2013年9月25日水曜日

般若心経で始まった高校の朝礼と清風魂

私の高校は、大阪の清風高校です。 毎朝
高校生約3000人、中学生約300人の
全校生徒が、般若心経をあげていました。

生徒手帳の前の方には、般若心経が
書いてあり、遅刻やその他の学校の
罰則は、般若心経の写経で、遅刻は、
写経3枚、朝の登校時に制服学ラン
の首のホックをしていないと、
1枚、その他罰則内容により、枚数
が異なりました。

私自身、高校時代に累計10枚は写経
したかなと思います。

今、神道の勉強をしている中で、高校時代を
思い出すのは、当時の学校教育方針に
いつの間にか、私は影響を受けていたのだと
言うことです。

当日の校長先生は、真言宗・高野山の僧侶でした。 ただ、宗教の感じをすることなく、
自然に毎朝の般若心経が、身につきました。3年間、毎朝なので、当然だと思います。
また、学校の屋上一番上には、清風神社がありました。主祭神は、天照大神で
伊勢の内宮より御魂を分けてもらっていると教えられました。

般若心経、高野山、真言宗と清風神社、天照大神の神様も仏様も大事にする学校だった
のです。でもよく考えると当時の自宅の環境も同じで、
仏壇があり、台所には、火の神様として、三宝荒神(宝塚の清荒神)、そして神棚のある
家だったので、とてもわたしには、違和感なく居心地のより高校でした。

林間学校も高校一年生は、薬師寺、
法隆寺へ行きます。
高校二年生は、高野山へ
そして高校三年生は、伊勢神宮へ
行きます。

そして、弘法大使の映画や話をよく聞きました。
歴史の勉強で学ぶよりも、この林間学校や
清風高校での授業がすごく面白かったように
今感じます。
また、国語や古文の先生は、ほぼ皇学館の
卒業の先生でした。

高校においても、自宅においても、宗教としての
仏教や神道を学んでいた感じは、なく、
日常の生活の中で、親の背中や、祖父母の行動において
自然に身についていった信仰心、いわゆる「サムシング・グレート(Something Great)」
の存在を信じていたように感じます。

お経は、今も朝、母の写真と仏さん(聖観音さん、お不動さん、阿弥陀さん)にむかい
水とお茶を供え、読誦します。
・観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈)
・不動経と般若心経
・浄土真宗の正信念仏偈
ローソクや線香の火を見ていると、母の背中を
思い出します。また、今日もがんばるかとなります。

約30年前の生活が、今に続くと考えると後30年で75歳。
もう一つの習慣として新しく人間形成をしていける時間なのだと
感じます。

日本の神道や明治維新前の日本人の生活習慣や信仰心を考えると
すると、やはり神道と仏教は、勉強せねばなりません。
日本人としての美しい伝統、両親や先祖を大事に、家を守る。
自分のことよりも隣の人や家族の事や、地域の人のために
出来ることを考える。
農耕民族の縦軸、横軸を作り、自分の我ではなく、
思いやりのできる日本人になりたい。
清風には、清風魂というのがあります。それが、
人から「安心される」と「尊敬される」と「信頼される」人物になる。』
です。
これからもこの精神は、忘れずに、明るく楽しく元気よく、実現していきたい。

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