2014年2月19日水曜日

謙虚な心

謙虚という言葉の意味は、なかなか難しい。経営者の立場で、「謙虚な社長」と言うのは、良いとされる。この謙虚を「謙」と「虚」に分解すると、「虚」の意味は、「空っぽ」や「悪い心を持たない素直な気持ち」となる。では、この「謙」は、何か? ただ単に、謙を辞書で調べると、「へりくだる、相手を敬い自分を控えめにする」と出てくる。
昨日勉強した、易経の第十五番目にある、地山謙(ちざんけん)を今日は、紹介する。この解説が、とてもためになる。

地山謙は、このブログでは、横書きであるが、本来は縦書きに書くとわかりやすい。つまり、地、大地の下に山が来るイメージ。大地の下に山があるはずがないが、形や絵でイメージすると易経は理解しやすい。 大きな山が、平坦な大地の下にある、これが、「へりくだる」に意味をする。
謙は、富有(ふゆう)になっても決して驕(おご)り高ぶらず人に謙(へりくだ)ると言う意味。

(原文の意訳)
謙は亨(とお)る。天道は下済(かせい)して光明(こうめい)なり。地道は卑(ひく)くて上行(じょうこう)す。天道は盈(えい:たっぷりとある)を虧(か:かけていく)きて謙に益(えき)し、地道は、盈(えい)を変じて謙に流れ、鬼神は盈(えい)を害して謙に福(さいわい)し、人道は盈(えい)を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊(たっと)くして光り、卑(ひく)くして踰(こ:こえる)ゆ可(べ)からず。君子の終わり也。

(現代語訳)
富有になっても驕り高ぶらず人に謙(へりくだ)る君子は、何ごともすらっと通る。天の道は氣が下(くだ)り地に交わって萬物(ばんぶつ)を生成し、光明(こうめい)盛大である。地の道は卑(いや)しく下に在り、氣が上(のぼ)って天の氣と交わり萬物を化育(かいく)する。謙は人の守る道、天地皆謙の道に由(よ)る。
満月は新月へ向かい(つきの満ち欠け:盈虧)、極暑(ごくしょ)は極寒(ごっかん)へ向かうように、天の道は満ちているものを減らし謙るものを増やす。火山が噴火して谷を埋めるように、地の道は満ちているものを謙るものへと変化流通させる。天地の神々は満ちているものには禍(わざわい)を蒙(こうむ)らせ謙るものには福を授(さず)ける。人の道は満ちているものを悪(にく)み謙るものを好む。謙の徳は尊く光り輝き、卑しい者が踏み越え凌(しの)ぐことはできない。君子が終わりを全うできるゆえんである。

謙(へりくだる)虚とは、ゴマをすることではなく、心は、素直で清らかに、そして言葉や行動をつつしみ、相手を敬い素直な態度で接するさまになる

論語の「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」
の部分に通じるように思います。
なかなかできない、『謙虚』。
しっかりと自分で身につけていきたいです。



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