2014年4月17日木曜日

テレビゲームと人の気持ち

ウチの三男8歳は、秘密事を持っている。それは、今朝発覚した! やけに朝起きるのが、
早く、我々両親には、一応挨拶にはくる、「おはよう、ねぇテレビみてもいい?」
寝ぼけて動けない我々両親は、「いいよ」と言う。

今朝、朝5時、私が起きてみると、なんとテレビではなく、ゲームをしていたのである。

川辺家は、ずっとテレビゲーム禁止の家であった。長男も次男にもゲームを買ったこと
がなく、何度も、何度も買ってほしいと言われても、買わなかった。
中学になり、自己管理ができるという、条件のもと、初めて購入したのである。

それが、三男、年が離れた三男は、小学校二年生から兄のゲームをしてしまっている。
そもそも、私がなんでゲームを禁じたかは、単純な理由である。
外で遊んで欲しいのである。

しかし、時に公園を歩いていても、公園のベンチで小学生がゲームをしている。
ゲームの世界は、一人の世界。バーチャルの世界。架空の世界の中にいる自分。

外で遊ぶというのは、缶蹴りとか、おにごっことか、草野球とか、ケンカとか、
やって欲しいその中で、集団生活、集団行動や、もっとも大切な他人の気持ち
を考えるや傷つける事を学ぶのである。 
「どうしてあの子は泣いているのか?」「何を言った、どの部分が傷つけたのか?」
「痛い!」気持ちや、「悲しい」気持ちは、他人を通じて他の人間と行動して学ぶのである。

ゲーム、私が小学校四年生の時に始めて任天堂のテレビゲーム、本当に家のテレビ
に機械を接続して、行うゲームがブームになった。
私たちの家にも、父のゴルフの景品でやってきた。やってみたが、何も面白くなかった
やっている時は、どんどんと集中して、そのゲームを行うが、半月もしないうちにしなく
なった。ゲームが、喫茶店のテーブルに並ぶのもこのころで、家の任天堂のゲーム
よりも、喫茶店の大きなゲームの方がまだ、面白かった。

そんなゲームとの付き合い経験未熟な親が、子供のゲームに対する気持ちがわかる
訳がない、「ならぬことは、ならぬ」と頭ごなしで禁じても、隠れてゲームをするので
あれば、時間を区切ってする行うように、今朝、ゲームをしている小学二年生に話
をしたが、、、

ゲームを少々していても、他人の気持ちのわかる、思いやりのある、人間に育って
欲しいものである。

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