2014年1月28日火曜日

日本の結婚式衣装を変遷を写真で見る

日本の結婚式衣装を近代の変遷で、
写真で見てみようと、社内研修で、
弊社のカメラマンの講師先生が、
集めてくれた写真を見てみたい。

最初の写真は、江戸時代末期の
いわゆる、家で行った、『祝言』の
写真。
当時は、嫁を迎い入れる家での
結婚式。床の間に、氏神様や天照
大御神や出雲大社の掛け軸を
掛けて、両家親戚縁者を呼んでの
人前式+披露宴のような形の
結婚式。新郎は、紋付袴、新婦は
着物(白無垢や色打掛)に綿帽子        
姿に、家族の結婚式で温かい。

明治時代において、江戸時代の家での結婚式
が残っていた時代に、明治33年5月10日
皇太子であった大正天皇と九条節子姫が皇居内
の賢所(天照大御神を祀る御殿で、一般では神社にあたる場所)
でとりおこなわれたご婚儀に由来しています
翌年にはこの皇室の婚儀を参考に現在の東京
大神宮が創設され、徐々に全国各地に普及して
いき、「挙式」と言う概念が日本人
に芽生える。
写真は、黒紋付きに、新婦は、黒の本引振袖、
そして文金高島田と角隠し。
やはり家の床の間に、神さまをお迎えしての
家での結婚式。
       
そして大正時代の写真を探して
みると、やはり、新郎は紋付袴に
新婦は、黒本引振袖に、徐々に
「祝言」と言う形から、「結婚式」
と言う祝い、セレモニーの形に
変化していっているのが、わかる。
呼ばれているゲストの衣装も
全て紋付羽織で日本の格調高
い結婚式の集合写真である。

昭和時代に移ると、今度は、
戦争の影響で、戦前、と戦後
の衣装は、変化してくる。新郎の
正装に、軍服が使われるように
なってくる。つまり、紋付袴の姿から
洋服へ変化する。
洋服に関しての正装のルールは、やはり
軍服から来ている。軍服のこのような長い
コート(フロックコート)が、新郎正装の原型
であり、移動手段に馬を使っていたことから、
衣装の前のところが、モーニングカットや
燕尾服のように、カットされて、足を出しやすく
上げやすくなっている。

この写真は、昭和16年に撮影されたものと
記録が残っている。新婦は、やはり黒の
本引振袖の姿に文金高島田と角隠し。

戦後は、都市部では核家族化や住宅事情に
より、自宅で祝言を挙げることが難しく、公共の
施設や広い会場をかりて披露宴を挙げるように  
なる。会場は、公民館や集会所、旅館、だった。

昭和39年の東京オリンピック、45年の大阪
万国博開催において、大型ホテルが、乱立
する。これらの施設をバンケット会場、披露宴
会場に利用するようになる。
「自宅の祝言」から公共施設での披露宴
それが、ホテルでの結婚式へと価値観が
変化していく。 衣装も、新郎は、モーニング
コート、新婦は、白無垢に角隠しの形へ

高度経済発展へ成長していく、日本経済と
ともに、結婚式もホテルにおいての豪華
結婚式へ変化していく。

ここより先は、つい最近の五十年。
十年~二十年で結婚式スタイルが変化していく
昭和40年代~昭和60年代
神前式、ホテルウエディング(ホテル内の神前式)徐々にキリスト教の教会
(ホテル内の教会)での結婚式の全盛期
平成元年代
バブルの絶頂から崩壊へ
ホテルから、徐々にレストランウエディング、本物の教会+レストランへ
平成10年代~平成20年代
レストランウエディングと地味婚へ、しだいに神前式が増えてくる

形(ハード)は、どんどんと変化、進化していくが、結婚式の衣装もそれに
あわせ、挙式スタイルに合わせて変化していく、披露宴スタイルにおいて
も、披露宴演出も変化することが、以上の写真の変化でよくわかる。

色々な結婚式の形を この15年間みてきたが、もっとも大切なのは、心である。
結婚式が、新郎新婦がそれぞれの大切な親や兄弟姉妹すべての方に感謝を伝え
祝福を頂く(承認をしてもらう)ことが、もっとも大切な節目作りとなる。





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