2014年1月21日火曜日

国のため

国のために、と考える        
時は、ありますか?

私は、恥ずかしい話、39歳になって
初めて、生まれて初めて、自分は、
何か国の為になることができるのか?
と考えました。それは、39歳になって
始めて参拝した、靖国神社
の本殿に上がらせて
頂き、御鏡の前にて、
黙祷した時でした。

昨日の禊の後に参拝した、明治神宮
本殿の大前にておいての、正式参拝
時においても、国の為に何が出来て      
いるか?
と思い考えました。

やはり、国の為、人の為、と考えて
おられた天皇陛下や英霊の「祈念
や強い思い」は、後世に残るように
感じます。あの場にいかせて頂くと
その思いに触れるのです。

天皇陛下の名には、必ず『仁』と言う字がつくと、教えて頂いた事があります。 
それは、論語でも大事にしている「仁」:人は二人、人は一人では生きれない
他人を思う気持ち、他人、相手の気持ちに立つ、「恕」の心を幼い時より
一番大切に教えられると聞きました。
他を思う気持ち、それが、国を思う気持ちになる
のだと思います

英霊においても、自分の親、兄弟
姉妹、甥姪、祖父母、友人、恩師、
先生など、沢山の他の人を思い、
そして国を思ったのだと思います。
まだまだ、自分や自分の家族、自分
の会社、社員などといった、「我」の
強い気持ちを少しでも、広く、大きく
して、地域の為、地域の人、自分に
かかわってくださっている人々、
今までお世話になった人々、
小学校、中学校、高校、大学、社会
人,沢山の人に出会い、刺激を受け、
自分が『今の自分』を創ってきた、
頂いた、そのすべての人々を考える。
それらの人に恩返しをするそのことが、国のために何かする、
社会に恩返しをするに繋がるように考えます。

まだまだ、小さい力ではありますが、この靖国神社、明治神宮において
感じた、考えさせて頂いた「国のため」と言う、気持ちを、
自分に正直に、自分の人生の中で、しっかりと形にしていきたいと強く思います。

昨日の大寒禊は、感謝いっぱいの禊でした。この禊に参加出来た事全てに感謝しました。
 
 

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