2014年2月28日金曜日

煎茶道

この春の披露宴において、新郎様の      
お母様のご要望で、余興の時に、
煎茶道の貴人点前(きにんてまえ)
で、私が、高砂の息子娘に、お茶を
出したいのよ、、、」と言われ。

「お茶」の千家や裏千家と言われる
抹茶の茶道かと思ったら、煎茶道
と言うのがある事、今回初めて
知りました。

なかなかインターネットで検索しても
良い資料が出てこず、『煎茶道の
すすめ』と言う本を全日本煎茶道連盟から取り寄せて読んでみました。、

煎茶の始まりは、奈良時代、天平元年(729年)聖武天皇が僧たちに茶を
賜ったといわれています。その頃のお茶は、飲料としてよりも、薬用として飲まれ
たもののようです。
鎌倉時代に栄西禅師が、中国から茶の種を持ち帰り、当時の中国のお茶の飲み方
を伝えられた。 それまで、日本では茶の木の栽培は行われておらず、お茶の飲み方
も、煎じて飲んでいたのですが、栄西禅師によって、茶の種がもたらされて、広く茶の
栽培が行われ、飲み方も、茶の葉を粉にして飲む抹茶としての飲み方が普及するように
なりました。
鎌倉時代の三代将軍源実朝が、二日酔いに苦しむことが多かったとき、建保二年
(1214年)二月、お茶を飲むようにすすめられ、その効き目が大きく、お茶を飲む
風習が広まった
煎じ薬として飲む ⇒ 抹茶として飲む ⇒ 煎茶として飲む

江戸時代末期から、形式主義におちいり、規則にしばられるようになっていた
「茶の湯の世界」に批判的であった文人たちが、煎茶の世界に形式、礼法を定め
るこなく、自由な精神で広がった。やがて、煎茶にも一つの形式、流儀として煎茶
を楽しむ派と流儀にこだわらない煎茶派と二つの流れができる。
煎茶の歴史をみていると、お茶そのものの変化があります。
煎茶が生まれ、さらに玉露が生まれ、製茶技術も進んで、上質なお茶が作られる
ようになった、そうすると飲み方の流派は、各地にその土地の風習とも関連して
生み出されました。その中でも、日本に煎茶を広めた、『売茶翁』の顕彰から
始まった「高遊会」から、現在、全日本煎茶道連盟には、三十九流派が活動して
います。

お茶の知識
お茶の製法により分類できます。
不発酵茶―蒸し製緑茶(日本式)
        ・玉露 ・抹茶(碾茶)・煎茶・番茶
      ―釜炒り茶(中国式)
        ・嬉野茶・青柳茶
半発酵茶―・烏龍茶・包種茶
発酵茶――・紅茶
                        
玉露(ぎょくろ) 
覆下園(ふっかえん)、つまりおおいをした茶園でつまれた若い葉
からつくられる最高級のお茶。蒸気で手早く蒸され、揉みながら乾燥してつくられる。
針のように細くよられ、手揉みのものが最高級。
抹茶
玉露と同じく、覆下園のお茶で、蒸したあと揉まずに、そのまま乾燥させ、ひろ葉と
してつくられ、保存し、必要に応じて粉にする。粉にすると長持ちせずに、味も香りも
悪くなる。
煎茶
太陽光線をいっぱいに受けた茶園から摘まれた葉を蒸気で蒸して、揉捻しながら
乾燥するもの。玉露に比べてやや高温で処理される。飲まれるときも、高温の湯
で飲まれる
番茶
つみとられる時期によって、一番茶、二番茶といわれ、一番茶が上質のお茶と
なりますが、高級茶をつみとった後、古い葉とともに、刈り取られた葉でつくられる
お茶のことで、一番下級のお茶となります。しかし、番茶特有の風味も良く、
ほうじ茶などにすれば、味も、香りもよく、美味しいです。

毎朝、仏壇にお茶を添えますが、母が生前、薄い目にしてやーーと言われていた
ので、母は、薄いお茶が好きと思いながら、淹れているだけでした。
毎朝お茶を淹れているものの、温度や時間、湯の量など考えたこともなく
今回の結婚式の打ち合わせの際に、新郎母よりお話頂き、煎茶道というのが
存在すること、お茶が製法により色々と存在することを知りました。
本当に、日本人は、色んなことを日常の生活から工夫と使い方
そしてそこに、精神性、礼法、おもてなしの掛け軸や植物など規則をいれて、
作り上げていくのが、歴史を作り上げいくのが良い。
自然との共存共栄なのだと思う。





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