式!

何年前か?約3年ぐらい
前かに、ブライダル総研と
言う、ゼクシィの子会社
のセミナーで話を聞いた
「パパママ婚」、いわゆる
お子様を授かってからの
結婚式。

昨日の結婚式は、その
パパママ婚のものすごく
温かい、愛に満ち溢れた
結婚式でした。

いわゆるお子様のゲスト
が多く、大人36名に
お子様10名、それも
3ヶ月、6ヶ月、1歳半、
1歳半、3歳、3歳、5歳
5歳、7歳、9歳のゲスト
でした。

でも流石!の花嫁は、
結婚式の間も赤ちゃん
や子供達が飽きてし
まわないように、お子様
には、パズルやお菓子
その他のグッズを一人
づつに袋に入れて、
お席に置いて有りまし
た。新郎新婦のお嬢様
は、お母様がケアーを
して頂けました。

大人もお子様も喜ぶか
と、余興には、大黒舞
も登場!!しました。

ゲストのお友達夫婦も
親族も皆様満足の温か
い愛情一杯の結婚式
になりました!

結婚式を終えた新郎
新婦とお嬢様。本当に
清々しいお顔で、喜び
に満ちあふれていまし
た。披露宴の途中に
新郎が、新婦に内緒で
進めていた、サプライズ
のペンダントも、無事
に演出として、新婦に
渡されて、鳴り止ま
ない拍手でした。

結婚式の準備期間は、
遠く群馬より車で何度
か新宿のサロンにお
越し頂きました。
その際、新郎は、いつも
お嬢様を抱っこ紐で
自分の前に抱っこして

あの風景は、現代の
一番仲の良い夫婦の
シンボル!

核家族の現代、夫婦
二人それぞれが、思い
やりを持ち、愛娘を一生
命に愛情もって育て
いる絵でした。

パパママ婚と言うのは
実現は、本当に難しい
招待したい友達も小さい
子供がいるし、自分達
も授かった子供の子育てがあるし、でもその壁を乗り越える事が
出来るのは、周りで支えてくださっている、やはり、友人や家族、そして
ご両親。 そんな、皆様が、ニコニコ笑顔で、新しい家族の節目作りの
お手伝いをして実現するんだと、実感いたしました。

本当に、おめでとうございます。 また、末永くお幸せになって頂きたい
です。

三連休と台風19号、過ぎ去るとアッと言う間です。今日も1日頑張ります。




2014年10月13日月曜日

祖父母の愛

昨日の披露宴において、
サプライズを新郎のご両
親が、企画されました。

披露宴に参加出来ない、
ご祖父母様からのビデオ
メッセージです。

「どうしても参列できない
おじいちゃん、おばあち
ゃんのメッセージを新郎
にサプライズとして、
作成したいのです。」
お父様よりご連絡を
頂きました。

サプライズというのは、
愛情の表現だと思い
ます。

相手の立場に立って、
これをすれば、喜ぶ
感動するということを
実行に移す。

それが、親子間、祖父母
だから、よけいに感動
を頂きます。

祖父母様からのメッセー
ジは、愛情たっぷりで
また、おちゃめなところが
あり、楽しいビデオでした、メッセージの途中におばあちゃんが、
衣装を変えて(赤い衣装よりも白がいいか、、)もう一回同じセリフで、
お話を頂いたりして、、、

温かい家族の姿が、ありありと伝わり、本当に、心が温かく
なりました。

祖父母は、自分の誕生を本当に喜んでくださった存在なのだと思います。
孫である自分自身は、なかなか小さい時、若い時は、祖父母の愛を感じま
せんが、自分が子供を持ち、子供の成長の時に、両親(子供の祖父母)
が、子育てを手伝ってくれている姿より、教えて頂きました。

祖父母が、いて下さり、両親がいて、私がいる。

その大切な存在を、子供にしっかりと教えて、祖先への感謝を
教えたいと思います。祖先への感謝、祖先の考え気持ちを考える
事は、自分のルーツとなり、、
自分自身の存在の意味や、役割を改めて知るキッカケとなります。

昨日は、心温まる、本当によい結婚式でした。




2014年10月12日日曜日

栗まんじゅう

先日、お客様より栗まん
じゅうを頂きました。

栗まんじゅうを初めて
食べた小学生の頃を
思い出します。
小判型の栗まんじゅう
を食べた時に、その
独特な、皮に感動
しました。

妹の家庭教師の先生
に出す為に、購入した
お菓子のおすそ分け
をお母さんがらもらった
ような気がします。

学生時代は、それ程、甘いものに興味がなかったのですが、
その後、社会人になって、秋になると色んな栗まんじゅうが、
あり、秋の楽しみとなりました。

栗まんじゅうの歴史は、江戸時代からあるようです、、
中のアンに栗を使われたのは、明治時代かららしい、、

栗まんじゅうに、栗ごはん、マロングラッセ、モンブラン、、
栗、美味しいですね。

秋の味覚!食欲の秋、食べ過ぎないようにして、
秋を楽しみたいと思います。

三連休二日目、今日も頑張ります!


2014年10月11日土曜日

まごころ

昨日は、易経においての
風澤中孚(ちゅうふ)を学
んだ。中孚これは、真心
(まごころ)のこと。

まごころというのは、表現
が、難しい。

論語に出てくる、「仁」は
人は、二人でないと、
生きていけませんよ、、
自分だけでなく、他人を
思う、人を思う気持ちを
持ちなさい。
人を思うまごころを持ち
なさいと教えている。

「礼」と言うのは、やはり自分とは違う人がいて、行うもの、
『人にして仁あらずんば、礼を如何にせん。
人にして仁ならずんば、楽を如何にせん。』

「人を思うまごころがなければ、礼が何になるだろう。
人を思うまごころがなければ、楽の音も心に響かないだろう。」

「礼」は相手を尊び敬う心がなければ形だけのものになってしまう。
音楽もやはり、相手の心と響き合わせることに基本にある。

「仁」、つまり相手を思うまごころなければ、「楽」の音も心に響かない
つまり、人の心を和らげるr「礼」や「楽」も、まごころからの思いやりで
ある「仁」が、本であるということになる。

易経に教える「中孚(ちゅうふ)」は、「中」=心の中、「孚」=まこと:
親鳥が、爪の下に卵を抱えて孵化を待っている状態を表している。
つまり、「中孚」と言うのは、親鳥の子供を思う気持ち、この心の中を
示す、だから、「まごころ」となるのである。

情景的に表現してみると、「美しい川の水面に静かに漂う小舟」と言われる。

私心が無く、私欲が無い状態で、心の中の「まごころ」が浮かび上がってくる
この「まごころ」をしっかりと自分自身で方向を持つことにより、
相手の思いやりに代わり、接客する相手が、心を開いてくれて
幸せのお手伝いが出来るのである。

さあ今日から三日間、「まごころ」を大切にして、チームワークで、
チームの相手の気持ち、また、お手伝いさせて頂く
新郎新婦やその家族の気持ちを大事に、幸せな家族作りのお手伝い! 

仕事、行ってきます。

2014年10月10日金曜日

自分を磨くチャンス!

日頃、弊社の朝礼におい
て唱和する言葉に、弊社
の人間学、「BUA人間学」
があります。

仕事を通じて人間を磨く
○ 我を捨てる
○ 許す愛を持つ
○ 感謝をする
○ 素直になる

を唱和します。

この言葉は、私の母が、
残してくれた大切な言葉。

これから10月の婚礼シーズンの繁忙期に入ります、ここで、忙しい
と心を亡くさないように、、仕事を通じて人間が磨けるように、
願いを込めて、、読み上げよう!

また、仏教においては、人間が発する、三毒、と言われるものが
あります。口や、行動で、発してしまうと、自分の周りに毒を撒き散らす
事になってしまいます。 それは、仏説聖不動経に出てくる
「貪瞋癡(どんじんち)」と言われる三毒です。 
不動経の中では、お不動さんの剣で断ち切ると出てきます。

「貪」どん=貪欲。必要以上に欲する心。むさぼり。
「瞋」じん=瞋恚(しんに)ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくい」。
「癡」ち =愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。「おろか」。

この三毒を発することをせずに、

自分自身に、明るい太陽の心を持って
この三毒を焼き払い、成長するチャンス!

忙しいことに感謝をして、一年間で一番大切なこの日を
この月を乗り越える。

さあ、今日から準備開始!!頑張ろう!

2014年10月9日木曜日

商売人の「始末」

今年の大河ドラマ「黒田
官兵衛」においてよく出る
セリフ、「黒田の家は、
ケチではなく、倹約です。」
と、「倹約」と「ケチ」では、
似ているようで違う。

実家の父も、近頃、「倹約」
ということを教えてくれる
「お祖母ちゃんの生活を
振り返るとすごく倹約を
してた、それが、金を残す
秘訣やな、、」としみじみと
教えてくれる。商売人の
祖父の奥さんだけある。

商売人においては、昔
から、「商売は、始末、算用、才覚」と言われてきました。「倹約」と
いうのが、この中の「始末」。とても大切だと、心するようになりました。

「始末」を調べていくと、始末で有名な人が、歴史的におられました。

江戸時代中期の近江商人、中井源左衛門が1805年(文化2年)の
正月に、長い商いの体験から得た人生訓を浄土宗を開いた法然の
一枚起請文にならって書き記した。通称『金持商人一枚起請文』と
呼ばれ、中井家の家訓として中井家代々に受け継がれた。

「始末と吝(しわ)きの違いあり。吝光は消え失せぬ。
始末の光明満ちぬれば、十万億土照らすべし。」

始末とケチは違う。ケチで貯まった財産はすぐに消える。
始末で財産が蓄えられれば、世界中を照らすだろう。

世間では『金を溜める人は、運がいいからで、金が溜まらないのは
自分に運がないからだ』と言うが、それは愚かで大きな誤りだ。
運などというのは無いのだ。

金持ちになろうと思うなら、酒宴や遊興、贅沢をやめて長生きを心掛け、
始末第一に商いに励むより方法はない。他に欲深いことを考えると、
先祖の慈悲にも、天地自然の道理にもはずれることになる。

これを心得て実行する人が、五万、十万の大金ができることは疑いない。
ただし、国の長者と呼ばれるようになるには、運も必要で、一代で
なれるものではない。二代、三代と続き、善人が生まれて、
はじめて長者と呼ばれる家になる。

そのためには、陰徳・善事を積むことより方法はない。

この『金持商人一枚起請文』は、のちの子孫の奢りを防ぐために書した
ものである。

いや、本当に、倹約、始末、そして継続、陰徳を積む

心して、今日も頑張ります!!

2014年10月8日水曜日

水をはじく土

昨日の朝刊の記事に感動
した。「水をはじく土」という
記事である。

パナソニックが、家電の
電子レンジやIHクッキン
グヒーターなどの内側に
汚れが付きにくいように
施す撥水膜の技術、撥水
性材料をガラス原料で
あるシリカと化学結合させ、
薄さ数ナノ(ナノは10億分
の1)メートルのはがれに
くい膜を形成する技術を
使って、砂と結合させて、
空気やガスは、通すけれ
ども水を通さない砂を
作った。

すごく興奮した!!

砂漠の砂にこの技術を使うと、広い農業可能地域ができる。

日本の人口は、どんどんと減っていくが、世界の人口は、これから増える。

2050年には、日本の人口は、現在の1億2千万から、9700万人に減少する
一方、インド、中国、アフリカ、東南アジアの国々の人口は、どんどんと増える。
世界の人口は、現在の70億人から、93億人~100億人まで増える
とも言われている。

気候は、温暖化で地球が、砂漠化していく中、食料不足になると言われている
最中、この技術は、とても凄いと感動した。

「IPS細胞」が、開発された時も、色んな病気に苦しんでおられる方が、
少しでも助かるのではないかと、興奮した。 その興奮に次ぐ、この
「水をはじく土」は、将来の世の中にとても役に立つように思う。

昨晩は、この話で長男と色々と話をした。世界の国境が、あるようでなくなり、
アジアにおいては、どんどんと東南アジアの人たちと交流が、進み、
日本民族も、日本国の中において、色んな国籍の人と一緒に生活する
ようになる。 英語が公用化か? などと、国や民族の話まで広がった、

お父さんは、結婚式や神社や日本の文化伝統継承、大切な日本人の
ものを伝える仕事をしていく。

お前は、どうする? 

35年前、私の小学生の頃、21世紀は、どんな世の中になっているかと、
楽しみにしていた、ちょうど、リニアモーターカーの話が、盛り上がり、
子供ながらに、凄いなーと、憧れを思っていた。

人を乗せた電車が、浮かび上がって走る、しかも磁石の力で、と
エネルギーの進化、交通機関の進化に、興味を持っていた。

日々、技術は進化し、生活が豊かになり、平和な時代に、「夢を描く」のは
難しいというが、世界の将来、日本の将来を、技術革新や地球の変化を
伝えることで、未来を考えさせる、そして興奮する話を、もっと子供と
話したい。 あっという間に2050年は、来る。

2014年10月7日火曜日

信(しん)は、信じるという
信用の信。 自分から、
相手に対しての能動的に
考えてしまうが、もっとも
大切なのは、受け身の
受動的において、相手
より信じられる事である。

つまり、信じられる。
信用を得る必要が有り
これが、大切になる。


その意味を考えると
「信」は、人=心と言葉
の一致であり、行動と
言葉の一致が必要。
「言行一致」する人が
信用のある人となる。

孔子の言う、「民、信
なければ立たず。」と
言う教えにもあるよう
に、「信」は、道徳の
中心である。

例えて言うと、「信」は
人において、輗(げい)
軏(げつ)と同じである。

輗(げい)は、牛車に
おいての、牛と車とを結ぶ、横木の事であり、
軏(げつ)は、馬車においての、馬と車とを結ぶ、やはり横木である。

牛も馬も、この輗(げい)、軏(げつ)が無いと、ただの牛馬と車に
分かれてしまい、いくら良い牛や馬と車でも、役割としては、機能
しないのでである。

輗(げい)、軏(げつ)が有ることにより、牛車、馬車となり、人や物を
運ぶことができる。

信は人の行動にとって扇の要のような存在で、信がなければ、
いかなる職位にある人も、いかなる事業に就く人も、世に立って
いけないのである。

「信」がないと、四徳といわれる、仁義礼智が、成り立たない。
人間社会において、もっとも必要なのが、「信」である。

孔子の言う、人生の極意は、「輗(げい)、軏(げつ)」一つを手に
入れることにある。

信を築くには、日々の努力が必要である。さあ、今日も一日頑張ろう!

2014年10月6日月曜日

政(まつりごと)

今日は、朝からなぜか身体
が重く、起きれませんでした
ですので、ブログが、今の
時間となりました、

布団の中で、ずっと考えて
いたのは、論語に出てくる
「政(まつりごと)」の事で
した。

政治の「政」で、「まつりごと」
と読む。

神職における、「まつりごと」
は、「祭事(まつりごと)」で
あります。

日本の天皇の重要なお務めとして、皇室の祖先をお祭りし、
國中が穏やかに、また国民が栄えるように祈られる
宮中祭祀があります。これが、まさに政(まつりごと)=祭事です。

また歴代天皇の多くの方々は和歌をお詠みになっておられます。
和歌は古来、敷島(しきしま)の道といい、言葉の表現を通して
まごころを磨く道と言われています。

そうした「無私」の徳を磨かれる天皇陛下を動かぬ国の中心
(國體・こくたい)として仰いできたことが、国のまとまりと安定に
つながってきた。 それが日本の国柄、日本の良いところでは
ないかと思います。

この國體、こくたい、日本の国のことを我々は、もっと、子供に教え
伝えていかないと行けないと考えます。

「無私」の徳を以って、政をする。

経営者は、志、夢を描いて、「無私」の徳をもって、世のため、人のために
会社運営するのが、大切なのだと思う。その思いを持ちながら、
会社運営の為に、「利」も大切とする。それが、出来るように
ならないと、渋沢栄一の「右手にそろばん、左手に論語」の言葉を
思い出しながら、布団からでました。




2014年10月5日日曜日

四季の女神

昨日の打合せで、12月上旬
の庭園の木の落葉樹の状態
を知りたいと、昨年のお客様
のお写真を一緒に探しました

結婚式においての自分の
着物選び、お食事会場選び
そして、その時の瞬間の
窓から見える景色や、お庭
の状態を知っておきたい
のだな、、とお客様のおもて
なしの心に動かされ一緒に
なり、探しました。

日本は、本当にこの四季の
変化が美しいですね。この四季には、其々の季節を司る女神様が、
いらっしゃり、その神様のおはたらきで、季節の移ろいがあると考え
られていました。

春の神様は、佐保姫様。春が来るのは佐保姫様のおはたらきによる
と考えられていました。

佐保姫の 糸染め掛くる 青柳を 吹きなみだりそ 春の山風

佐保姫が青々と染めた美しい糸が柳に掛けてある。春の山風が吹くと
糸が乱れて、佐保姫が困るからしばらく吹かないでおくれ。

という意味の和歌です。

夏は、筒姫、秋は竜田姫、冬は白姫のお力によります。

千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがは)
から紅(くれなゐ)に 水くくるとは

不思議なことが多くあったという神の世の頃にだって聞いたことがない。
竜田川(大和川)のきれいな紅葉が、流れる水を鮮やかな赤色の
絞り染めにするなんて。

と云う意味です。

竜田姫(たつたひめ)は日本の秋の神様です。別称・龍田比売神。
竜田山の神霊で元々は風神になります。

五行説では西は秋に通じ、平城京の西に位置する竜田山
(現在の奈良県生駒郡三郷町の西方)の神霊が、秋の女神
としての神格を持ったものです。

本当に、これから紅葉の美しい季節になります。
竜田姫のおはたらきで、良い秋、綺麗な秋が訪れます。
楽しみですね、、

今日も頑張ります!





2014年10月4日土曜日

高尾・登山

昨日は、高尾に住む叔父  
の家に泊まりに行きました。

二期制の中学校の秋休み
という事もあり、長男、三
男も一緒に久し振りに家
族の旅行です。

高尾の叔父叔母は、家内
の母方妹で、関東に唯一
の私達夫婦の親戚です。

我々二人が核家族で、
子供三人を育てて来た
中での心の支えでもあり
、私達の結婚前には、
ご挨拶にも行く、親戚の
中では、有名な方でした。

叔父の家は、高尾山の
麓にあり、昨日の朝の
空気は、すごく清々しい
最高の場所にあります。

仕込みのお弁当は、
叔母の焼きそば、、
リックに背負って、出発

まだ、蝉が鳴く程の
気温が30度にもなる
暑い日でしたが、標高
599mの高尾山からの
眺めは最高でした、
遠くに、富士山が少し
見えました。

高尾山の山頂付近には、
高尾山薬王院があり、正式名称
「高尾山薬王院有喜寺」は今から
1260余年前の天平16年(744)
に、聖武天皇の勅令により東国
鎮守の祈願寺として、高僧行基
菩薩により開山されました。

薬王院の名は創建当初、薬師
如来をご本尊とした事に由来
します。現在は真言宗智山派の
大本山として「成田山新勝寺」
「川崎大師平間寺」「高尾山
薬王院」が三大本山とされます。

山登りをしながら、考えたのは
山からのエネルギーを感じ、
頂ける事でした。

小石や岩肌が見える、山道を
歩くと、足の下から、ズンズン
と力を頂き。

登り道に並ぶ、杉や檜、山の
樹々と様々な、植物に囲まれ、
その緑のエネルギーに包まれ、

横を流れる小川からの水の
せせらぎ、琵琶滝や蛇滝の
近くに行くと、その音と、漂う
冷気は、背筋が伸びる。

これら全てが山の力であり、
人間を超えた「上」なのです。
「上」、自然の恵と畏敬の念
が、目に見えない、言葉を
発しない、山への感謝と
なります。

修験道の方々が、「六根清浄」
と声に出しながら、山を登って
おられるのも理解出来ます。

人間の身体は、この世の借り
物。

この身体の「六根」目、鼻、
口、耳、体(手)、意(頭で
考える心)から入ってくる
もの全てを、清めて頂く。

この世の世界においての
「色」として、接する全ての
ものを浄化して、本来の魂
、自分自身の心を鍛える。

大地、国津神から頂いた、身体(六根)を、山、大自然のエネルギーで、
清め、天津神から頂いた、魂、心、「本来の私」を向上させる。

日常の仕事や経験、体験、全ては、「六根」を使って実践し、
その出来上がった価値、だけが魂に残る。

良き経験、良き考えが、「徳」となって魂に蓄積されて、この「徳」だけが
あの世に持っていける。また、この思いは、次の世代に繋ぐことができる。

山登りは、山は、色々と教えてくれる。

さあ、今日も元気にこの溜め込んだエネルギーを沢山の幸せな家族を作る
お手伝いに使うのである。

張り切って行こう! 





2014年10月3日金曜日

論語

成功する経営者の座右
の書は、何ですか?
と言う質問に、昔から
よく出てくる、『論語』、

何年も前から挑戦する
ものの、読む進めて行く
途中で挫折していました

それが!この
『仮名論語』と言う本を
易経の先生のお教え
頂き、手に取り、また、
音読のCDまで購入し
車の中は、いつも、
「子曰(しのたまわ)く、、、」
と聞いていると、

おおお、やっと掴めて来た!!嬉しい、46歳にして、やっと論語
デビュー出来た。感じです。

第一の章に出てくる、数々の聞いたことあるよなーーと言う、言葉
も別の切り口で自分なりに、理解でき、とても嬉しい。
その第一章は、『学』、学ぶについて、書いている。

章の終わりには、「、、詩に云う、切(せっ)するが如く、磋(さ)するが
如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如しと、、、」
と車の中で、CDを何度も何度も聞いていると、このリズムが、良いの
であるが、なんか? なんか?聞いたことあるよなーーとか
思っていると、どうもこれは、「切磋琢磨」の元になっている!

おっ、「今後共、切磋琢磨、努力してまいります」と、会話で使っていながら、
深く理解していなかった。今までは、「仲間とお互いに励まし合いながら、
努力する事」という意味で、使っていた、四文字熟語であるが、、

「切」は骨や角などを切り出すこと。「磋」はそれを研くこと。
「琢」は石などを打ち砕くことをいい、「磨」は磨くこと。

努力をしていくことには、変わりないけれども、論語の
中の文章では、君子(経営者)は、貧しくても諂うことなく、楽しみ
富みても、傲慢になることなく、礼をつくせる、常に、「平常心」
を大切にしなさい。と言っている。その続きの「切磋琢磨」である。

志、目標や夢を定めて、そのゴールに向けて、具体的に進めて
行くことが、修身となるように深く書かれている。

「切」 目標に向かっての綿密な計画をいくつかの柱に分ける事

「磋」 柱にしたものをさらに、期日、日付をつけて、進めて行く事

「琢」 目標を砕いていく、つまり、柱とも云うべき人を作って行く事

「磨」 人を磨いて、磨いて、目標の期日までに、仕上げて行く事

ああ、論語の勉強が、楽しいのである。

今日も1日がんばります!

今日は、休みをもらって、高尾山に登ります。





2014年10月2日木曜日

水引

水引(みずひき)は、祝儀
の際に用いられる飾りで
贈答品の包み紙などに
かける紅白や金銀の帯紐。
贈答品や封筒に付けられ
る飾り紐のこと、また飾り
紐としてだけでなく、鶴や
船などの置物や髪飾りと
しても使用される。

私が初めて、水引を
知ったのは、大学生の頃
お正月に祖父母の家に
行った際に床の間に飾
られた松に付いていた
金と銀の水引が格好
よく、これカッコイイ!
と祖母に言うと、「それ
は、水引や」と教えて
貰った。

その時は、なるほど、
水引と言うのか、、
水引が川で、調度
その川のそばにある
松を表しているのか
な~と考えていた。

水引は、松が一本
飾られている正月に
さらに、豪華さを引き
立てていた。水引は、
その添えられた物を引き立てるなーーと関心していたものである。

あれから、25年経ち、最近、和婚のお手伝いをしている中、会食会や
披露宴での装花に、この水引が、また豪華さを際立てているのである。

そもそも「水引」は、何なのか?すごく気になり、その由来や言われを
調べて見ると、、、

水引の語源は、紙縒り(こより)が元の紙に戻らないように糊水を引いて、
乾かし固めたことからとする説と、紙縒り(こより)を着色水にひたして引き
ながら染めたことからとする説があるらしい。

水引の起源は、小野妹子が随から帰った際、同行した答礼使が持参した
貢ぎ物に結ばれた紅白の麻紐にあり、そこから宮廷への献上品には紅白
の麻紐で結ぶ習慣が生まれ、室町時代に麻紐の代わりに紙縒り(こより)に
糊水を引いた水引になったといわれる。

遣隋使の時代から、水引があったのかと、、文化の継承の長さに
驚いた。

今日もがんばります!