2014年4月30日水曜日

神仏分離と天井の絵

神仏分離と言うのが、明治政府に    
より発令され、それまで、神仏習合
として、同じ場所に、お寺と神社が
あったものを、寺院と神社に分離
し、僧侶と神職に分かれて、運営
するようになりました。

1868年、明治政府は「王政復古」
「祭政一致」の理想実現のため、
神道国教化の方針を採用し、
それまで広く行われてきた神仏習合
を禁止するため、神仏分離令を発した

政府は、神仏分離令により、神社と
寺院を分離してそれぞれ独立させ、         
神社に奉仕していた僧侶には還俗を
命じたほか、神道の神に仏具を供える
ことや、「御神体」を仏像とすることも
禁じた。

先日、赤坂氷川神社の本殿天井の画
が、あまりにも綺麗で、宮司様に
「この絵はやはり、江戸時代からの物
ですか?」 と質問させて頂いた。
その時の答えが、「いいえ、この神社は、
明治の神仏分離令以降、お寺のから
神社になりました。お寺の天井のまま
では、薄暗く、昭和4年遷座二百年を
記念し、画かれたものです。」とお教え頂いた。すごく、興味を持ち調べて
みるとこの絵は、河合玉堂の弟子であり氏子であった長華崖(ちょうかがい)による
格天井の花鳥、宮部衆芳による壁間の鳳凰の絵図を加えた、総欅造り
銅葺朱塗にして、丹青荘重の一間社流造の広大にして壮麗な美は東京でも
屈指とされています。
徳川八代将軍吉宗が、創建し、大切にされてきた神社であることが、良くわかる。

花、や鳥、いわゆる花鳥風月豪華な絵が、天井の一杯に広がる。いつ観ても
ほれぼれする。ものである。

江戸時代、明治、大正、昭和、平成と時代と共に、幕府や政府の意向と
ともに、変化している変遷が今に残っていることに、改めて感動する。
文化、歴史の勉強は、大切なのだと改めて感じる。

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