の時、ふと考えた。
「神様は、目に見えない
存在だが、我々の心の中
に存在される、ということ。」
神棚の社の中、すだれの内
側、目に見えないが、そこに
存在を信じ、感じ、祈念する
「気」は、残るのだと思う。
「気」と同じ様に考えるのは、
「心」私達自身の身体の中の
どこに心があるのか?魂が
あるのか?と探してみても
見えない。だけど、感動した
時、悲しい時に、熱くなる身
体の部分に魂を、
心を感じる。
この存在と神は、似て
いるのだと思う。
毎朝、毎晩、神棚に
向かい、手を合わせ、
感謝を伝え、祈念を
すると、その念、気、
心、魂は、神棚の鏡を
伝い、社の中に
溜まっていくように感じるのです。
ならば、そのような存在は、私達の一人ひとりの身体の中にある。
この存在を表に出すために、意識、心を鎮め、身を清め、罪穢を祓い
山、川や石や、自然と同じく、自分の身を「治める」その存在は、
自分の中にあるのを感じる。
感謝、感謝、感謝の心。
この心が、自分自身の身体の中にある神様なのか?
禊の後、明治神宮の大前に参拝させて頂き、考えた、感じことを
つらつらと書いてしましました。
祓は、ハライと言う、穢を去り浄に就き、悪を除き善に遷り、災厄を拂い
吉祥を求むるの義にして、字或いは解除、または祓除を用いる。
禊は、ミソギと言う、身体を洗浄する義にして、また凶穢を除き、吉祥を求むる
に外ならず、故に或いは、禊を稱して祓いと為す、蓋し祓いには自ら為す
と人に科せらるるとあり。
8月も今日が、最終日! 今日もまた頑張ります!
今日は、15時より、大崎居木神社様にて、
ブライダルフェアがあります!!