2014年2月16日日曜日

家紋と関西の女紋の風習

家紋をご存じですか?最近和婚の   
結婚式のご相談において、よくご
質問をしています。
神前式の衣装において、御新婦
様は、白無垢の文様や生地、
髪型、角隠し、綿帽子、カンザシ、
また、色打掛と選択項目が、
あります。
新郎様も同じく、袴の柄や羽織
の色などを選択頂きますが、
やはり黒の紋付の羽織が、定番
で、家紋を実家の家紋に替える
ことが、レンタルの衣装に最初
からついている紋から、自分の
家紋になる。その事が、
自分を出せる所で、
写真にも残ります。

                             
家紋の起源は、古く平安時代後期
にまで遡る。奈良時代から調度や
器物には装飾目的として様々な文
様が描かれてきたが、平安時代に
なると次第に調度品に文様を描く
ことは視覚的な美しさだけでなく、
貴族が各家固有の目印として使う
特色を帯びてきた。そして平安末期
に近づくと、独自の紋を牛車の胴に
付け都大路でその紋を披露して歩き
回り始める。これが家紋の起こりで
あるという説がある。
その後、公家の間で流行し、様々な       
家紋が生み出されていく。鎌倉時代
にかけて徐々に、その後の帰属の
証明や家紋の意味合いや役割に、
発展・変化していった。

家紋の歴史からも、家紋が、その家
の象徴であったことが、わかる。

自分の家の家紋を調べてみると、
面白い。 私の川辺家の家紋は、
『丸に九枚笹』である。笹紋は、竹紋の分かれのようであるので、竹紋に
ついて調べた。
竹は、大和ことばで「たけ」という。これは高く伸びることを意味するとともに
猛きことも意味している。また、竹は神と人とをつなぐ柱であり、竹を依代と
して神は降臨するともいわれる。松や梅とともに新年の飾りにも使われる。
文献としては、『古事記』にはじめて見え、また日本最初の小説『竹取物語』
は、竹の中から人が生まれる話である。
笹紋では「九枚笹」を豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛、石見の戦国
大名でのちに毛利氏の家老となった益田氏らが用いた。
笹紋の歴史を見てみて、ご先祖が、どのような思いで使っていたかも考える。

結婚式の日に、新郎様が家の紋を付けて、むかえることは、すごく良いことに
思います。ちなみに、女性には、女紋(おんなもん)と言うのが、
関西を中心とした地方に残っています
女紋とは実家の家紋とは異なり女系から女系へと
伝える紋章のことであり、実家の家紋とは意匠も
由緒も異なります。
関西の商家では外部から頻繁に有能な入婿を迎えて家を継がせる女系相続
が行われたため、自然発生的に女系に伝わる紋が生まれたといわれています。
特に近畿地方の商家においては「家紋が一つしかない家は、旧家とは言わない」
ともいいます。
現在でもこの風習は根強く残っている。私の母は、やはり紋を持っていました。
その紋は、妹に引き継がれています。
面白い風習と思っていました、また子供のころは何となくうらやましくも思った事
です。

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