2014年8月8日金曜日

中庸

会社経営をしていて、「俺は、まだ
まだ」だと思う瞬間は、怒る時です
その社員、スタッフを一流に育て
上げるのだ!と思う気持ちから
行っているが、その「節の和」が、
足りないのだと、最近わかった

中條塾の中條先生に、「経営者
は、平常心が大切だ。」
よく言われたが、平常心というの
は、『中庸』から来ていて、
喜怒哀楽を制御しつつも、
一旦発した時に、それを切り
替えて、次に中たる。
ことなのだと、最近気付く。

39歳の時に教えてもらい、46歳にして、少し理解できた。本当に、毎日の
仕事で気付かせてもらう事が多い。感謝である。

『中庸』の言葉に、「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。」と言うのが
ある。これは、喜怒哀楽の感情を外に現れずに内で統一されている状態
を「中(ちゅう)」と言うの意味。 今月読んだ雑誌にわかりやすい例が
あった。この「中」は、光なのである。

光の色を、私達は普段、意識しないが、プリズムを通せば、鮮やかな七色
に分解される。光はそういうものを含んでいるけれども、平生はそれが統一
されて、調和されているから、それぞれ個別に光の色、七色が認識できない。
喜怒哀楽も同様に、普段は単独で外に現れずに
内にある。このことを、「中(ちゅう)」と言う。

そして、上の『中庸』の言葉の続きに、
「発して皆節(せつ)に中(あた)る、之を和と謂う。」と言うのがある。
内に統一され、何もないと思っていたものが、外からの刺激に応じて表に
現れる。その時に喜ぶか、怒るか、哀しむか、楽しむか、
相応しい感情を表に発することが、節度に的中する
ことである。これを「和」と言う。

つまり、怒るべき時は怒り、哀しむべき時に哀しむと
ハッキリと外に現す。そして、怒るべき時に、パーーーッと怒り、
後はカラッとしているような人を節を得ている人と呼ぶ。

この『中庸』の「中」と「和」。

もう少し、もう一段階段をのぼり、
ちゃんと操ることのできる人になりたい。




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