2014年1月24日金曜日

太刀と剣の御進徳

先日、太刀と剣のお話しをお聞きし、
興味を持ったのですが、
刀(かたな)、日本刀の事は、もの
すごく奥が深くまとまりません。
太刀は、佩く(はく)、
剣を刺す
この言葉でさえ、はじめて
お聞きした話で、なるほど、
と感心を致しました。

昨年、上野で国立博物館にて
おこなわれていた、
『国宝 大神社展』
に出品されていた、沢山の
刀をもっと詳しく見ておけば、とも思いました。日本の国宝とよばれる
物の、約10%は、日本刀とのこと。刀剣類は、日本では
古墳時代以前から製作されていたが、一般に日本刀と呼ばれるものは、
平安時代末期に出現してそれ以降主流となった反りがあり片刃の刀剣
のことを指す。
寸法により刀(太刀・打刀)、脇差(脇指)、短刀に分類される。広義には、
長巻、薙刀、剣、槍なども含まれる。

神道における、三種の神器である、
八咫鏡八尺瓊勾玉天叢雲剣(草薙剣)
のように、剣が、宝、太刀が、ご祭神、であることに、
その刀が持つ、御神徳を考える。
人の心を切る、邪念を切る、刀。 刀は、至誠なのである。
美術、精神、機能の三つを持つ。


先日の新聞に掲載されていた太刀の写真をスキャナーしました。
 
 
三鱗紋兵庫鎖太刀(北条太刀)(みつうろこもんひょうごぐさりのたち)
東京国立博物館 重要文化財 鎌倉時代 十三世紀の作  
静岡・三嶋大社旧蔵 
北条氏が奉納したと伝えられる ことから「北条太刀」と呼ぶ

三嶋大社旧蔵で、北条氏が奉納したと伝えることより「北条太刀」と呼ばれる。
全体に銀を多用した外装で、鞘も銀板を敷き、北条家の家紋である三鱗文を
毛彫鍍金であらわしている。上杉太刀と比べると、豪華な素材を使用している
が、連続した三鱗文を等間隔にあらわすなど質実な印象を与える。
刀身は無銘であるが、地刃の特徴から上杉太刀と同様に一文字派の製作と
考えられている。奉納品として製作されたと思われる太刀は、魳(かます)
切先となり、茎に反りがあり、細く薄くつくられるものが多いことが指摘されて
いるが、これは本作や上杉太刀も同様である。したがって、両作は当初から
奉納品として製作されたと思われる。
また、その製作年代は猪目を透かした瓶子形の足金物より、鎌倉時代中期を
下限とするものと思われる。
 
 
 毛抜形太刀(けぬきがたのたち)
伝菅公遺品 (福岡、大宰府天満宮蔵、重要文化財)
平安時代の作 天神・菅原道真の遺品として同宮に伝来 した。
平安・鎌倉時代に帰する例は極めて少なく 九州に伝来する稀有なひと振り
 
 大宰府天満宮は、菅原道真の墓所の上に社殿を造営し、その御霊を祀る神社であり、
菅公を祭神とする全国約一万二千社の総本宮である。本品は、学問・至誠の神である
菅原道真の御形見として太宰府天満宮に伝来した毛抜形太刀である。この太刀の名は、
柄の中央部に毛抜きの形を透かすことに由来する。衛府官人の兵仗ゆえに衛府太刀
とも呼ばれ、また貴人が外出する際にも携行されたことから、故実書には「野剣(のだち)」
とも記される。十世紀に登場したこの太刀は、鎬(しのぎ)を立たせて反りを有する点から
日本刀の原型と目されるが、先行する蕨手刀(わらびてとう)と同様、刀身の柄が共鉄と
なり、巾木鎺(はばき)と鍔(つば)を切先側から挿し嵌(はめる)点に特徴がある。
しかし本品は、刀身と柄を二か所で鋲(びょう)留している点が異例である。

春日大社に伝わる金地螺鈿毛抜形太刀(国宝)や伊勢神宮の伝藤原秀郷佩用の錦包
毛抜形太刀(重文)と同様、当初は華麗な拵(こしらえ)を備えていたものと思われる。
しかし、天正六年(1578年)に兵火に遭って社殿が焼亡した際、外装を損じて焼身と
なったのが誠に惜しまれる。とはいえ、罹災後も社宝として奉安されていたため、
刃こぼれや膨れ錆などは見あたらない。また、焼身ゆえに、かえってそのシルエットが
際立ち、反り高い丸棟鎬造の魳鋒で、しかも刃区上に鎺留めの小孔まで確認でき、
兜金形の柄頭や毛抜形の透かしとともに毛抜形太刀の特徴をよく伝えている。
平安・鎌倉時代に帰するこの太刀の古例はきわめて少なく、出土品を含めても十指に
満たない。そのうち本作は、菅公佩用の所伝と相まって九州に伝来する稀有な一振で
ある。

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