神前式の後の家族だけの会食
や、プチ披露宴の会場となる、
老舗料亭『なだ万』。
今日は、この「なだ万」の歴史を
質問受けましたので、紐解きた
いと思います。
『なだ万』の屋号は、創始者で
ある灘屋萬助の名前に由来
して付けられました。
天保元年(1830年)の創業
現在で、約180年の歴史が
あります。
長崎出身の楠本萬助(三代目)
が、当時から長崎に入っていた
中国の卓袱料理(しっぽくりょ
うり)と漢方の心得を生かして、
料理屋を大阪に開いたことに
始まります。
大正八年(1919年)、第一次
世界大戦後のヴェルサイユ
条約調印の為に訪欧した
西園寺公望公の料理番に
『なだ万』の店主(三代目
楠本萬助)が選ばれました。
この事は、大阪における
『なだ万』の格を一層高めました。
昭和49年には、なだ万の
本店を大阪今橋より、東京の
ホテルニューオータニのお庭
の中に佇む、山茶花荘へ移さ
れています。
昭和61年の東京サミットの
公式晩餐会は、なだ万本店
山茶花荘にて行われた。(当時
中曽根首相、レーガン大統領
(米)、サッシャー首相(英))
このような世界のVIPが、食した
なだ万であるが、もう一つ、
なだ万を有名にしたものとして、
やはり、文豪の小説に出てくる
ことである。
・夏目漱石の『行人』
に灘萬のまな鰹ー
が出てくる。
・森鴎外の『小倉日
記』において「灘萬
に飲み、灘萬の割
烹は好し」と出てくる
なだ万のこの歴史を遡った際に出てきた、長崎の『卓袱料理』、とても気になります。
卓袱料理とは、中国料理と西欧料理が日本化した宴会料理の一種らしく、
長崎市を発祥地とし、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで食べる料理とのこと。
卓上に大皿に盛られた料理を、小鉢や小皿に自分達で、取り分け、色々な種類の
お料理を食べる形は、中国の飲茶に似ているのか? 最初にお吸い物のような
お椀に入ったスープも頂けるようです。 コース料理のように、卓上の料理が
なくなると、次々と別の料理が出てくる、コース料理のような、独特な料理は、
料理職人の腕が磨かれるのかもしれません。
そして、あの見栄えのある懐石料理の小鉢に入ってくる料理は、「なだ万」に
おいての、お料理を綺麗に見せて出すという形の基本となったのかもしれません。
料理が時代と共に変化し、日本食が、ユネスコに登録されるまでになるのは、
日本の「和」の文化が、外国から来た料理を自分の国の料理にアレンジする
力、日本力と結びつけてしまう力が、新しい料理を産み出し。
見た目にも綺麗で、斬新な味付けの料理に進化していくのか?
今回の「なだ万」の歴史を紐解きながら、日本食の変化が楽しいものと勉強
しました。
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