2014年7月28日月曜日

蝉取りと大山巌と「君が代」の歴史

今朝は、朝早くから、三男に頼
まれ、蝉取りに行きました。
朝5時に、三男が珍しく自分で
起きて、私を起こしました。

近くの公園は、木が高く、虫取り
アミが、届かないと、北の丸公園
まで足を延ばして行きました、
一匹の蝉を捕まるのに、
10箇所の蚊噛まれて、、、、
自然との戦いにやられました。

その帰りに、久しぶりに前を通り
足を止めた、大山巌元帥像。

大山巌は、日清戦争、日露
戦争で活躍した、日本の陸軍              
大将。この大山巌の話で、
私が、尊敬するのは、国歌を
選択したことです。

明治維新を経て、外国との
交流が始まった日本、国際
社会において、国旗や国歌
は、独立国として必要なもの
でした。

明治二年(1869年)、イギリス
公使館のフェントンからの質問
「日本の国歌はあるのか?」
と尋ねられ、国歌が必要と考え
た大山巌は、「国歌は、新しく
つくるよりも、古い歌から選ぶ
べきだ」、また、イギリス国歌の
「ゴット・セイブ・ザ・クィーン」の
ように「天皇の宝祚
(ホウソ=御位)の
隆昌とともに、国と
国民の繁栄を祈る歌
にすべき」
との理由から、大山は、薩摩
琵琶歌『蓬莱山』にある『君が代』
を国歌として提案しました。

『君が代』の歴史としては、
『古今和歌集』(905年)の
「賀歌(がか)」にあります。
平安時代の終わりに近い文治
元年(1185年)『古今集註』また、鎌倉時代の『和漢朗詠集』(1228年)
鎌倉時代の『曽我物語』、室町時代の謡曲にも、江戸時代には、小唄、長唄、
落語、浄瑠璃に取り入れらているそうです。

国旗掲揚の際、またオリンピックの際、ワールドカップの際、試合を勝った時に
国旗を掲げ、国歌を歌う素晴らしさを我々は体験しています。
そんな大切な国歌は、約1000年も昔から、私達の先人の生活の一部として
愛唄として、歌われていたことを、知りました。

戦後のGHQ占領軍により、国歌を歌うことが出来なかった歴史が、色々と
現在にも残っているのですね。
さあ、今日も頑張ろう!

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