2013年10月31日木曜日

自然崇拝・多神教だった、ケルト人の文化「ハロウィン」、今日ですね!

平成六年(1993年)、アメリカの大学に留学の際、その時にこのハロウィンを体験しました。
留学先のアメリカ北部のニューハンプシャーというボストンより北へ約85KM
車で約60分の位置になり、ちょうど、秋(9月中旬から10月中旬までが、綺麗な紅葉の
季節で、全米でも人気の観光
スポットです。

10月31日のハロウィン
の時には、雪が降り
始めます。ハロウィン
は、季節の変わり目
そして子供の楽しみ
が続きます。

10月31日ハロウィン
キャンディーをもらい
11月第四木曜は、
Thanksgiving
サンクスギビング
感謝祭の七面鳥を
食べて
12月25日クリスマス
とイベントが続きます。
ゴルフ場もハロウィン
から雪でクローズになる
ところが多かったです。                     

「ハロウィンってなん
ですか?」当時、聞い
た時、ケルト人の文化
と教えてもらったな
と思いだし。

それを調べてみると、
ハロウィンの由来は、
古代ケルト民族の秋
の収穫感謝祭に起源が
あると言われています。

「古代ケルト民族」とは、中央アジ
アの草原から馬と車輪付きの乗り          
物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパ  
に渡来したインド・ヨーロッパ語族
ケルト語派の民族です。

古代ケルト民族の1年の終わりは
10月31日と定められ、この夜には
死者の霊が親族を訪ねたり、悪霊
が降りて作物を荒らすと信じ
られていました。 そこから、秋の
収穫を祝い悪霊を追い出す祭り
が行われるようになり、キリスト教
に取り入れられて、現在のハロ
ウィンの行事となったようです

キリスト教が誕生
する前の時代
の民族ケルト人。野生的、野蛮
人と言われたが、鉄、青銅の武
器を持ち、ヨーロッパに領土を
広げていたが、ローマ人と
戦うようになり、だんだんと、
追いやられ現在のイギリス
の島に移る。

その後、ゲルマン民族の移動で、
やはり  戦い、ケルト人は今の
イギリス北部アイルランド、
ウェールズ、スコットランドに
住むようになる。

自然崇拝、多神教ということに、
神道との共通を感じまた、
ハロウィンのルーツだったので、
今日のテーマにしました


2013年10月30日水曜日

謡曲『高砂』の唄で、新郎新婦入場!相生の松によせて夫婦愛と長寿を言祝ぐ唄。

謡曲『高砂』の唄で、新郎新婦入場しました。

高砂や この浦舟に 帆を上げて この            
浦舟に帆を上げて
月もろともに 出潮(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり

結婚式では「出潮⇒入潮(いりしお)」
「遠く鳴尾⇒近く鳴尾」と変えて謡う場合が多い。

四海(しかい)波静かにて 国も治まる
時つ風 枝を鳴らさぬ 御代(みよ)なれや
あひに相生の松こそ めでたかれ げにや
仰ぎても 事も疎(おろ)かや かかる代(よ)に
住める 民とて豊かなる 君の恵みぞ ありがたき
 君の恵みぞ ありがたき

『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。
相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、
人世を言祝ぐ大変めでたい能である。            
古くは『相生』『相生松』
と呼ばれた。          

ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、
上ゲ謌で謡う『高砂や、この浦舟に
帆を上げてこの浦舟に帆を上げて、
月もろともに出で潮の波の淡路の
島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、
はや住吉(すみのえ)に着きにけり、
はや住吉に着きにけり』は
結婚披露宴の定番の一つである。
唄には、夫婦和合の妙(ハウツー)
の意味がある。



高砂の松と住吉の松とは相生の松離れていても夫婦であるとの伝説を説き松の永遠、
夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる。

粋な和風の余興として、人気が出てきています。
日本の文化は、勉強するとまだまだ知らないこと
が多く、新鮮です。
大切な日本文化を新郎新婦に是非伝えたい。

2013年10月29日火曜日

中小企業の経営者は、常に平常心を保ち、商売に臨む! 『得意冷然 失意泰然』の心です。

私は、大阪の清風高校の出身です。 仏教の学校だったので、毎朝の朝礼で、当時は全校生徒、男子ばかりで、約三千人が、般若心経を唱えます。
唱えた後に、校長先生からのお言葉を頂くます。
ちょうど、高校三年生の卒業式間近の頃        

今から二十七年前の頃              
「皆さん!もうすぐ卒業式ですね、
先日あなた達の卒業生の中で
有名な体操の選手、具志堅さんが
ロサンゼルスオリンピック
に決まりました!!と報告に来てくれ
ました。そこで、先生、オリンピックに
行くにあたり、何か言葉を下さいと
言われましたので、
『平常心』でいなさいと言いました。

あなたたち、卒業する生徒も
同じです。人生と言うのは、
長いながい道、ずーーと
歩いて行きます。その時に
良い時もあれば、悪い時もある
良い時は、浮かれるし、
悪い時は、落ち込むでしょ

だから、良い時は、     
ああもうこんな良い時は、んなに続かいぞ、、と気を引き締め。悪い時は、んな
に、悪い
は、もう続
かない、と
分を叱咤激励
するのです

そして
『平常心』
を保つ事が
人生におい
て、大切な事
です。

二十七年前の
高校生の時に話
を頂いた事です
が、今だに鮮
明に覚えていま
す。それは、失
敗した時に「こ
の失敗は、この
悪い事はそんな
に続かいないと
思え」と言うのは、
納得したのです
が、良い時に、
この良い時は、
余り続かないと
思うのは、違う
のとちゃうか?
と思ったからです。

良い時、嬉しい時は、ずうーーーと嬉しい、良い時が続いて欲しいと思うやんか!!と
思っていたからです。

今、中小企業のおやじになり、商売をやっていく中で、高校時代に頂いた『平常心』
常に心を平らに持っていることは、大切な事やなーーと、本当に、心より思います。

商売が、良い時には、特に、それをぱっぱ、ぱっぱと次の投資や、贅沢に
使うのではなく、金がある時こそ、慎重になり、投資する
慎重になり、貯める。 と言うことが、とても大切です。
また、悪い時こそ、この言葉を思い出し、落ち込むことなく、投げ出すことなく
明るく楽しく元気よく、立ち向かって、自分を奮い立たせることが大事です。

そして、中條先生に教えて頂いた、言葉も重ねて感じます。
それは、
『得意冷然、失意泰然』

まさに、この言葉につまっているように思います。

高校時代に頂いた、「平常心」と「得意冷然、失意泰然」
この言葉を大切にしていきたいです。

2013年10月28日月曜日

三献の儀(三三九度)にて、恩頼(みたまのふゆ)を頂く。

先日、ブライダルフェアの接客において、お客様から神前結婚式の式次第の説明をしていて、
お客様が、疑問に思われたこと。

三献の儀(さんこんのぎ
:三三九度)において、神様
のお酒、お神酒を頂き神様
より恩頼(みたまのふゆ)
を頂きます。
『みたまのふゆ???』

まず、一献から説明をします。
一献は、正式な場において、
三つの杯で一杯ずつ飲むこと
三献は、これを三回繰り返す。

三三九度は、三種類の杯で、
一献づつ行い、三献を行う
から九杯頂く。

三三九度の歴史的には、
だいたい室町時代に、武家
礼法によってその基礎が
できたとされ、しかもこの頃は
結婚式だけではなく他の
おめでたい儀式の時にも
三三九度が行われていた
ようです。

神話の中に、スサノオミコト           
が、ヤマタノオロチに酒を
飲ませて退治したことが
出てきます。これは、
酒(サケ)」の語源が、
「栄え」の意味のほかに
邪気を「避け」るの意味
があるからだと言われて
います。

神前式において、三三九度に
使う酒は、「夫婦固めの盃」
そして「親族固めの盃」
に使用します。 これは、
新郎新婦だけでなく
両家が同じ身内になる
ことによりその繁栄を
祈る意味が込められて
います。

酒は、ご神前にお供えされて
酒から、お神酒(おみき)、                 
神様の御霊の入った酒へと
変わります。

この神様の御霊の入った酒を
頂くことにより恩頼を頂くのです

恩頼(みたまのふゆ)とは、           
皇神や天皇の霊威による恩恵を常に
こうむっているという古来の信仰を
表現した語。
ミタマは霊魂、フユは「触る」「振り」
「殖ゆ」の意味で、尊貴ま霊魂に
接触することでミタマの力が加護
増殖される意と解釈される。

『日本書記』には、オオナムチ、
スクナビコのはたらきで、療病、
まじないの法が伝えられ、
人々が恩頼をこうむっていると
いう記載がある。景行紀に
ヤマトタケルは「頼皇霊之威
(みたまのふゆにより)
て熊襲国を撃ったとある。


神前式において、神の恩頼(みたまのふゆ)を頂き、末永く良き家庭を築いて頂きたいです。

 


 

2013年10月27日日曜日

日本の国歌に出てくる「さざれ石」ってどんな石?

先日、子供と一緒にお風呂の中で、国歌を歌いました。

君が代は          千代に
八千代に
さざれ石
いわおとなりて
こけのむすまで


その際に、この歌の
意味に興味を持った
子供が、『さざれ石』って
どんな石と
質問されました。

調べてみると、

さざれ石(細石、さざれいし)は、もともと小さな石
の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片
の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が
埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化し
たものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などと
よばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力
の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、
石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。

日本人のこの自然との共存している、自然に神を感じる民族ならでは
歌のように重さを感じます。
自然を制圧して、すべて人間の思い通りにするというのではなく、
ゆっくりとゆっくりとながい歳月が、経ったらいくら細かい石であれ
石と石が積み重なりからみあい、一つの大きな石、岩になっていく

「サムシンググレート」何か見えない力、の作用もあるように感じる
時間軸、人間が一人一生涯かかってもその時間軸に観察してみる
レベルをはるかに超えた時間軸に歴史や環境、時間と空間の
全てを自然は、人間を超越していることを感じる

また、その自然の神と一緒にまた、神は、人間よりも上の者として
「上」(かみ)とあがめて、畏怖の心と尊敬、崇敬する心が
日本人にはあり、この歌が出来たように感じます。

天皇陛下が、またその天皇陛下のもとで一緒に民衆が、
長い長い時代を生きていく、
國體を中心としているから、日本人が、この國體を大切に守って
来ているから、続く神秘な国なのだと思います。

国歌を大事に、國體を誇りに、次世代に伝えたい。

2013年10月26日土曜日

社会人一年生から約二十一年お世話になっている神田明神。素晴らしい神縁に感謝。

先日、約二十年ぶりに銀行の同じ大学同期の仲間にあった。お互いに四十五歳になって
いていい年だ。 大学の仲間は、銀行の中でもそれぞれの部署の主要なポストに今は、
いる。 出世したなーと焦りも覚える。

私のように、途中で退職して、家業を    
継いだり、独立した人間にとっては、
まったくの異業種となってしまった。

テレビドラマの「半沢直樹」のドラマ
の舞台にもなった銀行。
ドラマの元の小説の作家も同じ
銀行出身で同じ支店で働いて
いたという同期も中にいた
のには、びっくりした。

平成四年入行
私の銀行員出発一店舗目の
支店は、神田橋にあった。
地理的に毎年初詣は、神田明神
に支店全員で参拝に行った。

神田明神は、高台にあり、
遠くには、浅草方面までずーーと
見渡せたのだと思う。
現在では、遠くにスカイツリーが
望める。

神田明神さんは、江戸に鎮座して
1300年近くの歴史。江戸時代には、
「江戸総鎮守」として将軍様から
江戸庶民にいたるまで
江戸のすべてを守護されました。

そして今もなお、東京、神田、日本橋、
秋葉原、大手町・丸の内など
108の町々の総氏神様として、
この東京都心をお守っている神社です。

ご祭神は、三柱祀られ、
一柱 大己貴命(おおなむちのみこと)
別名は、大国主命(おおくにぬしのみこと)
商売繁盛の大黒さん
二柱 少彦名命(すくなひこなのみこと)
えべっさんとも言われ、商売繁盛と
薬の神
三柱 平将門命(たいらのまさかどのみこと)
戦いの神様、関東地域の民を守った神様

私のサラリーマン時代の象徴的な神社
と自分で考えていました。

平成十一年
銀行を辞めて五年後、結婚をして、
再び東京秋葉原に来ての仕事を
始めた際も、新居が秋葉原で、
蔵前橋通り沿いのビルに住んでいた。
時に、朝のランニングに、
神田明神の裏参道を走って登った。

平成二十四年
初めて銀行時代に社会人一年生と
して参拝した神田明神において

大阪國學院二年生の指定神社
修務実習の神社において
神田明神にお世話になりました。

就職して東京に来て二十年以上
神田明神のお導きで様々の
ご縁を頂き、東京での仕事、生活
をしている私です。              
ご縁を頂き感謝を致します。                      
       

2013年10月25日金曜日

素敵な『石』に出会いました! 

先日、大阪へ帰省した際にすごい綺麗な石に出会いました! 母の仏壇の前で、
普通に妹と夜中まで、色んな話をしている時に、妹がたまたま買っていて それまでは、
文鎮替わりに使っている石。

私には、輝いていて光って
見えた石。        
名前もちゃんとあって、
『ラブラドライト』
です。

半年前に銀座にて、
家内が、「私もパワーストーン
として石が欲しい。」と、
家内に誘われて行った
石屋。

「相性が良い」と彼女が
購入したのは、石は、石でも
宝石で! 予算の約30倍!
ワァオーーー

しかし、今回のこの私の石は、
予算通りの3000円!
ちなみに、妹が購入した
のは、二千円。 あ~
素晴らしい石に出会えた。

この石は、宇宙を感じる。

現在、浄化の水晶の上に
置いて、神棚に飾っています。

確かにこの石を触っていると、         
癒されて、元気になります。

不思議に思い、
この「ラブラドライト」と言う
石を調べてみました。

月、太陽を象徴するといわれるラブラドライトは、
根気強い実行力を養い、信念を貫けるよう
導く力があるとされます。そして、特に「虹色」の
光を持つものは、「霊性を高める石」として尊ばれ
予知能力や霊的な能力を敏感にし、オーラバランス
を整えると言われています。

まさに、出逢ってしまった!!
嬉しい出会いに感謝。

古事記の中にも、「三種の神器」として
・八咫鏡
・八尺瓊勾玉
・草薙剣
があるように、刀と鏡と勾玉、つまり石に      
古代の日本人は、「神」、「神聖」な物を
感じていたのでと思う。
「神聖」「霊性」を感じる石を選び、
装身具、飾りとして、身につけて、
肌につけて、パワーをもらったのかな?
と感じます。

写真は、紫色バックのものが、
5世紀の古墳時代の物で
福岡県 宗像大社にある
滑石製子持勾玉

縦に二つ並んでいるものは、
やはり5世紀古墳時代の物
奈良県 大神神社にある
子持勾玉

沢山の勾玉がある
写真は、8世紀ごろのもの
だんだんと形が滑らかに
なってきている。
加工技術が良くなっている
のか、肌につけての
装飾品の感じが出てきている。

今まで、石は、石としてしか感じなかった
私には、不思議な、不思議な                  
出会いでした。

霊性な、神聖なこの石。ラブラドライトを
大切にしていこうと思います。



 





2013年10月24日木曜日

結婚式の日程を決める時に気にする『六曜』とあまり有名でない『二十八宿』

今年の10月は結婚式が多い、特に13日の日曜日と19日の土曜日。
13日も19日も「大安」だ!
13日は、三連休の真ん中の大安。       
19日は、休みの日の前の土曜日の大安。
本当に忙しい日だった。

よくよく新郎新婦にお聞きすると、
どうせ結婚式をするなら、「大安」
でしょう。と言う。 言うほど強い
意味はないように思う。 

六曜について、調べてみよう。

六曜(ろくよう・りくよう)は、先勝
友引先負仏滅大安赤口
六種をいう。

六曜は先勝→友引→先負→仏滅
→大安→赤口の順で繰り返すが、
旧暦の毎月1日の六曜は以下の
ように固定されている。
1月・7月先勝                      
2月・8月友引
3月・9月先負
4月・10月仏滅
5月・11月大安
6月・12月赤口
よって、旧暦では月日により六曜が決まる
ことになる。定義としては、旧暦の月の数字
と旧暦の日の数字の和が6の倍数であれば
大安となる。

しかし、新暦のカレンダーの上では、        
規則正しく循環していたものがある
日突然途切れたり、同じ日の六曜が
年によって、月によって異なってい
たりする。このことが
神秘的な感じを与えるらしい。

計算のあまりによって「六曜」を
求めることができる。なお「月」「日」
には旧暦をあてる。
(月+日)÷6=?…あまり
あまり0
大安
1
赤口
2
先勝
3
友引
4
先負
5
仏滅
例)
 ・旧正月(1月1日(旧暦)):1+1=2, 2÷6=0あまり2→先勝
 ・旧雛祭り(3月3日 (旧暦)):3+3=6, 6÷6=1あまり0→大安
 ・旧端午(5月5日 (旧暦)):5+5=10, 10÷6=1あまり4→先負
 ・旧七夕(7月7日 (旧暦)):7+7=14, 14÷6=2あまり2→先勝
 ・月見(8月15日 (旧暦)):8+15=23, 23÷6=3あまり5→仏滅
 ・月見(9月13日 (旧暦)):9+13=22, 22÷6=3あまり4→先負
 ・旧七五三(11月15日 (旧暦)):11+15=26, 26÷6=4あまり2→先勝


真剣に家を建てるなら、「二十八宿」で日取りを
決めた方が良いとよく言います。
「二十八宿」ってなんだ

古くから中国で研究された「天文学」である。        
中国星座の黄道12星座に相当
するのが,「二十八宿」と呼ばれ
る28の星座です。
 二十八宿は,月が27.5日かけて
天球を1周するとき,一晩ごとに
1つの「星座=星宿(せいしゅく)」
を移動するように
割り振られたものです。
二十八宿の起点は秋分点に近い
「角宿(かくしゅく),おとめ座中央部」
にあります

この二十八宿は,太陽・月・惑星の
位置と動きを表現することに用いられ,
当時の天文学上も,非常に重要な
ものであったようです。
 それぞれの星宿の中で,西端に
位置する比較的明るい星を「距星(きょせい)」
といいます。 そして東隣の距星との間の
領域を,その距星の名前を付けた「宿」と
呼んでいるわけです。

二十八宿一覧
日本で使われている二十八宿の一覧を示す。28の星宿は、4方位の7つずつのグループに分けられ、それぞれの方位に青龍・玄武・白虎・朱雀という各方位の獣神の姿を当てはめている。

 和名・訓読距星吉凶
東方青龍すぼしおとめ座アルファ星着始め・柱立て・普請造作・結婚に吉。葬式に凶
網星(あみぼし)おとめ座カッパ星衣類仕立て・物品購入・種まきに吉。造作に凶
ともぼしてんびん座アルファ星結婚・開店・結納・酒造りに吉。着始めに凶
添星(そいぼし)さそり座パイ星髪切り・結婚・旅行・移転・開店・祭祀に吉
中子星(なかごぼし)さそり座シグマ星祭祀・移転・旅行・新規事に吉。造作・結婚に凶。盗難注意
足垂れ星(あしたれぼし)さそり座ミュー星結婚・開店・移転・造作・新規事に吉。着始め・仕立てに凶
箕星(みぼし)いて座ガンマ星動土・池掘り・仕入れ・集金・改築に吉。結婚・葬式に凶
北方玄武ひきつぼしいて座ファイ星土掘り・開店・造作に吉
稲見星(いなみぼし)やぎ座ベータ星移転・旅行・金談など全てに吉
うるきぼしみずがめ座イプシロン星稽古始め・お披露目に吉。訴訟・結婚・葬式に凶
とみてぼしみずがめ座ベータ星着始め・学問始めに吉。相談・造作・積極的な行動に凶
うみやめぼしみずがめ座アルファ星壁塗り・船普請・酒作りに吉。衣類仕立て・高所作業に凶
はついぼしペガスス座アルファ星祈願始め・結婚・祝い事・祭祀・井戸掘りに吉
なまめぼしペガスス座ガンマ星開店・旅行・結婚・衣類仕立て・新規事開始に吉
西方白虎斗掻き星(とかきぼし)アンドロメダ座ゼータ星開店・文芸開始・樹木植替えに吉
たたらぼしおひつじ座ベータ星動土・造作・縁談・契約・造園・衣類仕立てに吉
えきえぼしおひつじ座35番星開店・移転・求職に吉
すばるぼし(六連星:異称)おうし座17番星神仏詣で・祝い事・開店に吉
あめふりぼしおうし座イプシロン星祭祀・取引開始・普請開始・土地開拓・縁談に吉
とろきぼしオリオン座ラムダ星稽古始め・運搬始めに吉。造作・衣類着めに凶
唐鋤星(からすきぼし)オリオン座ゼータ星仕入れ・納入・取引開始・祝い事・縁談に吉
南方朱雀ちちりぼしふたご座ミュー星神仏詣で・種まき・動土・普請に吉。衣類仕立てに凶
たまをのぼしかに座シータ星婚礼のみ凶。他の事には全て吉
ぬりこぼしうみへび座デルタ星物事を断るのに吉。結婚・開店・葬式に凶
ほとおりぼしうみへび座アルファ星乗馬始め・便所改造に吉。祝い事・種まきに凶
ちりこぼしうみへび座ウプシロン星就職・見合い・神仏祈願・祝い事に吉
襷星(たすきぼし)コップ座アルファ星耕作始め・植え替え・種まきに吉。高所作業・結婚に凶
みつかけぼしからす座ガンマ星地鎮祭・落成式・祭祀・祝い事に吉。衣類仕立てに凶

これら、六曜と二十八宿、どちらが、占い的なのか? どちらが運気を広げるのか?
「結婚式」と言う大事な日には、これらを使い日程を選ぶのも
大事なのかもしれない。

2013年10月23日水曜日

日本刀と神道, 「三種の神器」の物語

先日の千葉中條塾の勉強会の中で、刀匠 松田次泰さんにお会いした。
刀匠と言うとすごく、縁の遠い方かと思っていたが、それは単なる自分の無知なだけでした。

人間母から生まれてきた際に、へその     
緒を切る、また死んで棺桶に入る際に
また、結婚式の白無垢を着て嫁ぐ際の
決意を固め守り刀として懐剣を小物に
入っている。
昔は、このような人生の節目には、
日本刀名刀匠の小刀を使ったと
聞きました。

日本人の刀への思い強さを
学んだ時間でした。

刀匠の仕事は、
仏師が、仏像を            
つくる時と同じく、
刀に魂を入れる。
神様をつくって
いるんだ
と言う言葉に、引き込まれました。

神主と同じ装束を着て、冠を付けて、       
工房の周りは、注連縄を張り巡らせ
一心に鉄を打ち、魂を入れる。

何本造ってても、何年掛かっても
納得いかないとつくり直しだ。

刀は、『三種の神器』
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
にも出てくるように
昔から日本人は大切に
したのだ。                        
 
古事記の神話において、天の岩戸に
お隠れになった天照大神。
太陽の神が姿を隠したので、天上も
地上もすべて闇にとざされ、あらゆる
災いが起こった。
八百万の神々は、祭を始める。
八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉
(やさかにのまがたま)を造り、榊を
つけて、それを忌部氏の祖先神
布刀玉命が捧げ持つ、中臣氏の祖先
神天児屋命が祝詞を奏した。
天宇受売命は神がかりして踊った。
天手力男神が天照大神の手を取って
外へ引き出す。
須佐之男命は高天原を追放される
出雲の地に降り、櫛名田比売を助けて
結婚する、 退治した大蛇の尾から
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が
出てくる。のちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)

以上の三つ
・八咫鏡
・八尺瓊勾玉
・草薙剣
これは、皇室にうけつがれて皇位のしるしとなる、
 
三つ目の写真の刀は、奈良 石上神宮の宝庫に伝来した神宝で
「七支刀(しちしとう)」
と言う。
刀には、神が宿る。 形代である。

 

2013年10月22日火曜日

「節目」の大切さを伝える言葉、『竹に上下節有り』

日本人が大切にする人生儀礼は、沢山あります。      
結婚式から始まり、ご懐妊された場合の                          
安産祈願、そして赤ちゃんを授かった際お宮参り(初宮参り)
家庭においては、生後100日目には、お食い初め
健康ですくすく育ったお祝いの
七五三参り
地方によっては、十三参り
そして大人の仲間入り成人式

また、それぞれの学年では、
入学式、卒業式、クラス別の写真、遠足のイベント、運動会、学芸会、誕生日会
も節目の一つかもしれません

また、一年間においても、
四季の変化にも
正月、節分、桃の節句、
桜の花見、端午の節句、
梅雨、夏休み、例大祭
稲刈り、お月見、新嘗祭、
大祓い

と毎年行う年中行事か
もしれませんがそれが、
節目となり、それぞれの
個人が齢を重ねるごとに
内容は変わるはず。

私の人生の恩師である
中條高徳先生
結婚式を商いとし
神主を夢見ている
お前には、とお教え
頂いた言葉に、

*「竹に上下の節あり」・・・禅の有名な教えとのこと。竹は上下に節があってこそ竹たり得ているし、冬に雪が積もっても折れそうで折れないのは節があるからと、人生の節の大切さを
説いた訓である。

同時に、節を大切にせよという訓は、「歴史に学び、先人に学べ」 と意味します。


「節 ・ 節目」 は、『礼』が作ります。

  「おかげさまで、ありがとうございます。」
  「感謝します。」

と言う「礼」、お礼の気持ち、感謝の気持ちが、一つの節を作ります。
「礼で始まり、礼で終わる」
言葉にすると、簡単に聞こえるかもしれないこの「礼」が、とても大事にし
節目を作り、強い、絆を作ります。

家族において、両親や子供、祖父母へ、どれほどの感謝を
伝えることができているか感謝を伝え、礼を大切にして
良き節目を作りましょう。

2013年10月21日月曜日

良縁祈願参拝と第一回祝詞勉強会(全四回シリーズ)のご報告とさらなる進化

昨日は、芝大門にある徳川家菩提寺増上寺横の芝東照宮にて第六回良縁祈願参拝、
そして「特別企画」全四回シリーズの惰一回祝詞勉強会を開催致しました。
あのどしゃぶりの中を、水たまりにはまりながら、土砂を踏みながら、
多数お客様がお越し頂けました
残念ながら、あの天候でお休み     
に なった方もおられましたが、
総数二十四名のお客様に
お越し頂けました。

お越し頂けましたお客様にまずは、
心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

この良縁祈願参拝において

私の担当は、祝詞勉強会と言うことで、一週間程前には、レジメが出来ておりましたが、
家内に見せても、芝東照宮の宮司に見せても、「かたい!」もっと柔らかく、柔らかく!とご意見を頂き、追加で考えました、

『川辺流 良縁ステップアップ三段階』 

と言うものを加えて、勉強会を進めてまいりました。

※良縁=結婚だけでなく、仕事、        

 上司、恋愛、友人との良き縁
 を意味しています。

「良縁」良き縁を頂く、そうすると
「運気が上がる!」
「運気が上がる!」と良きご縁に会える。
これは、同じようにくるくると縁を頂いて、
円を作り、回っているように感じます。

また、「縁」は、結ぶとも言います。
この「結ぶ」ためには、結ぶ意思が
自分自身にも必要となります。

ですので、良縁三ステップ!!
第一ステップ 自分の運気をあげる!     
⇒ ツミ・ケガレを祓う。
⇒ 祓詞、六根清浄大祓、大祓詞
第二ステップ 神様を味方につける
⇒ 天津神・国津神を味方につける
⇒ 伊勢内宮神前祝詞、稲荷大神秘文
第三ステップ 天津神・国津神を結ぶ
⇒ 自分で、自らがムスビ、頂く
⇒ 龍神祝詞

第一回の昨日は、この第一ステップ
『運気を上げる』『ツミ・ケガレを祓う』
つまり、祓詞と六根清浄大祓を勉強
して、
〇 「神と向き合う自分を作り上げる」
〇 「まよいをなくす」
〇 「ゆれうごく心をなくす」
〇 「ぶれない心を作り出す」

神と向き合う自分自身、ぶれない心を持つ自分自身が、運気を上げる第一段階となります。

そのほか、「振り魂」で身体に眠る四魂を奮い立たせ、「伊吹」で素晴らしい
エネルギーの良い気を頂き、毎日元気にスタートします!

ほんとうに、ほんとうにどしょぶりの中、ご参加を頂きまして心より厚く御礼申し上げますとともに
第二回、三回ともっともっと進化して皆様と「良縁」をつかめる勉強会を作り上げていきます。
宜しくお願いいたします。ありがとうございました。


2013年10月20日日曜日

近畿圏にある式内社二十二社と全国にある「一宮神社」というのは、どう成立したのか?

神社、パワースポット巡りが人気。 神社の氏子の中には、『一の宮参拝の会』
などがあり、全国の一の宮を参拝し、ご朱印を頂くことが、流行だと雑誌で
読みました。また、ご朱印の入物る袋も色々とオリジナルが出てきています。

近畿圏でパワースポット神社と
言えば、式内社二十二社。
また全国では、「一の宮」。
これら式内社と一宮の歴史
が、気になります。

平安時代初期、風雨の順調を祈る
祈雨・止雨や、年穀の豊穣を祈る
祈年穀、天変地異への祈攘などを
理由に名神へ臨時奉幣を行った。

醍醐天皇の延喜二年(九〇一年)
伊勢(内宮、外宮)、石清水、賀茂
(下上)、松尾、平野、稲荷(伏見
稲荷大社)、春日(春日大社)
大原野、大神神社、石上神宮
大和神社、広瀬神社、龍田大社
住吉、丹生、貴船神社の十六社。
これらを十六社奉幣という。             

その後、吉田神社、北野天満宮
広田神社、梅宮社、八坂神社、

第七十二代白河天皇の永保元年
(一〇八一年)、日吉社を加え
二十二社奉幣の制度が確立した


全国の一宮の歴史は、律令制度と
ともに広がった。
地方の長官である国司は中央から
任国に赴任すると、まず国内に
鎮座する諸神社を参拝した。
これは新任の最初の重要な行事
であった。
これを『国司神拝』という。

それぞれの国では、国司が崇拝
する神社を管理するための台帳
を作成した。
これが国内神名帳で、
『延喜式神名帳』の体裁に準拠
して作成された。

国司は、国内神社管理として、
最上位の神社を一宮、二宮
三宮と序列化した。
これを「一宮制」と呼ぶ。、

十一世紀末から十二世紀中
に成立した。

日本には当日七十余国の国
に分かれていた。
平安時代より、この中央律令          
制度が、出来上がっていく。
全国と言うのは、この歴史が
あってそのように呼ぶ。

一宮は、それぞれの
国の国司が大事に
した神社。
是非とも、全国の一宮
六十八社を参拝したい!

2013年10月19日土曜日

「東照公遺訓」は、人生においてとても大切な言葉と教訓。心にずどん!とひびいたー

東京は、芝大門の徳川家の菩提寺増上寺のすぐ横に、芝東照宮があります。
緑豊かな、東京の軽井沢とも宮司は、おっしゃっていますが、敷地面積二千坪。
芝東照宮の境内には、三代将軍家光(父は二代将軍秀忠、母はお江)が植えたと
される樹齢350年の銀杏の木が
大きい巨木として生えている。



明日の十月二十日に芝東照宮において、
良縁祈願参拝&祝詞
勉強会を行う手前、
打ち合わせ等でよく、
出向いている。

そこで、頂いたこの
「東照公遺訓」
感動しました!

何度も何度も読みました、人生ってこうだ!と思いました。


人の人生は重荷を負いて、遠き道をゆくが如し。
 いそぐべかず。
 不自由が常とおもえば不足なし。
 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基(もとい)。いかりは敵とおもえ。
 勝つ事ばかり知りて負くるをしらざれば害、
 その身にいたる。
 おのれを責めて人をせむるな。
 及ばざるは過ぎたるよりまされり。

<東照宮の歴史>                    
元和二年(1616年)4月に徳川家康が
逝去すると、梵舜によって、吉田神道の
祭式で、葬儀を任され家康を久能山
(久能山東照宮)に埋葬した。

家康一周忌において、天台僧の天海が、
山王一実神道の祭式で日光山(日光東照宮)
に改葬した。朝廷は、家康に東照大権現
の神号を宣下し、神仏両面から祀られた
のである。

家康は、国の安泰と日本文化の発展に
とても貢献した江戸時代を作った人。

この遺訓は、本当に中小企業の経営者の
心にずどんと! 響きました~





2013年10月18日金曜日

長男と次男が、自主的に参加するかがり火奉仕。 靖国神社秋季例大祭。

毎年春と秋にある靖国神社の例大祭において、
長男、次男のボーイスカウト千代田第一団は、
それぞれ四日間夕刻十八時頃から二十一時頃
までかがり火奉仕の任務がある。
昨日は、秋季例大祭スタートの日である。

不思議なくらいに、このかがり火奉仕は     
二人とも何も不満を言うことなく、
素直に参加する。

神社の例大祭って年に一回かと思って
いた私よりも彼らは、ちゃんと理解して
いる。ちょうど、春分、秋分の日から
一か月後に行われているこれら
例大祭がちょうどお彼岸にあたる
ともいえる、英霊の方達が、
帰ってこられる。それをかがり火を
お焚きしてお迎えするのだ

十八時頃より火を入れ始める
この時期は、十七時を過ぎると辺り
は急に暗くなる。 
                      
十九時頃でも、背の高い木々に
囲まれる靖国神社の中は、真っ暗
静寂、暗闇の中のかがり火。

神々を感じるのだろう。

長男も次男も小学校の高学年から
これに年二回参加しているのだ
今更、親ながら、大したものだと
頭が下がる。

靖国神社には、大叔父の川辺喜一さん
が、いらっしゃる、必ず感謝を述べてくる
ように、いつも俺たちを見守ってくれて
いるから。

親が、言わなくても 二人は、感じているのだ
あの暗闇に三時間も立っているのだから。
                             

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

2013年10月17日木曜日

神職が、祭式の中で、階段を一歩づつ登ることに意味があるのですか?

毎月一日や十五日に神社に参拝にスタッフを連れて行きます。祈祷をしていただく中で、
スタッフからどうして、階段を一歩一歩登のですか?
何か意味があるのですか?と質問を受けました。


神前においては、場所、位置に上下がある

祭場における最高の位置が神座である
ことは言うまでもない。
従って祭場における位置の上下は
神座からの距離の遠近を基本原則
とする。次に、正中が上位。
正中というのは、神座の正面、正道
をいう。祭場において「左」「右」は
すべて神座を基準として『左』と
いうのは、神座からみて「左」
『右』も同様である。

祭場の位次として 正中が上位、左を次、
右をその次とする。

階段の昇降は、階を昇降するには、
正中を避け、下位の方の足より始め、
一階毎に足をすすめる。

だから、階段の左側は、左足が
外側となり、下位なので、左足
登り、右足揃え、左足上り、右足
となり、階段右は、右足が下位
となるから右足からスタートする。

この上位下位の足のすすめ方
は、すべて共通である。
神職が式次第にそって移動する際
すごくわかりやすい、

進む際は、下位から、これを覚える
方法は、
進下、退上、起下、坐上
しんげ、たいじょう、きげ、ざじょう
進むときは、下位の足から進める
後退する時は、上位の足から
起きる上がるときは、下位の足から
立ち上がり、坐る際は、上位の膝
から床に着く。

正中は、これを
進左、退右、起右、坐左
しんさ たいゆう、きゆう ざさ
と読む。

神社での参拝をしたときに、何か、気持ちの良い
作法は、心が残ります。

神社の境内が綺麗に掃除されていると
すっきりと気持ちが良いように、作法の綺麗な
姿を見せて頂くと、すっきりとした
空気感があり、気持ちが良いです。
さあ、今週末は神社に参拝に行こう!

2013年10月16日水曜日

神職として大事は、「恕」の心。また夫婦の中でももっとも大事なのが『忠恕』なのだと思います。

私の大好きな孔子の「論語」の言葉に、『恕』が、あります。
平成二十年(2008年)のリーマンショックから、早五年と一か月が経ちました。 
景気は、何とか上向きになってきたと新聞では言います、
百貨店の売上が伸びてきたいとニュースが、言います。
ただ、まだまだ実感にわかない今日この頃。
日本の歴史を紐解く機会を頂き、          
昭和四年(1929年)の世界恐慌後
の日本を勉強しました。
世界恐慌後の不景気の中、日本も
同じく不景気でした。
経済が荒れる中、軍部ファシズムと
対抗して、昭和六年(1931年)76歳で
総理大臣になったのが、犬養毅。
天下の蔵相高橋是清と共に、
日本国をどうにか世界の不況の
渦から抜け出そうとした。

翌年の昭和七年五月十五日
5・15事件で海軍青年将校に襲撃          
を受け死去する。

その犬養首相が、総理大臣就任に
する前、昭和六年、孫に贈った書が、
『恕』である。

孔子の『論語』里仁第四ー「仁」ということ
の十五に「恕」が出てくる。

子曰く、参や、吾が道、一以て之を貫く。
曾子曰く、唯と。
子出づ。
門人問いて曰く、何の謂ぞや。
曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ

先生(孔子)が、曾子に呼びかけておっしゃった。
「参(曾子)よ、私の生き方は一つのもの
で貫かれているのだが」と。
曾子は、ただ「はい」と答えた。
先生は部屋を出て行かれた。門人達が、「何を言いたかったのですか?」と尋ねた。
曾子が言った。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶまごころからの
思いやり、それに尽きる」と。

『忠恕』の字の作りは、「中と心」と「如と心」です。
「中心」とはまごころのこと、「如心」とは、自分の心の如く人の心をおしはかると言う意味です。
つまり、「人を尊び、まごころから思いやる」ことです。
「論語」で触れる「仁」にも通じます。

神主にとっても、この「忠恕」のこころが、最後、とても大事と考えます。
結婚式のお手伝いにしても、
結婚式をする、新郎新婦においても、新郎新婦が、まねくゲストに対しても
また、新郎新婦が作り上げる、
夫婦の中で、もっとも大切なのが、『恕』なのでは、
ないでしょうか?


2013年10月15日火曜日

神社名の上にある、社格。 品川神社の元准勅祭社。 そして貴重な写真!靖国 神 社は、別格官幣社。

東京十社の品川神社には、『元准勅祭社 品川神社』と言う石碑が、立っている。
同じく王子神社にも『元准勅祭社』が付いている。
これは、何を意味しているんだろうか?  
  

古い私の大叔父の写真、おそらく戦前の
昭和十五~十六年頃の写真。
貴重な靖国神社での写真。
ここには、『別格官幣社』
書いている。

戦後、現在この社格は削られた。
(今は、ついていない)
だからこの写真は貴重!!

勅祭社と言うのは、天皇の勅使が
参向して祭祀が執行される神社
のことで、勅祭社の古くは二十二社
あり近代になってから、明治元年
(1868年)10月17日、明治天皇は
氷川神社を勅祭社に定め、
それに続いて11月8日、皇居を中心
に主だった神社を准勅祭社と定め
東京の鎮護と万民の安泰を祈る              
神社を東京十二社とした。

当初は12社(日枝神社・根津神社・
芝神明宮・神田神社・白山神社・
亀戸神社・品川貴船社・富岡八幡神社・
王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・
鷲宮神社) であった。
明治三年(1870年)9月1日には廃止され
准勅祭社の制度は一時的なもので
終わった。その後、該当神社は
府社あるいは郷社となる。

地図は、皇居を中心として、東京十社の
位置をしめしています。
十社が皇居を囲うように位置します。
東京十社で、東京全体の安泰と
皇居、皇室の繁栄を祈願しての
神社なんですね。

一方、官幣社は、近代社格制度
あり明治政府によって定められた
神社の格に関する制度。

明治四年(1871年)5月14日jには、
近代社格制度の基盤となった
太政官布告「官社以下定額・
神官職制規則」を公布。           

神社の格を大きく官社と諸社に
分類し、官社として九十七社列格
した。

今回のテーマからは、すこし異なるが
この大叔父の靖国神社での写真が
最後となる、
このまま、日本は、大東亜戦争に
突入する。

大叔父は、昭和十八年にビルマにて
インパール作戦にて
戦死されておられます。
                    
二十四歳で亡くなられています。         
今は、靖国神社にて御魂は、お祀り
されています。

色んなことを教えてくれる
この写真は、貴重で、私の宝物です。

日本の将来や日本の国の事を
考え、また私たち子孫のことを
考えて、国を守り戦死された
大叔父の志を大事に、自分の
子や孫に伝えていきたいです。