2014年7月3日木曜日

笏(しゃく)

昨日、笏についての文献を読み  
ました。

それによると、現在は、笏と言え
ば、神職の必需品のように思わ
れている。装束を着けていなくて
も、烏帽子を冠らなくても笏だけ
は握っている印象がある

それこそ、お金の紙幣のデザイン
が変わり、聖徳太子=
一万円と思っていた
時代は、もう遠い
昔のようで、、

あのデザイン、聖徳太子のお姿が紙幣から消えて以来、歴史上の人物が
持っていたことも忘れられようとしています。

文献によると、笏が神職の専用品のようになったのは
明治以降のことのようです

つまり、神職以外に方も、明治以前は、笏を使っていた、古い記録では、
養老の衣服令(701年)の官人の服装には、親王・諸王・諸臣の礼服、朝服
には、笏が規定として含まれていたのです。

位により、牙笏(げこつ)、木笏(もくこつ)の二種類があった、と明記されています。
無位の官人には、笏を持つことが出来なかった。
皇太子・親王・諸王・諸臣、五位以上は、牙笏。六位以下は、木笏となっている。

大阪の道明寺天満宮には、菅原道真所用の牙笏が、遺品として残っているようです。

笏の大きさは、38cm~43cmぐらい、
よく長さの単位で、尺(しゃく)と言う単位がありますが、、
だいたい30.3cm(ちなみに中国では、33.3cm)

私は、笏があってできた単位が、尺かと思って
いましたが、どうも逆で、奈良時代までは、
笏は、「こつ」と呼び、「しゃく」と呼ばなかった。
笏を「こつ」と呼ぶのは、骨のコツに音が通じる
ために、それを忌み嫌って、長さが一尺程
なので、「シャク」と言いかえたという説があります。

明治になり、官吏の服制が洋風になったことから、伝統的な宮中の儀式を
除いて一般に束帯や衣冠が用いられなくなり、神社界に通例として残り、
狩衣と言う、神職の服装が一般化し、笏を持つようになったとのこと。

笏の歴史、服装の変化、とても面白いと思いました。


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