2014年7月20日日曜日

なだ万と卓袱料理(しっぽくりょうり)

神前式の後の家族だけの会食   
や、プチ披露宴の会場となる、
老舗料亭『なだ万』。
今日は、この「なだ万」の歴史を
質問受けましたので、紐解きた
いと思います。

『なだ万』の屋号は、創始者で
ある灘屋萬助の名前に由来
して付けられました。

天保元年(1830年)の創業
現在で、約180年の歴史が
あります。

長崎出身の楠本萬助(三代目)
が、当時から長崎に入っていた
中国の卓袱料理(しっぽくりょ
うり)と漢方の心得を生かして、
料理屋を大阪に開いたことに
始まります。

大正八年(1919年)、第一次
世界大戦後のヴェルサイユ
条約調印の為に訪欧した
西園寺公望公の料理番に
『なだ万』の店主(三代目
楠本萬助)が選ばれました。 
この事は、大阪における
『なだ万』の格を一層高めました。

昭和49年には、なだ万の
本店を大阪今橋より、東京の
ホテルニューオータニのお庭
の中に佇む、山茶花荘へ移さ
れています。

昭和61年の東京サミットの
公式晩餐会は、なだ万本店
山茶花荘にて行われた。(当時
中曽根首相、レーガン大統領
(米)、サッシャー首相(英))

このような世界のVIPが、食した
なだ万であるが、もう一つ、
なだ万を有名にしたものとして、
やはり、文豪の小説に出てくる
ことである。

・夏目漱石の『行人』
 に灘萬のまな鰹ー
 が出てくる。
・森鴎外の『小倉日
 記』において「灘萬
 に飲み、灘萬の割
 烹は好し」と出てくる

なだ万のこの歴史を遡った際に出てきた、長崎の『卓袱料理』、とても気になります。
卓袱料理とは、中国料理と西欧料理が日本化した宴会料理の一種らしく、
長崎市を発祥地とし、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで食べる料理とのこと。

卓上に大皿に盛られた料理を、小鉢や小皿に自分達で、取り分け、色々な種類の
お料理を食べる形は、中国の飲茶に似ているのか? 最初にお吸い物のような
お椀に入ったスープも頂けるようです。 コース料理のように、卓上の料理が
なくなると、次々と別の料理が出てくる、コース料理のような、独特な料理は、
料理職人の腕が磨かれるのかもしれません。
そして、あの見栄えのある懐石料理の小鉢に入ってくる料理は、「なだ万」に
おいての、お料理を綺麗に見せて出すという形の基本となったのかもしれません。

料理が時代と共に変化し、日本食が、ユネスコに登録されるまでになるのは、
日本の「和」の文化が、外国から来た料理を自分の国の料理にアレンジする
力、日本力と結びつけてしまう力が、新しい料理を産み出し。
見た目にも綺麗で、斬新な味付けの料理に進化していくのか?

今回の「なだ万」の歴史を紐解きながら、日本食の変化が楽しいものと勉強
しました。



2014年7月19日土曜日

花園神社

今朝は、新宿店に出勤前に、     
花園神社に参拝に行きました。

初めて参拝させて頂いたのが、
平成14年5月頃、今の新宿店
オープンの前です。

いつ参拝に来てもすごく清々
しい、境内で、新宿のど真ん中
で、周りをビルで囲まれている
ものの、すごく気持ちの良い
神社さんです。

花園神社さんには、三社の
紋がお賽銭箱についていま
す。花園神社、大鳥神社、
雷電神社と合祀されて
います。                    

沿革をhpで検索すると、
花園神社は、徳川家康の
江戸開府(1603年)以前
から新宿の総鎮守として重
要な位置を占めていました。

1590年より前に、大和吉
田山より勧請されたとされ
ております。

現在の場所は、徳川御三家
筆頭の尾張藩下屋敷の庭
の一部で、沢山の花が咲き
乱れていたそうです。
その美しい花園の跡地の
であったので花園稲荷神社           
と呼ばれたのが社名の由来。

大正5年1月25日、改名願
を提出し、2月26日正式に
「花園稲荷神社」となる。

昭和40年に、末社だった
大鳥神社を御社殿建替と
共に本社に合祀し、雷電
稲荷と共に、「花園神社」
と改名されています。

昔の新宿のエリアの地図
を探して見ましたが、なか
なか新宿エリアは、情報が
少ないです。
新宿都庁が、もともと水の浄水場だったことも、、今はもう高層ビル副都心に
なっている。神社の沿革や変遷をたどっていくと、大名屋敷の跡に移設された
神社、川の氾濫で水害が多いので、高台に移設して、合祀、都市計画道路の
計画から、少し後ろにさがるなど、近代化と共に、変化していく。

町並みの変化と神社の社名の変更も歴史になるのですね。

神様にご祈願して、神社に参拝する際に、知っておきたいのが、神様(ご祭神様)
と神社名。  神社名にお祭りされておられる神様に、願いが届きますように。

ご由緒も知っておきたいと思います。

2014年7月18日金曜日

ネルソン・マンデラ

今朝、ブログを書こうとパソコン  
を立ち上げると、グーグルが、
いきなり、ネルソン・マンデラ
さんの絵を表に使っていた。
(アニヴァーサリロゴと言うら
しい)ちょうど、今日7月18日
が、ネルソン・マンデラさんの
生誕日。

ネルソン・マンデラは、1918
年生まれ、46歳の時、「南ア
フリカにおいて、アパルトヘイト
と言う、人種差別をなくそうと立ち上がり、1964年に国家反逆罪で終身刑の
判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。
マンデラさんの活動は、白人と有色人種の差別の戦いだった。
肌に色を持つ、我々日本人もやはり有色人種である。

約五百年前に、「大航海時代」が、始まり、スペインやポルトガルが、競って
世界のあらゆる国に向かった。そして、相手国に対して、軍艦を向けてのっとり、
相手国の産品はすべて自国のものとし、有色の原住民を平然と奴隷とする
「植民地政策」が行われた。やがてオランダ、イギリスなどの白色の国々が参加
して有色人種の国を次々と植民地にしていった。インド、東南アジアの国々は
ほとんど植民地とされていく、ヨーロッパの国々から見て一番東の端の国、日本が
最後の有色人種の国だった。そこへ、アメリカから黒船が来る。
日本の先人は、「このままでは、日本も植民地とされる」と気付き、明治維新にて
近代国家になる。

1914年の第一次世界大戦のおいての、日本は、勝利国となっており、パリで
行われた講和会議において、日本の要求は、領土でも賠償金でもなく、
「人種差別撤廃」であった。

日本から出国して、海外に行くと本当に、色々な人種(肌の色、髪の色)がいる事
に気づく。そして、この今の日本人の国を作り上げてくださった我々の祖先に感謝を
し、我々も次にくる世代のために、国を良くしていきたい。海外に行くと、国や民族を
すごく感じる。

マンデラさんの言葉に、「困難に挫ける人もいれば、困難で成長する人もいる。
挑戦を続け、最後の瞬間まで『希望』という武器を振りかざす罪人の魂はどんなに
鋭い斧でも切り裂くことばできない。」この言葉、困難の時でも、『希望』を忘れない
夢、志、目標を忘れない!と教えてくれている。日々頑張って働いていることが、
自分の人間としての成長に繋がり、世の人、社会の為に役立てるように、使命感を
持って、進もう! 今日もがんばろう!



2014年7月17日木曜日

ホスピタリティ

昨日は、月一回の社内研修日   
だった、先月に引き続き今回
も3時間、社員が講師となって
研修を行ってくれました。

今回のテーマは、ずばり、
「ディスニーに学ぶおもてなし
の心」。我々サービス業に
大切な、ホスピタリティの勉強
をディズニーランドさんが実践
されている具体例などを題材
に勉強しました。

研修開始から、ディズニーの
夢の世界に入り込む「オリジ
ナル席札」を頂き、テンション
が上がりました。

ディズニーのおもてなしの心           
を学ぶ為に、「また来たい!」
と思わせる
ディズニーランドの心理テク
ニックの内、7つの設問、、、
1.入場前からワクワクさせる音楽
2.ディズニーランドの入り口は1つ
  、ゲート前は少し上がり坂
3.ワールドバザール(入り口の
  ショップ街)は奥に行くほど道
  が狭い
4.シンデレラ城があそこまで
  まっ白な理由
5.アトラクション待ち時間の
  ストレスを減らす工夫
6.パーク内の音楽
7.トイレに鏡がない

これらは、どうしてこのようにされているのでしょうか?
と7問ともまともに返答出来ない私がいました、、

1⇒ 駐車場や電車駅から音楽が流れている、それは、ゆっくりなテンポの
   音楽から、ディズニーランドに近づくにつれてどんどんと早いテンポの
   音楽に変わっていく。
 ⇒ それは、ワクワクがどんどんと高まり、小走りにディズニーランドに
    向かっていく心理を作り上げている。

2⇒ 先が見えず、期待感を高める効果!

3⇒ 目の錯覚を作り、シンデレラ城が遠くに見えるようになっている。

4⇒ 白くすることにより、遠く、大きくに見える効果や空の青とのコントラスト
   になる

5⇒ 待ち時間は実は、実際よりも長く設定している、90分待は、大体、45分
   から60分で到着する。すると、お客様は、少し「得(とく)」をしたような気持ち
   になる。

6⇒ エリアごとにBGMが違う。しかもエリアとエリアの音楽を区切るために
    水辺がある。例えば、滝や池を作り、エリアを区切ることにより音楽を
    変えている。

7⇒ 人は、鏡を見ると、現実の自分に戻ってしまう。なので、全身の服装を直す
    鏡はあるが、手を洗うところにつけるような鏡はついていない。

ここまでの7つを勉強しても、本当にすごい!と思いました。
今までに、子供を連れて、4回程行きましたが、今思い返すとああ、思っていたより
もアトラクションの待ち時間は、短かったと思った、シンデレラ城が確かに
遠くに感じていたが、歩いて行くと近かったこと、様々の体験を思い出します。

すべてこれらは、ディズニーランドの設計者が、考えてそのように作り上げていたの
だと思うと改めて、すごい!!と思うし、今度もう一回行って確認しようとも思います。

「ホスピタリティ」と「サービス」の違いは、
「サービス」は、仕事においての義務
であり、しなければならない事に対して、
「ホスピタリティ」は、「おもてなし」
=自ら相手の気持ちになって、相手の立場に
立って、共に考えてあげる。
気持ち、心、言動。のことを言うと勉強しました。

実際の我々の日常業務の中において、「神前式の後のゲスト誘導における
タクシィー手配」。当初は、他社との差別化と思い、行っていた仕事、この当初は
ホスピタリティとして行っていた事が、時間が経過して、社員が必ず行う事に
なり、つまり「サービス」となり、業務となる。その業務となった仕事をいかに
掘り下げて、もう一度相手の立場に立っての仕事=ホスピタリティとして
出来るのか、それが、業務の改良、進化、改善につながる。

ホスピタリティを我々の仕事に落としこむ為に、三つの事を考えて見ようと
なりました。

一つは、ホスピタリティには「一生懸命」が必要不可欠であるとも勉強しました。
「一生懸命」そのお客様の事を考え、お客様の立場に立って行動すると
必ず、その行動は、お客様に通じる。

二つは、ホスピタリティには、「行動」+「スキル(技術・知識ではなく、それを使う能力)」
どんなにすごい知識があっても、どんなにすごい技術を持っていても相手の為を
思って使うこと、出しきらなければ、伝わらない!

具体的には、我々の仕事においては、
身だしなみ
マナー
言葉づかい
をキチンと出来ていないと、お客様におもてなしが伝わりにくい。

三つは、常に『自分の役割』を意識する。
自分の与えられた役割をキチンと果たす、そうすることにより、お客様満足や
小さな感動を生むことが出来る。それにホスピタリティをプラスするのである。
具体的には、
● ディズニーランドのカストーディアル(お掃除キャスト)
  自分の役割としてのお掃除の仕事や道案内、迷子保護などの仕事
  プラス、お客様のために、水を使って、道にミッキーなどのキャラクターの絵を描く

● ジャングルクルーズ(アトラクションキャスト)
  通常のアトラクションにおいてのセリフ、お客様を楽しませるマニュアル通りの
  セリフが言えるようになり、お客様の感動を与えるように、アトラクションの
  ワクワク感を伝えるようになった+自分のアドリブでセリフを少し返ることが
  できる、そうすることにより更に楽しいアトラクションに進化する。

今回の研修を受けて、私の接客や業務を見直す
機会を得ることが出来ました。もう一度、深く、
お客様の立場に立っての気持ち、心を受け止めて、
お客様に何が出来るのかを考え行動できるように、
日々、進化、改善、出来るよう努めたいと思います。

2014年7月16日水曜日

家族結婚式の演出

昨日は、年に一度東京ビック
サイトにて開かれる
ブライダル産業フェア
に行きました。今回も沢山
のブースが並び、来場者も
多かったように感じました。

各ブースには、衣装、美容
写真・ビデオや披露宴での
演出用品・コーディネート
アイテム、ギフト、ペーパー
アイテム、披露宴挙式予約
システムなどのコンピュー
ター系、ノンアルコールなど、
ドリンク・フード関係とブライ
ダルに関するあらゆる関連
の企業のブースが並びます。

沢山の中から、私が印象に
残った思ったもの。

・折鶴クラッカー
:これは、挙式の後、和の
フラワーシャワーの代わり
に、折り鶴のシャワーです。

・ウエルカムボー
ドで参加ゲストの指紋を
受付時に、カラフルなイン
クにてペタペタとつける
ことにより、ウエルカム
ボードが完成する。
少し前からある商品
だったが、下絵の種類
が増えて、ゲストの全員
参加型の記念になる物。

・披露宴・二次会
パーティー撮影
用小物これも、ゲスト
の各卓上へ新郎新婦が、
フォトサービスで回る際
に、この小物を使って、
新郎新婦と友人や家族が
お写真を撮るのも面白い!
ゲストが、参加できる提案
商品として良いと思った。

日頃、私がお手伝いするお客様は、半数が、家族だけの結婚式の方が
多いので、その会食会的なプチ披露宴に使えそうな商品に目がいってしまう。

家族だけの10名~30名のお客様は、両家の家族親族だけなので、
どうしても遠慮と緊張で、盛り上がるまでの時間が掛かってしまう。

その盛り上がりを、パーティー時間のなるべく最初の方に持って来て、少しでも
長い時間、両家交流の出来る、時間を作りたい。そのために、新郎新婦を初め、
両家の家族親族の方々に、会食会、プチ披露宴に、積極的に参加してもらう
仕組みが必要となる。
歌やスピーチの他に、こんなアイテムを使って、ゲストの方々に参加
して頂くことで、話題や両家のアットホームな雰囲気
が出てくる。

お二人の紹介を両家母が行ったり、兄妹が行ったり、とゲストの参加
するイベントが増えると、両家が打ち解けてくる時間が早くなる。

新郎新婦が、縁でこれから親戚となるご両家の方々が少しでも思い出に残り
温かく、楽しい、両家や親子の絆を作るお手伝い。
「いい家族だなーー」とアットホームに、打ち解ける事のできる会食会を目指す。

沢山の幸せな家族を作るお手伝い

新郎新婦を始め、お父さんお母さん、おじいちゃん
おばあちゃんから兄弟、友達すべての人に
新郎新婦の幸せの和を広げる。
幸せの和を広げるお手伝い、幸せの発信基地になる!
が、われわれの経営目的。

今日は、月一度の研修日、良い研修が出来るように、、
今日も頑張ろう!

2014年7月15日火曜日

十七条憲法

会社経営において、もっとも  
大切で、もっとも難しいのが、
社長から社員一同のベクト
ル合わせなのだと思う。

全社員の価値観と使命感
を一つにして一団となって
仕事をすることが、楽しく
仕事をすることにも繋がり
如いては、売上目標が、
達成した時にやりがいを
感じるのだと思う。

この難しい、ベクトル合わせ
は、昔から人間社会には、
存在したのだと思う。
『日本書紀』にも出てくる
聖徳太子の十七条憲法も当日の歴史背景を見ていくと、太子が生まれた
用明天皇の時代は、仏教を崇拝する蘇我氏と排仏を唱える物部氏の
対立の時であった。

争いの中、聖徳太子は、安定した国家をつくるために、人はどんな事を心がけ
そして行動すべきかを深く考えるようになった。
604年、聖徳太子は、推古天皇の摂政となり、十七条憲法を制定された。
そこには、太子の和を尊ぶ気持ちが込められている。

ただ、この604年と言う年号だけを、学生時代は、覚える、、、
今この年齢になると、こんな背景があった、こんな気持で、聖徳太子は
作ったんんだろうなと思うと、味わいがでる。

そして人間学的に、この十七条憲法を二つに分類して勉強した。
一つは、神道と仏教の教えからなる、「宗教教育としての人間学」。

第二条:仏教をおおいに尊重せよ。
第三条:天皇のお言葉には、必ずつつしんで従いなさい。

二つは、四書五経の教えからなる「道徳教育としての人間学」。

第一条:和を尊び人にさからい、そむくことがないようにせよ。
第四条:役人は、人の守るべき道をすべての根本とせよ。
第五条:私利私欲をすて、公平な裁判をせよ。
第六条:悪をこらしめ、善をすすめよ。
第九条:すべてのことにウソとイツワリのない真心を根本とせよ。
第十条:考え方の違いで人を怒ってはいけない。
第十五条:私心をすてて公の立場に立つのが、君主に仕える者のつとめだ。

聖徳太子は、神道、仏教、四書五経、沢山の要素を勉強されて
国、人々の「和」を大切に、国造りをした。
日本人の進むべき大切な道徳規範がここにある。

会社経営をする中において、人の心を一つ
にする、「和」をつくるために、「神道」「仏教」、
「四書五経」を参考としたい。







2014年7月14日月曜日

魚図

昨日の日経朝刊に出ていた、魚と
の対話の記事の絵は、以前、
葛西臨海水族園のポスターで
見たことのあった絵だった。

すごく、繊細でまた、時代背景を    
考えるとどうやって書いたのか?
また、作家は誰なのか?
とても気になっていた絵だった
ので、興味深く記事を読んで
しまった。 

このにぎやかな海中の絵、大きな
タコが八本の脚をなびかせ、赤い
マダイと腹を膨らませたトラフグが
元気に泳ぐ、尾の長いエイや、
体の白いイカ、本当に素晴らしい
絵。この絵の名前は、「諸魚図」と「群魚図」と言う絵で、画家は、
伊藤若冲(1716~1800年)今から約250年前に描かれた絵になる。

記者も書いていたが、テレビも水族館も無い時代
に、よくもこんなに繊細に魚が泳ぐ絵が描くことが
出来たなと疑問に私自身も思っていた。

それが、どうも作家若冲は、京都の錦小路(錦市場)に面した青物問屋の
四代目としてこの世に生を受けた方だったようで、その市場においての
店先で、冷水の桶に入れられていた魚類を観察したようである。

それにしてもこの絵を見ているだけで、「夏」、「涼しげ」を感じる。

昨年、葛西臨海水族園において   
結婚式をプロデュースしたことを
思い出した。
葛西臨海水族園においての初
デートが思い出の二人。
結婚式の前撮り写真には、その
魚の水槽の前で写真を撮影
した。

こんなカップルの写真を見たら
作家若冲は、ビックリしただろう
と思う。

葛西臨海水族園は、今年が
開園25周年になる
らしく、その記念の年として限定一組、水族園
での結婚式を企画したいと先日お話を頂いた。 

是非、心に残る結婚式。魚が、「ぎょ!」となるような、
温かい思い出に残る結婚式をお手伝いしたい
と思う。 
今日から7月後半戦、頑張ります!