2014年1月5日日曜日

平成二十六年(2014年) 甲午 (きのえ・うま)を迎えて

平成二十六年(2014年) 甲午 (きのえ・うま)を迎えるにあたり、
方向性を調べた。
 
‘甲’の原義
‘甲’は種を覆っている固い殻の象形文字である。つまり種の外皮だ。だから漢字語源では、明らかに種とは別の意としている。種を卵に置き換えてみよう。非常に固い殻で護っている卵の中身は、蛇なのか鶴なのか分からない。つまり、‘甲’の原義は実体を封じ込める意。即ち外見からは、中身を絶対に識別させない意である。機が熟した種 若しくは卵が、生命体の姿を現すまでの過程を、漢字‘甲’を用いて後世に遺したと想う。新たな命が生まれたのは確かだが、未だ、海のものか山のものか判別できなかったからだろう。
 世の中、新たな十年が始まる年である。当然、前の十年(一時代)とはガラリと様相が変わり、
前の時代には通用していたものが通用しなくなると、‘甲’の漢字から読み取れる。
なにしろ、中身が封じ込まれているのだから、始まった新たな時代(十年)が、どのような動きになるかは分からない。

必然的に世の中の動きは、手探りになるだろう。
行動が正なのか邪なのかを問わずに受け入れるので、世の中は、糸が絡み合った状態に陥るだろう。これが‘甲’の年の特徴だろう。
 
‘午’の原義
‘午’は杵の象形文字。両人がキネを交互に上下させ米をつく象形で杵を表している。‘午’に「りっしんへん」を付けた「忤」は、さからう そむく の意から‘午’は さからう とも解されている。‘午’を漢字語源では、「つらぬく つきとおすなり」と極めて強い意としている。

漢字語源に、「杵を上下してつくことによって、堅い米がやわらくつきならされる。」と、その有様を丁寧に書いてある。では、何故やわらくすると云う表現をするのか?それは‘午’の基本義が「かみ合う」であるからだ。同義語に「牙」 「互」の漢字がある。「かみ合う」は、かみ合った姿を示すのであって、争いの嚙みあうではない。「かみ合う」・・・世の中を適合さす動きである。この為の行動は非常に激しく、極めて強い力を要する。それを現した漢字が‘午’である。
なにしろ、世の中の流れを変える動きだ。
そうなれば、今までの慣習 既成観念は大きく揺さぶられ、世の中は騒然となる。
この動きを、前半の流れに胡座をかいていた層にとっては、そむく さからう と受け取るだろう。
 
‘甲’と‘午’の組み合わせ 
来る者は拒まずの年である。千差万別の願望と云うか欲望が相乱れる一年間になる。 これに輪をかけるのが、“十二支”の‘午’と云う動きである、否が応でも世の中は激しく動く。
1834年の天保“甲午”の年は、「天保の改革」を老中が施行。これが幕末の始まりであった
1894年の明治“甲午”の年は云うまでもなく、日清戦争開戦であった。以降、急速にこの国は軍事国家の道を駆け上る。
1954年の昭和“甲午”の年は民主党の結党で、民主国家の礎が確立される。東通工(今のソニー)の、トランジスター開発が以降の経済大国に繋がる。
これらは、主だった出来事の一つに過ぎないが
“甲午”の年は、人間の行動が目立つ。

“甲午”の年は人間の本性があからさまに、発揮される年である。
好き放題の動きが起きる“甲午”の年。当然、人々の通念 目標はバラバラになる。共通するのは、国 企業 個人全ての目標が利益である事。あちらこちらで衝突が頻発し世の中は騒然となる。そして従来の協定 約束などは、反古同然となる。所謂、乱世だ。
「成長から生存へ」になるだろう。目標は、生存に置くべき。

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