2013年10月20日日曜日

近畿圏にある式内社二十二社と全国にある「一宮神社」というのは、どう成立したのか?

神社、パワースポット巡りが人気。 神社の氏子の中には、『一の宮参拝の会』
などがあり、全国の一の宮を参拝し、ご朱印を頂くことが、流行だと雑誌で
読みました。また、ご朱印の入物る袋も色々とオリジナルが出てきています。

近畿圏でパワースポット神社と
言えば、式内社二十二社。
また全国では、「一の宮」。
これら式内社と一宮の歴史
が、気になります。

平安時代初期、風雨の順調を祈る
祈雨・止雨や、年穀の豊穣を祈る
祈年穀、天変地異への祈攘などを
理由に名神へ臨時奉幣を行った。

醍醐天皇の延喜二年(九〇一年)
伊勢(内宮、外宮)、石清水、賀茂
(下上)、松尾、平野、稲荷(伏見
稲荷大社)、春日(春日大社)
大原野、大神神社、石上神宮
大和神社、広瀬神社、龍田大社
住吉、丹生、貴船神社の十六社。
これらを十六社奉幣という。             

その後、吉田神社、北野天満宮
広田神社、梅宮社、八坂神社、

第七十二代白河天皇の永保元年
(一〇八一年)、日吉社を加え
二十二社奉幣の制度が確立した


全国の一宮の歴史は、律令制度と
ともに広がった。
地方の長官である国司は中央から
任国に赴任すると、まず国内に
鎮座する諸神社を参拝した。
これは新任の最初の重要な行事
であった。
これを『国司神拝』という。

それぞれの国では、国司が崇拝
する神社を管理するための台帳
を作成した。
これが国内神名帳で、
『延喜式神名帳』の体裁に準拠
して作成された。

国司は、国内神社管理として、
最上位の神社を一宮、二宮
三宮と序列化した。
これを「一宮制」と呼ぶ。、

十一世紀末から十二世紀中
に成立した。

日本には当日七十余国の国
に分かれていた。
平安時代より、この中央律令          
制度が、出来上がっていく。
全国と言うのは、この歴史が
あってそのように呼ぶ。

一宮は、それぞれの
国の国司が大事に
した神社。
是非とも、全国の一宮
六十八社を参拝したい!

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