2014年1月31日金曜日

『因果の道理』


蓮の花の写真を見て、高校時代
の仏教の授業で習った、
『因果の道理』
を思い出した。

「因」とは原因のこと
「果」とは結果のこと
「道理」とは、いつでもどこでも
成り立つ普遍的な法則のこと。
原因なしに起きる結果は絶対に
なく、原因があれば必ず結果が
生じる。どんな小さな結果にも、
必ず、それ相当の原因がある。

「道理」は、「三世十方を貫くもの」をいう。「三世十方」とは、過去世・現在世
・未来世の三世と、東・西・南・北・上・下・四維(南東、南西、北東、北西)の
十方のことで、「いつでも」「どこでも」=宇宙である。

「因果の道理」は、三世十方変わらぬものは、原因なしに起きる結果は絶対
にない、結果には、必ず原因があるということ。これを別の言い方で表現
すると、「因・縁・果の道理」という。それは、すべての「果」は、
「因」だけで起きるのではなく、「因」と和合する「縁」が必要だと説かれている。

例をだすと、「米」という「果」は、モミダネという「因」だけではできない。
モミダネという「因」と、土壌や水分、日光や空気などの「縁」が和合して
生まれる。コンクリートや氷の上に、モミダネを蒔いても米はできない。
「米」となる「縁」がないからだ。
このように、すべての「果」は、「因」と「縁」が和合
て生じると教えられるのが、「因縁果の道理」である。

北宋の儒者に蘇老泉(そろうせん)がいる、その「管仲論(かんちゅうろん)」に
ある言葉、

「功の成るは成るの日に成るに非ず。けだし必ず
由(よ)って起こる所あり。 禍のおこるはおこる日
におこらず。また必ず由って兆す所あり。」

何事も一朝一夕でならない。平素の努力の集積に
よって成功する。また、禍が起こるのも
その日になって急に起こるのではなく、
前から必ずその萌芽があるのだ、ということ。

人生は、ゴールがなかなか見えない、長い長いマラソンである。
昨日が、今日、今日が、明日に繋がるのである。
毎日、毎日をプラスエネルギー積み重ねていこう
漆を丹念に丹念に塗るように、塗り重ねていこう
さあ、今日もがんばろう。

日々の努力を惜しまず、努力は裏切らない。

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