四つの大綱の話を聞いた事ありますか? 父より昔紹介してもらった、儒教や人間学の先生
安岡正篤先生の言う、国と人に大切な、『四つの大綱』
安岡正篤先生の言う、国と人に大切な、『四つの大綱』
一つ目、礼。
先生、親、先輩、年配者、それぞれに対する礼。
ただ頭をぺこんと下げただけの礼ではなく。真の礼は、神道の神主さんが行う、
腰を90度に折り曲げる礼。
普段そこまでできないにしても、ちゃんと立ち止まり、きちっと礼をする、
おざなりではない、しっかりした礼が必要だ。
礼に始まり礼に終るのが、日本の心だから。
ニつ目、義。、
信義や、忠義、あるいは道義といった、守るべき大事な価値観、
ニつ目、義。、
信義や、忠義、あるいは道義といった、守るべき大事な価値観、
倫理道徳という言葉さえ、死語のようになってしまった現代では
あるが、今一度、「義」を重んじる。
あるが、今一度、「義」を重んじる。
三つ目、廉。は清廉のこと、
廉(れん)とは、清廉(せいれん)。心が清らかであり、私利私欲がないこと。
政治の世界も、一部の企業も、損得で動くことが多い。
政治の世界も、一部の企業も、損得で動くことが多い。
天下国家のため、世のため人のため、という視点が欲しい。
四つ目、恥。
四つ目、恥。
恥の心、日本人は、昔から田畑を耕す農民が多いから、隣近所の人たちと
村全体で、一緒に田植え、一緒に稲刈りを助け合ってやってきた。
今日は、内の田んぼ、明日は、隣の畑に助け合いをした。
そんな中では、隣の台所に何があるぐらいまで知ってしまう。村の子供は、
親から、「そんなことをしては、家の恥だ!」「ご先祖の恥だ!」と
親、ご先祖に恥をかかすわけにはいかないと、躾(しつけ)された。
その他人に見られているという、責任感と緊張感が、恥の文化を作った。
そんな恥の文化が、「卑怯なことはしない」、恥ずる心があれば、
礼や義や、廉を忘れることはない。
現代の日本の危ういところは、現代人が
公の心を忘れていることだ。
公とは、自分の損得より先に、人の喜びを考
えるという、公平無私の姿勢だ。
この公の心があるからこそ、
村全体で、一緒に田植え、一緒に稲刈りを助け合ってやってきた。
今日は、内の田んぼ、明日は、隣の畑に助け合いをした。
そんな中では、隣の台所に何があるぐらいまで知ってしまう。村の子供は、
親から、「そんなことをしては、家の恥だ!」「ご先祖の恥だ!」と
親、ご先祖に恥をかかすわけにはいかないと、躾(しつけ)された。
その他人に見られているという、責任感と緊張感が、恥の文化を作った。
そんな恥の文化が、「卑怯なことはしない」、恥ずる心があれば、
礼や義や、廉を忘れることはない。
現代の日本の危ういところは、現代人が
公の心を忘れていることだ。
公とは、自分の損得より先に、人の喜びを考
えるという、公平無私の姿勢だ。
この公の心があるからこそ、
「人の見ていないところでも、ごみを捨てない」、
「お天道さまに恥じないことをする」、
「お天道さまに恥じないことをする」、
「人様にご迷惑をかけてはいけない」、
という気持ちが生まれる。
公をなくしてしまった人は恥ずかしい。
それは、弱いものをいじめる人であり、自分だけよければいい人であり、
気遣いのない人であり、惻隠の情のない人だ。
国の滅亡も個人の滅亡も同じだ。
四つの大綱と公の心を忘れたとき、
国も、人も滅びる。
お天道様(神さま)が、見てるよ!とか、
親に恥をかかすな。と言う言葉は
幼い頃、母に言われた。
この自分を戒める心、慎む心(慎独:しんどく)
や公の心は、もう一度大切にしたい事です。
国も、人も滅びる。
お天道様(神さま)が、見てるよ!とか、
親に恥をかかすな。と言う言葉は
幼い頃、母に言われた。
この自分を戒める心、慎む心(慎独:しんどく)
や公の心は、もう一度大切にしたい事です。
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