2014年8月31日日曜日

祓禊

先日の明治神宮で行った禊
の時、ふと考えた。
「神様は、目に見えない
存在だが、我々の心の中
存在される、ということ。」

神棚の社の中、すだれの内
側、目に見えないが、そこに
存在を信じ、感じ、祈念する
「気」は、残るのだと思う。

「気」と同じ様に考えるのは、
「心」私達自身の身体の中の
どこに心があるのか?魂が
あるのか?と探してみても
見えない。だけど、感動した
時、悲しい時に、熱くなる
体の部分に魂を、
心を感じる。

この存在と神は、似て
いるのだと思う。
毎朝、毎晩、神棚に
向かい、手を合わせ、
感謝を伝え、祈念を
すると、その念、気、
心、魂は、神棚の鏡を
伝い、社の中に
溜まっていくように感じるのです。

ならば、そのような存在は、私達の一人ひとりの身体の中にある。
この存在を表に出すために、意識、心を鎮め、身を清め、罪穢を祓い
山、川や石や、自然と同じく、自分の身を「治める」その存在は、
自分の中にあるのを感じる。

感謝、感謝、感謝の心
この心が、自分自身の身体の中にある神様なのか?
禊の後、明治神宮の大前に参拝させて頂き、考えた、感じことを
つらつらと書いてしましました。

祓は、ハライと言う、穢を去り浄に就き、悪を除き善に遷り、災厄を拂い
吉祥を求むるの義にして、字或いは解除、または祓除を用いる。

禊は、ミソギと言う、身体を洗浄する義にして、また凶穢を除き、吉祥を求むる
に外ならず、故に或いは、禊を稱して祓いと為す、蓋し祓いには自ら為す
と人に科せらるるとあり。

8月も今日が、最終日! 今日もまた頑張ります!
今日は、15時より、大崎居木神社様にて、
ブライダルフェアがあります!!

2014年8月30日土曜日

修行

神話の話は、なかなか尽きず、  
今日も、大国主命のお話です。

大国主命が、根の国のおいて、
行った修行。須佐之男命に
従って行った修行は、かなりの
厳しいものでした。

『古事記』をさっと読んだ時は、
「大国主命の根の国での修行」
と、とらえる事は出来ずに、
須佐之男命が、娘を取られる
のが、嫌で、大国主命に意地
悪をしているのかと思って
いました。

その内容は、
第一は『へみはらい』蛇退治の
術(蛇の比礼・へびのひれ)段
須佐之男命は、大国主命をあらゆる種類の蛇を集めた部屋に入れて、
見事に、蛇をあやつり、出てきた。次に『ムカデの比礼』の段では、ムカデの部屋
『蜂の比礼』の段では、蜂の部屋に入り、あらゆる動物を使える道
を会得されました。

第二は、『鏑矢取り』これは、鏑矢を野に放ち、それを取りに行く間に、
大国主命の周りの野に須佐之男命は、火を放った。どんどんと火に囲まれた
大国主命は、だんだんと燃え近づく火の輪の真ん中に、どっかりとあぐらを
かいて、静かに目をつぶって、み魂鎮めをして、生死を超越した穏やかな
気持ちとなった。その時に、膝の上に現れたネズミ。

ネズミは。「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言ったのを聞き。あらん限りの
力を出して、足で地面をどんどんと踏み付けた。すると、地面が二つに割れて
その下に穴ができ、穴の中に落ち込んで、火から逃れたのである。
※ 右上の写真は、その物語を書いた、寒川神社の写真です。

大きな試練を乗り越える時に、慌てることなく、
み魂鎮めをされた、大国主命がとても印象的でした。

み魂を鎮め、「蛇の比礼」「ムカデの比礼」
「蜂の比礼」そして、「火」全ての困難は、
当時の世の中においては、国を治めるには、
民の困難を知り、対処方法が必要だった
ようにも思います。まさに、昔の帝王学を
大国主命は、須佐之男命より学んだのだ
と思いました。

この『古事記』の深読みは、本当に面白い、『古事記』を読み返す
チャンスとなり、新しい発見になります。
今日も頑張ります!!


2014年8月29日金曜日

盞結(うきゆい)

今日も新釈古事記伝より、ご紹介
になります。
『古事記』を日本の神話として、
またおとぎ話として読んでいると
それ程、気にならない事。
大国主命は、沢山、奥様がいた
んだなーーさすがだな~

ぐらいの気持ちで、読み住んで
いたが、この新釈古事記伝の
一言一句を深く読み込み、
物語の主人公の神々自身の
気持ちを推察して、進んでいく
読み方をすると、この言葉、
「盞結(うきゆい)」
言う言葉を大事に取り上げる
ようになるんだと思いました。

「稲羽の素兎(因幡の白兎)」の話から、大国主命は八上比賣(やがみひめ)を
奥様として得ることになるが、それを妬んだ八十神(大国主命の兄達)に
何度も、殺されてしまう。 大国主命の母神様は、根の国に逃げ、修行しなさいと教え
大国主命は、従います。

根の国の須佐之男命(すさのおのみこと)の所へ修行に行く、そして娘の
須勢理比賣(すせりひめ)に出会い、結婚をします。

修行を終えた、大国主命は。根の国から現(うつ)し国に、須勢理比賣を連れて、
戻ることになります。

ここで、やはり、神様の世界といえども、二人の妻の間には、嫉妬という
感情があり、ただ、須勢理比賣(すせりひめ)が、須佐之男命の娘である
ことを知ると、八上比賣(やがみひめ)は、身を引きます。

そして、二柱の神、大国主命と須勢理比賣(すせりひめ)は、
この「盞結(うきゆい)」杯を交わして、固く誓約することになります。

「盞結(うきゆい)」は、原典には「宇伎由比(うきゆい)」とも書いてあります。
これは、盃を取り交わして、心の動いたことを悲しみ合い泣きあって、
これからは決して心を動かすことなく、永遠に心の動かぬことを誓い合う
ことであります。

大国主命は、十七世の神と言う、話もありその後も沢山の奥様がでてきて
さすがに大国主命の国つくりには、沢山の子が必要であり、沢山の奥様
が必要だったのだーーと思っておりましたが、、この「盞結(うきゆい)」の
話を読み、やはり神様も感情があり、男女の問題という大切なお話と
考えるべきなんだと思いました。

『古事記』は大和心の聖典(ひじりふみ)であって、人の心の中の最も
清らかな心を伝えている大切な神話なのです。
神話の物語を物語として読み進めるのも大変に大切だと思っていましたが、
この『新釈古事記伝』の著者阿部国治先生のされている、感情やその瞬間
の気持ちを読み深めることも大変に大切なことだと思いました。

神話、おとぎ話的に読むところから、道徳の本、として存在したように思います。

今日は、今から、明治神宮においての禊、清らかな御神のお水を頂いて
参ります。

2014年8月28日木曜日

ふくろしょいのこころ

日本の大切な神話『古事記』を
現代の大人にも納得できるよう
に書き述べられた本、『新釈
古事記伝』に出会いました。

全7集あるなか、今日は第1集
「袋背負いの心」から、紹介
致します。

『古事記』は大和民族の理想
信仰を、ごくごく簡単につづめ
たもの。その言葉の一言一句
に、深遠な意味の、長い間の
生活体験からくる教えがたたみ
込まれております。その一言
一句を味わう今回の本になり
ます。

『古事記』の「稲羽の素兎」段より、「袋背負いの心」、大国主命は八十神たち
が荷厄介に思われ、面倒に思って嫌われた旅行道具を一切引き受けて、
大きな袋にお入れになり、これを背負われました。この袋を背負われる気持ち
が非常に大切だと思います。

「できるだけたくさん、人さまの世話を
やかせていただくことが立派なことである」

と教えてられているのであります。

「できるだけたくさん、他人の苦労を
背負い込むことを喜びとせよ」

と教えられているのであります。
また、その人さまの世話をやかせてもらって偉いと自分で思ったり、世話の
やき賃を求めたりするようではいけない、と教えられているのであります。

仕事をすること、それ自体が喜びであり、感謝なのであります。
仕事の中では、人さまの苦労を背負うことが、一番大切な仕事で
あります。これが大和民族の受け持ちの考え方、本分という考え方
であります。

このように神話を通して、昔の方は、人々に大和民族の心を道徳を
教えていたのだと思うと、素晴らしい国であることを感動します。

お母さんの事を「お袋様」と呼ぶのもこのような、家の中でも自分以外の
ひとの世話を背負ってくださったのは、お母さんなんですね。

お父さんは、この「ふくろしょいのこころ」の大国主命=大黒様から、
大黒柱して呼ばれて言います。

『大国主命』と言う題で、歌があります。

八十神に ひとりおくれて 負ひたもふ  
袋にこもる  千のさきはひ

本当に、味わいのある、歌です。
今日も頑張ります!




2014年8月27日水曜日

祖母

昨日は、大阪にて祖母の一周忌法要 
がありました。久し振りに、父の従姉
(祖母の姪や甥)の方、私の再従兄
叔父、叔母、そして従兄弟達、その子
供達、皆にひさしぶりに会いました。

法要のお経が終わった後の御前さん
の話で、中啓(ちゅうけい)※の話が
ありました。
「この中啓の要、が大事」

中啓というこの扇は、畳に直接数珠
などを置かないように、手を離す場
合は、このように畳に中啓をおいて
数珠を置きます。

この中啓を見て下さい、この様に、扇
を上に向け、この要の部分が、
私達とし、中啓の扇の部分、これを
祖先としたら、、何代もさかのぼって
、私達がこの世に生まれて来るには、
一体、何人の方々、10代、20代さか
のぼると何百万、何千万の御先祖
がいらっしゃり、私達がいます。

また、この扇を下に向けると、どう
でしょう? やはり、要に私達が
いると、そのいることで、これから
未来において、何代も続いていくと
私達の子孫は、沢山に増えて行き、
その中に、世界を救う、いや宇宙を救う子孫が生まれて来るかもしれませんね!
死ぬことなく、しっかりと生きて、生き抜いて、子孫を育て、がんばりましょうね!
と話をされました。

確かに、時の流れの中に私達は、今生を受けて、生かされています。そして
この法要の時に、こんなに沢山の親族が集まり、一緒にお経を上げ、その後
一緒にお食事が出来る事は、幸せでなりません。

中啓の扇でお話を頂いた通りに、祖母が要とすると、沢山の縁を頂き、親戚と
して沢山話しが出来る事は、幸せなことだなと、祖先に感謝の気持ちで一杯
となりました。

法要の後の食事会で、父が作成してくれた、DVDを見て、さらに感謝すべき事
祖母が、祖父の仕事の関係で、中国満州において、生活していた頃、昭和16年
まもなく、大東亜戦争が始まるということで、祖父は兵隊へ、そして祖母は、
身ごもった体(つまり、私の父がお腹にいている状態)で、よくぞ、日本に帰って
来てくださった!幼い父の姉を連れ、妊婦でありながら、満州から朝鮮半島に
出て、船で九州にそして電車で大阪まで帰って来てくださった!

感謝で感謝で、DVDを見ながら、泣いてしまいました。 

祖母がもし帰ってこれなかったら、私は今ココにいない、、、
感謝の念が、本当に 心のそこから出てきました。おばあちゃんありがとう!

その祖母、祖父が戦後築いた生地屋からアパレル、父が継ぎ、そして弟が
継ぎ、私はその衣装を使わせて頂いて、結婚式場をさせて頂いた事。
血族のルーツ、そして商売のルーツ、先祖の努力、継承が、とても感じた
法要とないました。今日もまた、がんばります!!

※中啓(ちゅうけい) Wikipediaより
 中啓(ちゅうけい)とは、扇の一種。末広(すえひろ)ともいう。

中啓は親骨が要よりも外側に反ったかたちをしており、折りたたんだ時、
銀杏の葉のように扇の上端がひろがる。「啓」とは「啓く」(ひらく : 開く)と
いう意味で、折り畳んでいながら上端が「中ば(半ば)啓く」という状態から
中啓と名付けられた。

日本で発明された扇はもともと骨の片面に紙を貼ったもので、これは
開くと扇の裏面に骨が露出するという形式であった。日本の扇が中国に
輸出されると、中国では両面に紙を貼る形態に改造された。

これが日本に逆輸入され、日本でも室町時代には両面に紙を貼ったもの
が作られるようになったが、そうすると畳んだ時の厚みが倍となるので、
おのずと扇の上端が広がる格好となる。これが中啓の起りである。

そののち扇の製法が進み、両面貼りでも現在見られる末が広がらない
扇(これを沈折〈しずめおり〉という)が造られるようになるが、
中啓は末の開いたままの状態を維持し、公家や武家において笏のように
儀礼の具とした。

公家では檜扇を扇の中でもっとも正式なものとしたが、中啓はその檜扇
に次ぐものとされ、徳川家をはじめとする大名家では
直垂・布衣・大紋着用の際の持ち物とされた。


2014年8月26日火曜日

昨日、八王子にある、うかい鳥山に  
商談で行き、鳥山の店舗とその横の
竹亭を歩きながら、色々と感じました。
商売の基本は、やはり、他では出
ないことを100年先を考えて、
作り上げて行かないといけない。

そうでないと、いたづらに商売が、
競争、価格競争に巻き込まれて
いく。
お客様を自社で創る
こんなサービスをしますから、
こんな商品を作っています、
お客さま、これが必要だった
のではないでしょうか?
というぐらいかゆい所に手が
届くような商品を開発する必要があるのだと思う。

うかいさんでさえ、1964年の創業から2004年の上場までやはり40年
掛けて作り上げて来られた。「最初は大体10人からスタートしたんですよ、、」
創業に携わった方にお話を聞いた。
やはり、志、、夢、目標が必要なのである。先日、白倉先生に教えて頂いた、
志の本には、志には三つの条件があると書いてあった。

人生のテーマを持つこと 
生きる原理原則を持つこと 
言行一致すること 
と書いてある。

志において、「おのれ一身の損得を超えて、
常に大きな損得を求めて生きること」
とも書いてある。

もっともっと、沢山の幸せな家族をつくるお手伝いが出来る会社に
なりたい。どうすれば、お手伝いできるのか?
もっともっと考えたい。

「ふるさと」は、いい歌である。

うさぎ追ひし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も 巡りて
忘れ難き 故郷

いかに います父母
つつが無しや 友がき
雨に風に つけても
思ひ出づる 故郷

志を はたして
いつの日にか かえらん
山は靑き 故郷
水は淸き 故郷

自分の人生テーマは、出来ている。
後は、言行一致、限られた人生の時間、
しっかりと築きたい。

2014年8月25日月曜日

日本の美しい『言霊』

先日、易経の先生に教えて頂いた。   

「井上毅(いのうえこわし)
という方
ご存知ですか?」

この井上先生という方は、伊藤博文
のブレーンとして活躍し、大日本
帝国憲法の起草に参加され、
教育勅語の原案起草
された方です。

そして、井上先生のもっとも注目すべき研究内容は、『古事記』における
「しらす」と「うしはく」の区別に着目、のちに「しらす」の統治理念を
研究された事です。

古事記の国譲りの話に出てくる、一説に、「大國主神が『うしはける』
この地」と、「天照大神の御子が本来ならば『しらす』国である」
という話。また、天照大神や歴代天皇に関わるところでは、すべて
「治める」と言う意味で「しらす」という言葉が使われ、大国主神を
はじめとする一般の豪族たちのところでは「うしはく」と言う言葉が
同様な意味で、厳密に使い分けられていることが分かった。

「うしはく」と「しらす」はどこが違うのか?
「うしはく」というのは西洋で「支配する」という意味で使われている言葉と
同じである。すなわち、日本では豪族が私物化した土地を、権力をもって
支配するというような場合にこれが使われる。

それに対して「しらす」の意味は、同じ治めるという
意味でもまったく違う。「しらす」は「知る」を語源に
しており、天皇はまず民の心、すなわち国民の
喜びや悲しみ、願い。あるいは神々の心を知り、
それをそのまま鏡に映すように、わが心に写し
取って、それと自己を同一化しようとされるという
意味である

感動です。この「しらす」という言葉、言葉の想い
『言霊』は、すごく深く、美しい!

祝詞の中にも、大切な祝詞「大祓詞」や「伊勢内宮神前祝詞」の中には
この「しらす」が、出てきます。「大祓詞」の祝詞の中には、
「我が皇御孫命は、豊葦原の瑞穂の国を安国と平けく知食せ、、」
と祝詞文面の中に、「知らしめせ」と出てきます。
国体が、国家を治める際に使われる言葉、「しらす」。美しい言葉です。

「支那(中国)、ヨーロッパでは一人の豪傑がおって、
多くの土地を占領し、一つの政府を立てて支配し、
その征服の結果をもって国家の釈義(意味)
となるべきも、御国(日本国)の天日嗣・あまつひつぎ
(天皇)の大御業(なさってこられたこと)の源は、
皇祖の御心の鏡をもて天が下の民草を
しろしめすという意義より成り立ちたるものなり

天照大御神は、ニニギノミコトが地上に降臨されるときに鏡を授けて、
「これを見ることは、わが心を見るがごとくせよ」とおっしゃった、
それは、神の心を知るということだ、その鏡を磨き上げて、にごりない心で
常に神の心・民の心を知るということが天皇にとって最も大切なことである。

こうした精神をもって歴代天皇はこの国を
「しろしめして(治めて)」こられたのだ。

日本人に生まれてきて良かった、こんなに深く想いを持つ言葉を
歴代の国体は築き上げてこられたのかと思うと、身が震える程で
あります。 この美しい言葉や想いを後世に伝えるのが、私達の大切
な使命になります。 




2014年8月24日日曜日

つながり

私が、小さい頃より母とよく参拝した  
神社に奈良の三輪さん、大神神社
があります。今でも、何かあったら
ふと、行きたいな、と思う場所です。

三輪さんは、ご神体が、三輪山
山が、ご神体です。
参拝に行くとその山、自然全体に
包まれるように感じるのです。

そして山、自然から清らかな力を
頂き、本来の素直な自分が現れ
活力、気が高まります。

本当に不思議な場所、
ありがたい所。             

三輪神社をふと思い出し、神道に
ついて考えてみると、先に勉強し
た言葉を思い出します。

西洋では、神と祖先、人間と自然、
宗教と化学というようにあらゆる
ものを分離し、対立させてとらえる
が、日本では、すべての
ものを包容的に、総合、
調和、生成発展的
に見る考え方が強い。

神道の世界観、人間観、自然観
の特徴は、ここにあるのだと思う。すべてのものを自分に対立するもの
と見ないで、お互いは生かし合い、伸ばし合い分けあい、
すべてはつながりを持つ存在だとする。

則ち、これらすべてのものは、お互いに寄り合って生きている事実を
素直に認める。ここに神道を「つながり」の信仰と解する考え方がある

日本人は、この「つながり」を大切にし、すべてが神として、感謝し畏れてきた。

目に見えるものと目に見えないもの。目に見えないものから「気」として
感じ取るのである。意識は、限りなく下の丹田に落とし込み、
呼吸を整え、目をつぶると「気」に囲まれている。自分もまたその「気」の
一部なのである。

ここに明治天皇御製(明治四十年)を思い出すと、
目に見えぬ 神の心に 通ふこそ 
人の心の  まことなりけれ

まさに、人の心の中に全てがある。

さあ、、爽やかな朝! 今日も張り切ってがんばろう!

2014年8月23日土曜日

葛西臨海水族園

葛西臨海水族園にて
結婚式を挙げて
みませんか?

今年の開園25周年を記念し、
エントランスホール(ドーム)を
結婚式式場として利用して挙式
されるカップルを募集されてい
ます!もちろん、プロデュースは
弊社BUAが、ホテルシーサイド
江戸川ブライダルデスクとして
行います!!

建築家・谷口吉生さんの建築設計
により各種建築賞を受賞した
葛西臨海水族園の外見的な特徴
の一つ、このガラス張りのドーム。

水族園は、三階建ての構造に
なっています。その三階部分は、
空の広場と呼びます。その空の
広場にあるガラスのドーム、その
周りには、水が広がり、その水の
水面は、海につながっているよう
に錯覚します。

つまり、、このドームの入り口に
入り、エスカレーターを降りて行く、
それは、空の広場、水面
から、水中に入って
いくゲートになって
いるのですーーー          
初めてこの話をお聞きした時は、
すごい!と、感動しました!

やはり、水族園というワクワクする
場所では、そんな、非日常の場と
しての演出が必要と思いました。

葛西臨海水族園は、少し前の
ニュースでは、ペンギンが、東京湾
に逃げ出した話がありました。

水族園には、広いペンギンスペースがあり、陸上のペンギン、水中のペンギン
が観察できるようになっているのが、楽しいです。また、マグロ!!
マグロが、ゆうゆうとまた、猛スピードで、泳ぐ姿が、ダイナミックに
伝わる大画面の水槽があります。

結婚式は、ドームの中ですが、少しだけ、管内で写真を撮影させて
頂ける時間があります。 ただ、魚によっては、カメラのフラッシュで、突然
パニックになり、泳ぎの中で、壁にぶつかったりして、怪我をする、傷を付ける
魚がいるので、管内でのフラッシュ撮影は、出来ません。

それでも、大きな水槽の前のゆったりとした時間は、沢山の人々に、
思い出の場所となっている。カップルの二人の空間になっているようです。

幸せなスタートを思い出の地で!
と思っているカップルは、どうぞ、葛西臨海水族園の結婚式に応募して
ください。

2014年8月22日金曜日

寄席体験

先日、寄席に行ってまいりました、  
息子の小学校より無料招待
の寄席体験。寄席って何に?
と思っていましたので、夏休みの
家族イベントとして、参加しました。

寄席(よせ)とは、講談・落語・
浪曲・漫才などの技芸(演芸)を
観客に見せるため席亭(興行主)
が経営する常設の興行小屋。

ネットを開くと出てくるが、今
ひとつわからなかった。

娯楽の無い時代、色々な芸人
の方が集まり、「笑い」を人々
に提供する場所ということで
納得がいった、、

千代田区から無料で招待頂け
た寄席。本当に満足致しました。

会場となった千代田区の内幸町
ホールには、入り口には、
・南京玉すだれ
 体験コーナー
・針金細工コーナー
・あめ細工コーナー
と並び、開場までの間の時間、
生まれて初めて、南京玉すだれ
の体験も致しました。

家でよく巻きずしなどを作りました
があの巻くためのすだれのような
大きさよりも長いもの、なかなか   
の芸術でした。、これは、スピード
としゃべりが大事と思いました。
江戸の独特な流れのしゃべりが
大事です。

針金細工に、やはり息子は、
ハマりました、針金の鉄砲に、
夢中、売り場を離れません。
ずっと見つめて居たのもおじさん
を喜ばせたのか、特別な鉄砲を
バネが二つも付いている物を
特別に作ってくれました。息子
大喜びでした。

飴細工、ここは、さすがに、子供
女の子も男の子も列を作り、   
希望の飴細工を作ってもらって
いました。

この目の前に広がる、すべての
物が、昔の祭りは、こうだった
んだろうと楽しめました。
最近、和の披露宴や
会食会に余興の代わ
りに、あめ細工の職人
を会場に呼び、子供が
釘付けだったのを
思い出しました。

今回のこの南京玉簾もあめ細工も、余興の一つに紹介できるなと思いました。

さあ、寄席の開始スタート。最初に柳家喬之助(やなぎやきょうのすけ)さん
が、寄席入門として、寄席の解説に落語の説明をしてくれました。
落語は、着物姿で、座布団に座り、センスと日本手ぬぐいで、お話を
作り上げていく、、それが見どころと教えて頂きました。

プログラム一番は、アコーディオン漫談・遠峰あこさん
続いて、漫才・宮田陽(よう)・昇(しょう)、そして曲独楽・三増紋之助

曲独楽(きょくごま)と読み、大きな独楽(こま)を使って、盛り上げ芸を披露
してくれました。
独楽の刃渡り…刀の上を渡るように独楽を回す技
糸渡り…綱渡りのように独楽をまわしながら糸を伝って移動させる技
地紙止め…扇子の上でバランスよく独楽を回す技
風車…棒の先で回した独楽を直角にまで倒していく技、枝についた
風車の風を受けて回っている部分が、独楽になる。

この四つを見せてくれる中、子供も大人も釘付けでした。

素晴らしい!芸でした。感動で表現をする言葉が見つからない程でした。

最後は、落語・柳家喬之助(やなぎやきょうのすけ)さんでした。
話の中での、その饅頭の食べ方、そばのすすり方、よくもこんなに上手く食べる
なーー汁をすするなーーと思いました。扇子と手ぬぐいの小物とやはり、
目線と顔の作り方、かな? 

帰り道、和菓子が食べたくなり、買って帰りました。

アコーディオンも独楽も面白かった。
どれが、一番かと言えば、
曲独楽が、良かったかな? すごく楽しめました。
寄席、本当に楽しい日本の文化、芸能と体験
しました。是非とも伝統をつないで欲しい。


2014年8月21日木曜日

ハナコ世代とハナコジュニア世代

「ハナコ世代」ってご存知ですか?
あの人気雑誌『Hanako』の世代
つまり、ハナコが創刊された。
1988年の世代(1988年の頃
(社会人になる世代23~29才で、
独身であるが故に、消費マーケット
のターゲット層として同じような
消費動向をするくくり)
のことになります。世代としては、
約5年スパンとして、マーケティング
では、区切られますので、1988年
に働き盛りだった世代
1959年~65年
生まれ2014年現在
49才~55才の世代
主にハナコ世代と呼びます。(マーケティング会社伊藤忠ファッション
システム調べ)私は、少し年齢が下ですがよく、学生時代に銀座を歩くと
あの木村屋のパン屋の並びの本屋さんに、Hanakoが山積みされて
置かれていました。

あの平成元年頃のバブル期は、『Hanako』のコンセプト通りに、
「お金も暇もある27才社会人が、週一回レストランで食事をし、
月一回コンサートへ行き、年一回海外旅行をする」自宅から会社に
通うから、もらった給料は全部使う!
という感じの世代。『ワンランク上』の商品を競って持つ。

だから、シャネルのバックを買うなら、3~4割安くかえるから、シンガポールや
香港に買い物に行く!という感じの時代。このハナコ世代。

この世代の方が、現在母となり、娘さんがやはり、『ハナコジュニア世代』
呼ばれている、1987年~1992年生まれの世代。
2014年現在は、22才~27才になっている!!
まさに、結婚適齢期になります。

この世代の特徴として
1.話題の店に並ぶの同じだが、これまでと違うのは、目的が自分の満足
  にあるのではなく、話題の店に行った自分をSNSで
 発信して自慢することにある点。 
  人気スイーツには派手な色で写真ばえがするという
  共通項がある。

2.『コスパ(費用対効果)』を意識した堅実な消費者
  でものある。いいものを長く使いたいと考える傾向もある。

3.もはやしつこい接客はわずらわしい。ひところもてはや
  されたカリスマ店員の存在は希薄になり、ファッションのお手本
 といえば、ネットにアップされている一般人の
 コーディネイトアプリになっている。

ハナコ世代とハナコジュニア世代、親子の関係でありながらも、育った
環境、生活で、消費動向や考え方、物への接し方が違うのは、
面白い傾向です。

我々商品開発をする人間としては、「夢のある、
そして付加価値の高い商品」の開発が必要となる。
コストパフォーマンスのある商品
これらを意識して商品開発したいと思います。


2014年8月20日水曜日

家族麻雀

麻雀は、しますか?
家内の実家は、「休みの日は
家族麻雀の日」とご両親とも
ニコニコと我々夫婦の帰りを
待って頂いております。

夕刻になると、子供達を早く
床につかせる為に、夕飯の
支度、お風呂の準備、
お布団の準備を進めて
行きます。

全ての準備を進めて、凡そ
午後8時過ぎ頃からスタート
します。

「麻雀」の存在を知ったのは、小学校四年生ぐらいです。当時の父は、良く
会社近くの雀荘にて麻雀をしていました。それこそ、接待麻雀、得意先や
また社員さんとコミュニケーションとして、麻雀をしていました。
すると、夜7時過ぎになると、自宅に電話がかかって来ます。
「タバコー」その電話を母が受けて、私が、近くのタバコ屋に行き
タバコを雀荘にいる父に、「キャスター」、や「チェリー」、「セブンスター」
(後で考えると、タバコは、40才で辞めた父ですから、銘柄の変化が、
辞めていく為に、キツイたばこから、軽いものへと変化していました。)
届けるのです。

子供の私は、タバコの煙マミレの部屋に、子供の背の上ぐらいが、真っ白
になっている部屋に入り父にタバコを届けます、男性ばかりで、ジャラジャラ
となっている空間は、子供ながらすごく違和感のある、でもなにか、ドキドキ
する場所でした、日頃本当に夜なっても帰らない父に会うのは、自宅よりも
この雀荘で会った方が、多かったとも思うくらい、、

麻雀のエピソードは、いつもこのタバコを持って行った事を思い出します。

実際、私が麻雀を覚えたのは、大学時代、友人に教えてもらい、当時の一人
ぐらしのアパートには、いつも麻雀をする友達が集まっていました。
最初は、コタツに敷くマットも、麻雀パイもすべて友達が持ってきて
くれていましたが、ある日、「ヤクマン」、初めて「四暗刻(スーアンコ)」を
出してから、その勝利においての賞金で、私自身が、麻雀パイとマットを
購入し、そこからは本当に麻雀にハマっていました。

父は、「麻雀の卓を囲むこの四人の空間は、
小宇宙である。」とよく言っていました。
ここまでの域には、私は行きませんでしたが、徹夜での麻雀は、
何回もしました。朝方フラフラになりながら、本牧ふ頭のラーメン屋さんに
行くのです。ニンニクたっぷりのラーメンを食べて朝日が眩しいなーーと
思いながら、アパートに帰る。

麻雀は、盲牌(もうぱい)とも言うべき、指先で、牌(パイ)の柄を当てる
程、指先を使うゲーム、高齢者には、ピッタリのリハビリにもなる
ゲームと思います。限られた牌でありながら、相手が、どのような
仕上がりを考えているのかを想像し、その中から自分はどのように
持っていくかを考える。思い通りに進む時、顔の表情にそれを
少しも出さずに、進めていけるように、相手の心理を読む
まさに、小宇宙。 人の思いが捜索する、めぐる、小宇宙。

楽しい、家族麻雀でした。

2014年8月19日火曜日

吉祥紋


「吉祥文様」の話!吉祥と言う言葉
が、好きで、、、あのおみくじで、
大吉、中吉、小吉とか出ると思い
ますが、その大吉の上の大大吉
と言う意味がある、「吉祥」
いい言葉ですーー

和装結婚式において、女性の着物
姿は、本当に美しいです
中でも新郎新婦の白無垢と紋付袴
姿の二人、そしてそれを囲む、母
の留袖、親族の留袖や振袖は
綺麗です。

着物を着ると背筋が伸び、凛とし
た和の良さ、華やかで厳粛です

着物の美しさにその着物の文様
があります、文様の中でも、六つ
吉祥文様を選んでみました。
どの文様にも思いや願いがあり
ます。                   

束ね熨斗(たばねのし)
アワビの肉を引き延ばし、紙にはさんで、
祝儀の進物に添えた熨斗紙の原形です。
延寿の印として使われています。


宝尽くし紋
如意宝琳、打出の小槌、宝剣、法輪、鶴亀
などの宝物、おめでたいものを集めた文様
です。商売繁盛の意味がある、宝尽くし紋
です。


松竹梅 歳寒三友         
語源は論語にあり、厳しいときに持つべき
三人の友を松・竹・梅に例えています。
また、君子(竹)を生む(梅)の待つ(松)
=子宝に恵まれるという意味もあります。

ここに、この興味深い、松竹梅の文様
の名前の横にある、「歳寒三友」に
ついて、論語から、調べてきました。

それによると、「子曰く、歳寒然後知
松柏之後凋也(としさむくしてしかる
のちしょうはくのしぼむにおくること
をしるなり)」から生まれ、三友も
やはり論語の「益者三友(えきしゃ
さんゆう)」(交わって益のある三友)
から生まれたことば。そして、この
マツ・タケ・ウメを一画面に描いた絵
を「三友図」または、「三清図」
よんでいます。

歳寒三友という呼称は、
一風雪や厳寒に耐えながら、

一年中みどりをたもつ松の
持久力(マツは、「待つ」に
通じ、長寿名につながる
と言われています)、
屈することなくすくすく伸びる
竹の成長力
春、百花にさきがけて花を
開き、ふくよかに香る梅の
生命力
に捧げる賛辞です。
そして、このことばをいかな
る困難にも耐えしのぶ
志操堅固な人のたとえに
しました。

牡丹文
花びらが幾重にも重なり、ふっくら豊かな
様子から富貴を表し、百花の王とされて
います。

花車紋
松竹梅、菊、牡丹など吉祥文の花々を
車に満載し、幸せに満ちた様子
を表現します。                 

鴛鴦文(えんおうもん)
一度つがいになると、仲睦まじく生涯
添いとげるという鴛鴦(おしどり)が
永久の愛の象徴として、留袖の柄
にはよく登場する吉祥紋様です。
「おしどり夫婦」、仲の良い夫婦は
この言葉から来ています。

其々の文様を見ていると、本当に
和の文化の綺麗な絵柄が表され
ています。そして、「吉祥文」とよく
呼ばれるこれらの文様は、喜びの最大
級なのです。

大大吉の着物の柄を身にまとい、大切な神前式の日に参列すると言うのは
とても喜ばしいことと思います。また、言霊と同じく、言葉や、このような吉祥
文様という絵を大切にし、願いを込めて、着物に付けた日本の文化、
感動をします!!今度、結婚式や人生儀式に参加し、女性の着物を見た
時に、再度改めて、その文様を見るのも、楽しみになります。

今日も頑張ろう!


2014年8月18日月曜日

縁を育てる

「縁を繋げる事をしないと、、、」
先日、九州で貸衣装業をされて
いる方に、言葉をもらった。
毎月、毎年、沢山の結婚式の
お手伝いをさせて頂きながら、
そのお仕事のご縁を頂いて
おきながら、、その結婚式の後
には、その「ご縁」は、切れてい
るのが、現状

長い方で、1年前から、また平均
でも3,4ヶ月前から結婚式当日
迄の期間。
お下見、初めてのご来店で、
結婚式の思いや、夢などの
お話を聞かせ頂きながら、
衣装の打合せ、招待状作成、
花の打合せ、リハーサルメイク、
お料理打合、席次の打合せ、
司会との打合せ、引出物引菓子
の打ち合わせ、プチギフトの
打合せ、カメラ撮影の打合せ、
BGMの打合せ等、沢山の打
合せ項目を頂き、そし
結婚式の当日を迎える。

挙式当日も、神社においては、
朱傘を持つお手伝いをする時
もあるし、もちろん美容着付け、
撮影、介添え、挙式後のタクシー
移動の手配まで、行う。

お父様お母様のゲスト着付け、
ヘアセット、お父様の衣装着る
手伝い。

白無垢などの衣装の搬入搬出
まで、神社での親族紹介の司会
や桜湯の茶碗を洗わせてもらう
こともある。

そんな濃ーーーい時間をお客様
と、共にさせて頂いているので、
挙式当日前には、お互いに少し    
寂しい、、ああ、もう打合せに
来られる事は無いのですね。
と何とも言えない時を迎える。

そんな『尊いご縁』を頂きながら、
それ程、結婚式の後のお付き合い
をしてこなかったのである。

何か、繋がりたい、と10年前
ぐらいから始めている、ささやかな
BUA特製『マーガレットアルバム』
マーガレットと言う花は、
『真実の愛』と言う花言葉が
気に入り、家族の絆作りとして、結婚記念日 にマーガレットが、一本増えていく、マーガレット
の挿絵を入れるアルバムを作成した。

今では、それでも年間約60組のご家族が写真
撮影にお越し頂けるのである。

結婚式場の役割と言うのは、
こんな家族のイベントを作成し
て、家族の絆を、記念を作る、
思い出を作るお手伝いの場所
なのだと思う。

商売的に考えると、やはり、そのご縁が、
次のご縁へと発展するのが良いのだと
思うのであるが、、、これがなかなか難しい。

しかし、もう一度、考えたい、今いる
全社員のプロ集団の社員のアイデア
を結集して、お客様から頂いたこのご縁を
育てることを考えたい。

ご縁を育てて、大きな円にする、そうだ!
大きいわ、大和、『和』を創るプロジェクトである。


2014年8月17日日曜日

海外ウエディング

お盆休みも最終日。この夏季休暇
利用して、両親へ結婚の前の
挨拶に行くカップルが多い時期。

婚礼の日が決定となり、結婚の
準備として、ドレスレンタルや
ホテル式のご相談、神前式の
ご相談そして海外ウェディングの
ご相談の増える時期でもあります。
其々のカップルの価値観で、結婚
式の形式をお選びになられます。

為替は、円高から円安になり、
円安が、普通のようになり、、、、
海外ウエディングの方も
また増えているように感じます。

やはり、仕事関係、職場の方にも
「海外で結婚式します、お休みを
お願いします」と、有給休暇が
取りやすいのも理由の一つなのか?

また、最近は、新郎新婦のご両親
が、海外を希望されるとも言われ
ます。父、母親が、海外に行きた
いのもあり、旅費は当然に自分達
で、出すから海外にしよう!
と声をかけられる両親。それこそ、
親戚付き合いも最近は、少なくなり、
両家を合わせても父、母、兄弟ぐら
いで、平均8名ぐらいで参列に行か
れるのが、多いです。
                     

帰国後には、会社関係、友人関係の
お披露目の1.5次会のパーティーを
開かれる。海外の動画を編集する会社
、写真をDVDにするところもあります。

ハワイなどの海外に両家の親や兄弟も
一緒に行き、男性は、釣りへ、女性は
買い物へ、エステへ両家が交じり合い
旅行を楽しむ、結婚式披露宴であれば
挙式と披露宴の6時間ぐらいしか、両家
が一緒にいないのが、海外ならば、
朝ごはん、昼ごはん、晩御飯、オプション
の観光ツアー、余興まで、それぞれに
楽しめて、両家の交流は深まるのは
事実です。

色々結婚式の形を考える中で、両家の
絆を深める、また、親子の絆を深める、
両家が、これからも長く親戚として
お付き合いする形は、すごく良いと思います。

結婚式の目的は、二つある、一つは、両親への感謝を伝えること、
二つは、今まで関わって下さった、自分たちを育ててくださった方々に
報告をして、結婚の承認をしてもらうこと。夫婦を認めてもらうこと
この目的が達成出来た、夫婦は、本当に固く、永い夫婦生活を
二人で作り上げられる。 

結婚式のお手伝い、家族を作るお手伝い、幸せな絆のある家族を
作るお手伝いの我々は、色々な知識と経験を見つける時期であります。


2014年8月16日土曜日

Suica(スイカ)

最近、電車通勤を頑張っており、私  
が使っているのは、Suica(スイカ)
これは、JR東日本、都内の地下鉄
でも使用できて、とても便利です。
それが、大阪でも使えるようになり
さらに便利と思っていました。

帰省中の息子と話をしていると、
鹿児島のJR九州のカードは、その名
SUGOCA(スゴカ)!!
面白い!西郷さんが考えたんか~
と言う感じです。           
そのSUGOCAも大阪において、
使えていました。つまり、全国で鉄道
バスに使用出来る範囲がかなり広
カードだということです。
「鹿児島か大阪、東京まで
スゴカで帰れるよーー」

これらの提携各社は、北の北海道から
見ると、JR北海道はKitaca(キタカ)
そこからは、JR東日本でSuica(スイ
)、首都圏は、PASUMO(パスモ)
JR東海はTOICA(トイカ)、と
manaca(マナカ)、関西地域、
JR西日本ICOCA(イコカ)、そして九州
のSUGOCA(スゴカ)福岡地下鉄のはやかけんとあります。

2013年の3月23日からこれらカードは全国相合利用可能となったとあります
これは、各交通機関も絶対に便利なはずであるし、乗客も切符購入の時間などが
節約出来て便利になったと思います。さらに!いわゆる「キセル乗車」が、
ほぼなくなった!?のだと思う。
デジタル化の恩恵というようにも思います、NHKもデジタル放送になり
自動的にNHK料金の回収を出来るようになったし、、、すごい活気的です。

キセル乗車と言うのも、息子に言ってももう分からない言葉になっている。
昔のように、ITデジタル化されていない時代、改札口が、人間の時、
パッと切符見せて、入り、出口に入場券を持って待っている人が、
入場券をその人に渡して、出すというようなもん、、

キセルと言うのは、煙管が起源で、入り口と出口が「金」で出来ている。
=つまり、入り口と出口の時だけ、お金を支払い、真ん中は、竹の筒
=煙にまくのです、つまり、走行距離の運賃は、支払いしない。
いやーしかし、名前のネーミングが、地味に考えられているのが、面白い。


2014年8月15日金曜日

お墓参り

恒例のお盆お墓参りに行きました!  
家族揃ってのお墓参り、「川辺」の
お墓は、大阪府八尾市にあります。
大阪市内から父や妹弟家族と一緒
に車3台で行きました。

お墓参りは、川辺家本家、分家、
父の母方(高木家)のお墓、
私の母方・祖父母(古川家)の
お墓、そして母や祖父母の眠る
直系のお墓をお参りします。

今回は、息子や甥、姪の勉強も
兼ねて、川辺家の家系図を見せて
誰のお墓に来ているかを理解して
お墓掃除、墓石磨きをしようと
やってみました。

父に頂いた、家系図は、私(川辺
徹)を中心としたら、下は、息子
上は、父・康夫、祖父・友一、
曾祖父・房吉、曾々祖父・弥三郎
その父・弥三平の全七代になり
ます。

私が、将来的に計画するのは、
どうにか、この川辺家十代
家系図作りたい事、(前に、
十代の家系図を完成させた家は、
子孫繁栄すると聞いたから)
私の曾孫にその思いを告げて、
十代にして欲しいと考えておりま
す。それには、私は、90歳以上
長生きしなければなりません。

それにしても、このお墓参り、
最近、息子も甥、姪も中学生に
なり、率先して、お墓石を磨き、
雑草を抜き、水をかえてくれます。
水もバケツに汲み、柄杓の場所
も雑巾、スポンジの場所も理解
して進んでやる姿は、親として
嬉しいことです。この磨き、お参り
する姿は、後ろ姿で子に伝えて
いきたいと思います。

お盆の時期でもあり、お寺の本堂
にも上がることができました。
次男の家族が、予定があり、一緒では、なかったのですが、集合写真も
撮影出来ました。正月、お盆の時期に家族、一族がお墓参りに行ける
ように、今後も続けて行きたいです。

御先祖への感謝、祖訓をつぐは、「孝」につながり、
大切です。縦軸の絆を作り上げ、横軸としての
兄弟姉妹仲良く、やっていける事が最高の幸せ
と思います。 妹の言葉を借りると、この兄弟の
縁、出会いは、『奇跡』キセキ、大切に作り上げ
たいと思います。

お盆休み、ありがとうございました。さあ、明日からまた、仕事前線に戻ります。
宜しくお願い致します。

ps  昨日、8月14日のTBS「Nスタ」にブレス・アス・オールがプロデュース
    する、新宿プリンスホテルの結婚式とホテルシーサイド江戸川での
    結婚式が紹介されました。。
  


2014年8月14日木曜日

大川良太郎

やっぱり大阪に帰ってきてんから    

笑いやで(^O^)/と、
現在、義理母さんのはまっている
大衆演劇に夫婦で 招待頂きました! 

「大衆演劇で有名な梅沢富美男
世界、 歌舞伎とは少し違う、
笑いあり、涙あり。
 芸人さんの日頃の練習成果が、
 芸に中の指先、姿勢、目線に、
出てるねん」と、義母に、教えて
頂きながら、約三時間、
 楽しませて頂きました。

 劇場は、元吉本興業が、あった、
京橋駅近く、羅い舞座らい
ぶざ)、客席400席は、大きい
会場との事だが、舞台と 客席は、
かなり近く、迫力満点、臨場感抜群
でした! 

それも、今月五回目と言う義母の
指定 予約席のおかげでもある。
母は、凄い!

 第一部は、江戸時代のヤクザと
旅侍の 話、チャンバラに
迫力が、ありました。

 第二部は、歌 歌謡曲、演歌を
ツンク の元修行したと言う歌手。
歌恋かれん さんの歌でした。
歌は、上手いが、それ以上に
 感心したのが、修行中に、
5000枚のCDを売る
為、関西で約150箇
所をドサ回り したこと、
そして500人の大阪
のおばちゃんをファン
(メル友)にすること、
が、課題だった
と言う話に、感動した。

プロは、やはり目標を持って
日々の活動をするのだと
関心した。
しかし、大阪のおばちゃんと
友達になる、メル友になる事。

と言う発想は、素晴らしい。

第三部は、舞踊ショーとも
グランドショーとも言われるショー
である。それは、登場人物の
それぞれの芸人さんが、一人
づつまたは、グループで
舞台に上がり、自分の踊りを
披露するショー。それが、また凄い!!
大阪のおばちゃんは、自分の応援している芸人さんが出てくると、舞台まで、
走りより、花とも言われる一万円札の扇のようなものを芸人さんの胸元に
クリップで付ける。 当然のことながら、座長、大川良太郎さんの時は、
沢山、花が付く

その踊りは、女形の豪華な着物に身を包み、素晴らしい綺麗なメイクで、、
一番は、「流し目」、また下に扇を持って沈み込みながら見上げるポーズの際
会場のどよめきとも言える空気を感じる。

大川良太郎、綺麗である!!
一部での劇においての、メリハリあるセリフ回しの時、たまにでる、関西弁。
これが笑いを誘う。
あの、米米クラブのカールスモーキー石井とも、また劇の際に、他の
芸人とならんで行う動き、踊りは、エグザイルとも感じた。

今回の大衆演劇というのは、ものすごい人を魅了する、ファンにする
プロの芸人の熱い、「プロ根性」を目の前で見せて頂き、本当に
感動しました。

「プロ根性」の真剣さは、ファンを楽しませ、元気にし、明るくする、幸せに
することが、エネルギーの元であり、その為に、日々の練習を惜しまず
努力しているのだろうと思う。素晴らしいプロとの出会いに感謝しました。

また、大衆演劇に行きたいと思います。