2014年7月27日日曜日

手水の注意事項


先日の研修で一つ学んだ事    
の中に、手水の注意事項が、
二点!ありました。

手水は、神社参拝において、
欠かせないものです。
必ず、どこの神社に参拝に
行っても、鳥居をくぐり神域に
入ると、参道脇に手水舎が
あります。
手水舎には、「洗心」や「浄心」
と刻まれた鉢があり、水が
たたえられています。
ここで手と口をすすぎますが、
これは、禊を簡略化したものです。

古い神社の多くは清流の近くにあり、清流は参拝する人が禊をして身を
清める場所でありました。伊勢の神宮にお参りすると、内宮の参道の途中に
やはり、五十鈴川において手が洗える御手洗場が設けられています。

その手水を頂く際の注意事項で、一つは、柄杓の柄(え)でない部分【茶道では、
合(ごう)とも呼ばられるらしい】、掬部(きくぶ)に手を付けない事。

掬部に手を付けないように、右手で柄杓を持ち、水を左手に垂らすわけです
が、その際に注意をしないさい!と言う意味です。せっかく、掬部に口を
付けず、清潔を保っているのに、あなたの手が当たるとは、どういうことか!
とお教え頂きました。

また、手水の後の濡れた手を拭く際、ハンカチを用意するわけですが、
そのハンカチも2枚用意し、一枚は、手水用として、汗などを
拭かない、一枚は、汗などを拭うハンカチとして、ハンカチやタオルも
使い分けをしなさい。と教えて頂きました。

本当に、教えて頂きますとすごく納得がいきました。

小さい頃は、母に「せっかく手水で清めたのです
から、手を拭いたらアカンよー」と教えられました
が、なるほど、、今なら母に「ハンカチを2枚に
分ければいいんだよー」と教えて頂きましたと
伝えられたのに、、と亡き母を思いました。

今日は、祝詞勉強会!張り切って頑張ります。

2014年7月26日土曜日

出船 入船

先日の研修において、草履の    
基本動作として、出船(でふね)
入船(いりふね)があるので、
注意するように言われました。

靴は、脱いだら揃えるもの
それも、出かける時に、
また玄関口を美しくする為に
玄関のぼり口に草履の後ろ
玄関先に鼻緒を向けて揃える
もの考えておりました。、

草履は、その場、その場で、
脱ぎ方を変える。

ご本殿に上がる時は、お尻を           
神様に向けることなく、草履
を脱ぐ時のユウ(礼をする)も
あるから、入船で脱ぐ。

そうすると、草履を履く時も
神様に挨拶をさせて頂き、ユウ
をしてから、履くことが出来る。

通常の靴を脱ぐ時のマナーも、
この説明から行くと、本来は、
玄関口において、入船で入り
玄関上がった所において、
振り返り、出船に変えるのが、マナーと、マナーの本には、紹介されている。

下足箱においては、「ぞうりは、出船にして、揃えましょう」それが、美しいです。

なるほど、先生の仰る通りに草履の脱ぎ方、置き方、していくと、とても統一感
があり、見た目も綺麗、そして作法としても綺麗であった。
神職は、祭祀においては、数名の神職と共に行動をする。その際、お祭りに
参列されている側からも見て、美しい作法をする。 それは、統一感。
歩く時にも歩調を合わせて歩くこと、全てが美しくなる。

日々勉強である。

2014年7月25日金曜日

明治神宮

明治神宮様にて3泊4日にて    
泊まり込み行われました新任
神職研修も、本日無事終了
致しました!

人生の折り返し地点、46歳
においてのこの新任神職研修
への参加は、本当に強烈な
スパイスで、分岐点となりまし
た。

神道、神道は、『道』でした、
ちょうど、明治天皇の御製の
句のように、、、、
「大空に、そびえて見ゆる
高嶺(たかね)にも
登ればのぼる道はありけり」

高い志を持って、自分に出
来る得意分野において、神道
の大切な良さを伝えて行きた
いです。この『道』は、深く
そして高く、でも必ず誰もが
登ることができ、計画を立て、
夢を持ち、自分の天命を進む
沢山の世の人に、清き明き
心を伝える。

この教えも明治天皇御製に
ある。

「わが国は神のすゑ
なり神祭る(かみまつる)
昔の手ぶり忘るなよゆめ」

神道は、この昔から大事にしている心を次世代に伝える事がを大事にしている、
大切な教えを、ずっと、ずっと口述で伝えて来たのだと思う。その口の伝え方が
「道」なのである。 神社教ではなく、神道であるのは、そのことになる。

自分たちの得意分野で、神職自らが神道を伝えるのである。

「目に見えぬ 神の心に通ふこそ 人の心のまことなりけれ」

今回、毎朝、毎晩、明治神宮様の大前において、参拝行事をさせて頂いた事は、
一生涯の糧(カテ)であります。 

明日より、自分の天命として、沢山の幸せな家族を作るお手伝いを致します。
それが、私の出来る神道の伝導、形にすることです。頑張ります! 



2014年7月21日月曜日

祭祀にいそしむこと

今日は、「祭祀」について、考える  
時間があった。先日、読んだ本に
もその事があり、興味深く、まとめ
てみることにしました。

「祭祀」は「サイシ」というが、国語
では、「マツリ」と訓読みされる。
この「まつり」は、古典の中に六種
類ある。
・祭   (延喜式)
・祭祀 (日本書紀)
・祀   (大宝律)
・奠   (日本書紀)
・祠祀 (日本書紀)
・祀典 (古語拾遺)
そのうち、「祭」「祭祀」の「祭」は、手に肉を捧げて神に供える義、「奠」は酒樽を
台の上に載せて神に供える義を示す合意文字である。
神を祭って食物を捧げる我が国の祭りにこの文字を宛てたのであろう。
「祠祀」とあるのは、神を祭るホコラがあって、そこで祭る場合をいい、
「祀典」とあるのは、その祭が一定の儀式になっていることを前提としたもの。

祭の古い姿の代表的な一例を「天岩戸開き」の祭にとってみると、ここでは祭の
あるべき姿を表現している。
天照大御神の天岩戸隠りは、弟神の須佐之男命の乱暴が原因とされている。

その乱暴に対しても、大御神は、初めは、「詔り直し」の精神で、これを善意に
解釈し、一日も早く須佐之男命の回心を祈られのであるが、最後に衣織女を
死に到らしめるに及んで、それを見畏(かしこ)みて、天岩戸隠りによって、
高天原も葦原中津国も暗黒の世界となり、万の妖(わざわい)が悉く(ことごとく)
に発生するに至った。

これは神のない世界は暗黒の世界であり、万の妖(わざわい)の発生する
ものであることを意味する。その暗黒万の妖の原因は、人間が
乱暴狼籍、勝手気ままで、人の善意を無視すること
(=これが罪穢れである)、から生まれるものであることが、ここに
明らかになる。

この穢れを払いのけて、再び天照大御神のご出現
を祈願するのが天岩戸開きの祭である。

日本人社会の中では、農業することから四季があり、その四季の節目に祭をし
感謝を捧げた。日本の祭りは、実際の国民生活に関係しないものはない。
それぞれの家、家庭においても「宅神祭」として行われてきた。

明治天皇の御製に、
・わが国は 神のすえなり 神祭る  
     昔の手ぶり 忘るなよゆめ

・とこしへに 国まもります 天地の
     神のまつりを おろそかにすな

とあるのは、「神の恵みと祖先の恩」に感謝する「まつり」の
精神を大切にしようというメッセージである。

祭祀にいそしむことは、とても大切です、
毎日の生活において、日々真剣に
明き清きまことの心を持って、努めて参りたい。

武士社会での神社

貞永元年(1232年)8月、鎌倉    
幕府は、初代将軍源頼朝以来
の幕府政治の原則を法令化して
『御成敗式目』として定めた。

武士の世の中に成るまで、神社
の収入源として、荘園制度が
あり、地域の土地産物より神社
の収入をえていたが、戦国の世
になり、武士に領地を管理され
てしまった、神社は、上記のよう
な、武士が作った、法律で守ら
れていた。

『御成敗式目』は、従来公家の法律だった律令を、武士の習慣や実態に
あわせて作ったものになり、その後室町時代・戦国時代・江戸時代と長く武士
の法律の手本となった。

この『御成敗式目』の第一条には、神社についての項目が、出てくる、
とても興味深く、レポートします。

第一条
神社を修理し祭祀を専にすべきこと
神は人の敬によりて威を増し、
人は神の徳によりて運を添ふ。
しかれば則ち恒例の祭祀は陵夷いたさず、如在の礼典は怠慢せしむ
なかれ。これによりて、関東御分の国々ならびに庄園においては、
地頭神主等おのおのその趣を有し、精誠いたすべきなり。
かねてまた、有封の社にありては、代々の符にまかせ、小破の時は
よろしく修理を加へ、もし大破に及べば仔細を言上せしめ、その
左右にしたがひ、その沙汰あるべきなり。

<現代訳>
神は敬うことによって霊験(れいげん)が
あらたかになる。
神社を修理してお祭りを盛んにすることはとても大切なことである。
そうすることによって人々が幸せになるからである。
また、供物は絶やさず、昔からの祭りや慣習をおろそかにしてはならない。
関東御分国(かんとうぶんごく)にある国衙領(こくがりょう)や荘園の地頭と
神主はこのことをよく理解しなければならない。神社を修理する際に
領地を持つ神社は小さな修理は自分たちで行い、手に負えない
大きなものは幕府に報告をすること。内容を調べた上で良い方法をとる。

第一の項目にこの神社を祭祀することが、挙げられている事は、とても
大切に感じます。『御成敗式目』と言う、武士社会においての法律において、
一番最初に出てくる、神仏を大切にすることが、国の人々が幸せに成る道
と説いている。

残りの項目も合わせて51条になる。そこには、道徳や教育、家族、裁判、
刑法、所領の扱いまで、幅広く、争いごとが少しでもなくなるように
作り上げられています。

「神は、人の敬によって威を増す。」 そして「人は、神の徳によって運を添える。」
人の敬、それは、日々の祭祀の継続による。
『礼法』に書かれているように、礼には、至誠が必要です。誠の心を持ち、
祈り、手を合わること、朝一番に手を合わせ、一日の終わりにまた、手を合わす
感謝すること。
『至誠の心の礼』が敬うことに繋がります。

神宮大麻

今日から始まる、初任神職
研修の予習として、指定
教材を読んでいる中で
改めて、「神宮大麻」と
「御師(おんし)」について
記載があったので、
ここでまとめておきたい
と思います。

伊勢神宮のお神札は、
史書によれば、平安時代
の末には神宮の御師達が
全国各地でお祓ひを行ひ
祈祷をしていた。そして   
御師達は祈祷をした「し
るし」として「御祓(おはら
ひ)」を配布していた。
その「しるし」(御祓)を
人々が鄭重におまつりし、
「お伊勢さま」を遥かに
拝して信仰を深めていた。

記録によると、江戸中期
には日本全国の約九割
の世帯が大麻を受けて
いたとされる。
「お伊勢さま」「太神宮
(だいじんぐう)さま」と
して広く全国から篤い
崇敬を集めて、宮中を
始め、諸大名はもとより
広く庶民にいたるまで、
「御祓」を日々おまつり
していた。

この全国を回っていた、御師(おんし)とは、どのような人のことか?
御師とは、古来より神宮に仕へた人々で、「御詔刀(のりと)師」・「御祈祷師」
または「御師匠」の語の略称とも言われている、一般的には親しみを込めて
「太夫(たゆう)さん」とも呼ばれていた。

御師たちは、全国各地へ赴き、「檀那(だんな)」や「檀家(だんか)」と呼ばれた
崇敬者の求めに応じてお祓いを行い祈祷をし、その祈祷をした「しるし」として
「御祓」を配布した。

また、檀家の参宮に際してはその便宜をはかり、自邸では太々神楽(だいだい
かぐら)と呼ばれる神楽を奏行して祈祷を行い、参宮者への饗応や宿泊等の
手配もしていました。

明治政府の体制になり、「御師の仕組み」は、なくされました。
現在は、神社庁から各神社へ配布され、それが、全国の方々の手元に
渡るような仕組みとなっています。

日本の国体の本宗、国民全体で、神宮大麻を祭祀し続けて行くことが、
子孫繁栄に繋がり、国の安泰、平和につながると思います。
祈る姿が、自分の子や孫に引き継がれていくことを、大切にしていきたい。

結婚準備

先日、「結婚準備の新定番」って
帯に惹かれて、ブライダル産業
フェアにおいて、購入した結婚
カウンセラー・牧師石井希尚さんが
著者の「Happy Wedding Diary」と
言う題名の書籍。

あ!、結婚準備と言うと、私はすぐ
に、結婚何ヶ月前から、何を
準備して、、招待状や席次表、
引出物引き菓子、衣装、美容、
ゲストのレンタルなど、、「準備物」
のスケジュール管理的なことを
考えてしまうが、この本は、違う!
結婚準備の新定番
だけあり、いわゆる、
結婚を控えた、新郎新婦へ送る、結婚式後の結婚
生活に対しての、準備の本であった!

お互いに好きあって結婚する二人であっても、子供の頃からの育ってきた環境や
それに伴い自分自身で作ってきた価値観や経験は、本当に違う。
その異なった、人間が、これから、この結婚式から、一緒に生活をするのですよ
そのためには、準備が必要です。っていう感じに書いてある本です。

結婚カウンセラーであり、牧師さんでもある著者が書かれているので、
ところどころに、男性側からの心理、女性側からの心理を細かく書いてあり
なるほどーーーと思いました。また、牧師的な、聖書の言葉も紹介されており、
すごく読み応えのある、大切な本です。

この本から、少し抜粋したものを下記紹介したいと思います。

・「600万分の1の奇跡」
 一組の男女が結婚を決めることは、天文学的な確率です。日本の人口約1億2千万人
 として、男女が半分とすると、6千万づつ、その内、結婚可能年齢で、未婚の人が、
 仮に10%の600万人だとしても、その中からたったひとりの人と結婚する出会いの奇跡。

・「ふたりが共有しておくべき8つの言葉」
 8つの言葉は、家族、お金、安らぎ、セックス、レジャー、安定、一致、仕事。
 この8つの言葉の定義を結婚する、男女が同じ言葉の意味を持つことが大切。
 
 独身時代は「家族」といえば、自分の両親や兄弟を意味することがほとんど
 結婚すると、家族といえば、自分が作り出す「家庭」を意味することが多いはず。

 「安定」という言葉も、「生活の安定」と解釈する人もいれば「精神的な安定」と
 解釈するひともいる。
 
 これらも「言葉の意味、定義」というのが、二人の価値観というのかもしれません。

・「ふたりで作る居心地のいい場所」
 人は親が作り出した家庭から独立して、「帰属の欲求」を満たしてくれる場所を
 実家とは別の場所に見つけ出していく必要があります。「ここが私の場所だ」と
 思える場所。それは、あなたがパートナーと作り出す
 新しい絆の中にしかありません。それが、結婚なのです。

・「愛の三段活用」
 愛には、肉体的に愛する「エロス」、兄弟愛「フィリア」、無償の愛「アガペー」
 の三つがあります。「アガペー」は、無償の愛を意味する言葉です。
 自分の意志による選択として、代価を期待せず、相手の状態にかかわらず愛する
 という意味です。新約聖書には「神の愛」と表されています。

・「新約聖書、コリント第一の手紙、愛について」
 キリスト教の結婚式において、牧師先生が、読まれる、「愛」について、
 
  愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみ
 ません。愛は自慢せず、高慢になりません。
 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
 怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに
 真理を喜びます。
 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
 すべてを耐え忍びます。
 愛は決して絶えることがありません。

最後の聖書の愛については、必ず、キリスト教の挙式では牧師先生が、
読上げる聖書の言葉になり、何回聞いても、何回読んでも、新鮮な
素晴らしい言葉と思います。大切な愛の教えです。

神道、キリスト教 宗教の枠を越えて、この愛と言う、真理は、一緒なのだ
と思います。神道における、「愛」とは、「至誠」また至誠からできる、「敬愛」
「優しさ」「恕」、「忖度」、、もっと神道を勉強していきます!!