
まれ、蝉取りに行きました。
朝5時に、三男が珍しく自分で
起きて、私を起こしました。
近くの公園は、木が高く、虫取り
アミが、届かないと、北の丸公園
まで足を延ばして行きました、
一匹の蝉を捕まるのに、
10箇所の蚊噛まれて、、、、
自然との戦いにやられました。
その帰りに、久しぶりに前を通り
足を止めた、大山巌元帥像。
大山巌は、日清戦争、日露
戦争で活躍した、日本の陸軍
大将。この大山巌の話で、
私が、尊敬するのは、国歌を
選択したことです。
明治維新を経て、外国との
交流が始まった日本、国際
社会において、国旗や国歌
は、独立国として必要なもの
でした。
明治二年(1869年)、イギリス
公使館のフェントンからの質問
「日本の国歌はあるのか?」
と尋ねられ、国歌が必要と考え
た大山巌は、「国歌は、新しく
つくるよりも、古い歌から選ぶ
べきだ」、また、イギリス国歌の

ように「天皇の宝祚
(ホウソ=御位)の
隆昌とともに、国と
国民の繁栄を祈る歌
にすべき」
との理由から、大山は、薩摩
琵琶歌『蓬莱山』にある『君が代』
を国歌として提案しました。
『君が代』の歴史としては、
『古今和歌集』(905年)の
「賀歌(がか)」にあります。
平安時代の終わりに近い文治
元年(1185年)『古今集註』また、鎌倉時代の『和漢朗詠集』(1228年)
鎌倉時代の『曽我物語』、室町時代の謡曲にも、江戸時代には、小唄、長唄、
落語、浄瑠璃に取り入れらているそうです。
国旗掲揚の際、またオリンピックの際、ワールドカップの際、試合を勝った時に
国旗を掲げ、国歌を歌う素晴らしさを我々は体験しています。
そんな大切な国歌は、約1000年も昔から、私達の先人の生活の一部として
愛唄として、歌われていたことを、知りました。
戦後のGHQ占領軍により、国歌を歌うことが出来なかった歴史が、色々と
現在にも残っているのですね。
さあ、今日も頑張ろう!
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