東京十社の品川神社には、『元准勅祭社 品川神社』と言う石碑が、立っている。
同じく王子神社にも『元准勅祭社』が付いている。
これは、何を意味しているんだろうか?
古い私の大叔父の写真、おそらく戦前の
昭和十五~十六年頃の写真。
貴重な靖国神社での写真。
ここには、『別格官幣社』と
書いている。
戦後、現在この社格は削られた。
(今は、ついていない)
だからこの写真は貴重!!
勅祭社と言うのは、天皇の勅使が
参向して祭祀が執行される神社
のことで、勅祭社の古くは二十二社
あり近代になってから、明治元年
(1868年)10月17日、明治天皇は
氷川神社を勅祭社に定め、
それに続いて11月8日、皇居を中心
に主だった神社を准勅祭社と定め
東京の鎮護と万民の安泰を祈る
神社を東京十二社とした。
当初は12社(日枝神社・根津神社・
芝神明宮・神田神社・白山神社・
亀戸神社・品川貴船社・富岡八幡神社・
王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・
鷲宮神社) であった。
明治三年(1870年)9月1日には廃止され
准勅祭社の制度は一時的なもので
終わった。その後、該当神社は
府社あるいは郷社となる。
地図は、皇居を中心として、東京十社の
位置をしめしています。
十社が皇居を囲うように位置します。
東京十社で、東京全体の安泰と
皇居、皇室の繁栄を祈願しての
神社なんですね。
一方、官幣社は、近代社格制度に
あり明治政府によって定められた
神社の格に関する制度。
明治四年(1871年)5月14日jには、
近代社格制度の基盤となった
太政官布告「官社以下定額・
神官職制規則」を公布。
神社の格を大きく官社と諸社に
分類し、官社として九十七社列格
した。
今回のテーマからは、すこし異なるが
この大叔父の靖国神社での写真が
最後となる、
このまま、日本は、大東亜戦争に
突入する。
大叔父は、昭和十八年にビルマにて
インパール作戦にて
戦死されておられます。
二十四歳で亡くなられています。
今は、靖国神社にて御魂は、お祀り
されています。
色んなことを教えてくれる
この写真は、貴重で、私の宝物です。
日本の将来や日本の国の事を
考え、また私たち子孫のことを
考えて、国を守り戦死された
大叔父の志を大事に、自分の
子や孫に伝えていきたいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿